コラム

 公開日: 2014-09-14 

かたちなきものまで暮れて秋の暮れ ―八田木枯 異界への誘い―

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。





 平成24年、87才で逝去された八田木枯の句である。

「かたちなきものまで暮れて秋の暮れ」

 秋はどんどん日が短くなり、暮れてきたかと思う間もなく、もう、宵闇へと沈み込んで行く。
 春のど真ん中は4月、秋は10月。
 この2ヶ月の平均気温を比べると、10月の方が6度も高い。
 秋はそれだけ夏を引きずっており、夕刻になると気温の低下がはっきりと感じられ、降りてくる夜のとばりとあいまって、何かが過ぎゆく心持ちに強く掴まれる。

 そんな秋の暮れには、かたちのないものまで一緒に暮れて行くという。
 ――この世ならぬ者。
 私たちは普段、暗さという背景があってこそ、異界の者の存在に気づくと思っている。
 しかし、作者は違う。
 先亡の祖霊や彷徨う亡者や徘徊する幽鬼などが生者と暮れを〈共にする〉ということは、彼らが闇の到来を待って現れるのではなく、普段から生者のそばに在るのだ。
 死者と同伴して生きているという作者の実感は、私たちの感覚を遥かに超えている。

 こうした世界に接すると、松尾芭蕉の句は、自分も世界も、この世の者同士で溶け合っているという平穏さを持っていることに気づく。

「枯枝に烏のとまりたるや秋の暮」

 藤原定家の一首も同じである。

「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋(トマヤ)の秋の夕暮」

 実にストレートに「寂しい」し、「あはれ」でもある。

 作者は、こうも詠んだ。

「秋の暮きのふにまさる暮ならむ」

 昨日と今日とで暮れ具合を比較している。
 それは確かにそうに違いないが、私たちは普段、数字化したデータを示されてから「もう、そうなのか」と思う程度である。
 感得できない世界は、ないに等しいのである。

 次は、同じように、そうあるはずなのに100人に1人も見えていない世界が示された一句である。

「家じゆうの柱のうらの稲光り」

 黒雲から一瞬走った稲光が家中を満たし、視界の及ばない柱の裏側までもがありありと照らし出された光景は、作者の目にリアルなのだ。
 ここまで行った鋭さには凄まじさが加わる。
 
「亡き母が障子あけずに入り來し」

 障子を立てた居間へ、亡き母が障子を透過して入ってきた。

「亡き母が蒲団を敷いてから帰る」

 帰宅した自分の寝室に布団が敷いてあると錯覚したのだろうか。
 白い布団の幻は、亡き母の手によるものでしかあり得ない。
 
 慕う心はこんな句まで作ってしまう。

「母に抱かれてわれまつさきに囀(サエズ)れり」

 この世に生まれたての自分が母親へ思いのありったけをぶつけ、おぎゃー、おぎゃーとさえずったと言うのだ。
 母を慕う激しいまでの想いは、嫉妬や怒りを引き起こす。

「母に傷つけて素知らぬ糸すすき」

 母が芒に触れて軽い擦り傷をつけた時、その「素知らなさ」へ心の牙を剥いている。
 その前提として、柔らかく温かい母の肉体のなまなましさを心身挙げて掴み、守り、それに溺れてもいる魂がある。
 溺れには、さらなる証拠がある。

「漣(サザナミ)に晝寢の母を偸(ヌス)まれし」

 実際に、さざなみの立つ湖畔で昼寝をしている母のそばにいたのだろうか。
 漣は琵琶湖西南沿岸一帯をも指すので、そうした地域にいて昼寝をする母の心象風景へ入ったのだろうか。
 いずれにしても、いつも自分へ向いてくれているはずの母親の関心が、昼寝によって離れてしまっていることに寂しがり、苛立ち、〈盗んだ〉さざなみへ嫉妬してもいる。

 最後に、作者の異能ぶりを示す句を数句、挙げておきたい、

「ふたりして笑うてをりぬ墓参人」

 笑っている2人を虚空からじっと観ている無数の死者の目。

「月光が釘ざらざらと吐き出しぬ」

 月光はあまりにも鋭い。

「月光はけものなりけり皿を咬む」

 月光に白々と輝く皿には、光の刃が食い込んでいる。

「とび翔(タ)たぬ鶴をいぢめて折りにけり」

 鶴を折る指の強さが持つ無情さ。

「原爆忌折鶴に足なかりけり」

 足のない折り鶴は、不条理なものに何もかもを奪われたままになっている死者そのものだ。

「昼寝より覚めしところが現住所」

 ただ、ここがこの世の自分の居場所……。

 今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0



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 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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