コラム

 公開日: 2015-01-16 

昨日が明日をつくる? ―パルソとカルとアージ、そして覚悟と心映え―

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。





 インドの公用語として広く用いられているヒンディ―語では、「明日」も「昨日」も同じく「カル」と言う。
 明後日も一昨日も「パルソ」、今日は「アージ」である。
 誰かが「カル」と言った瞬間、聞き手は、前後の話などから明日か昨日かを判断する。
 もしも、会話の最初に「カル」が出てくれば、明日と昨日とを同時に思い浮かべ、身がまえて次の言葉を待つのだろう。
 こうした文化圏では、過去と未来から切り離された、〈ただの現在〉という感覚はなかろう。
 現在は常に、〈過去と未来とに挟まれたもの〉として意識される。

 お釈迦様は生涯、「今、実践せよ」と説かれた。
 しかし、それは、巷間で言われる「今でしょ!」の「今」と似ているが、同じ「今」でも、膨らみが違う。
 決して「今さえよければ……」の「今」ではないし、「いつだって今さ」と単純に〈その時〉を指すのでもない。

 数々のエピソードに満ちた仏教説話を読むと、実践の機会を自ら手放す残念な場面が、そこかしこに出てくる。
 なぜ残念なのかは、善き行いを実践しないことが原因となって必ず善からぬ結果が出るにもかかわらず、因果応報をよく考えないがゆえに、運命を明るい方向へと動かすことができないからである。
 また、今の苦しみをもたらした原因が過去にあることをよく知らないがゆえに、苦しみから逃れる手段を見つけられない、あるいは手段を脇へ置くからである。

 タバコや酒や博打やゲームの依存症にはまって行く過程を見ればすぐにわかる。
 やめれば運命が転換するのに、やめられない。
 体調不良も、仕事や勉強の不調も、窮乏も、これまでの悪しき生活パターンがもたらしたものなのに、漫然と同じパターンを続けてしまう。
 実に私たちは、〈そのまま〉という惰性に弱い生きものなのだ。

 NHKの木曜時代劇「風の峠~銀漢の賦~」にも出て来た場面だが、葉室麟著『銀漢の賦』にはとても印象的な言葉がある。
 亡き夫の後を追うつもりの妻が、子供たちへ諭す。
「人にとって大切なのは覚悟と心映(バ)えなのです」

 私たちは、瞬間瞬間に思ったり、感じたり、考えたりはするものの、なかなか心を定められない。
 次々と眼や耳などへ届く外的刺激、あるいは、習慣となった心身の欲求に身を任せがちである。
 実に、「覚悟」という生き方の切り替えは難しい。
 また、自分の心からあふれ出しているもの(心延え)や、心というスクリーンに映し出されるだけでなく、時には他人のスクリーンにも顕れ、態度にも滲み出る心の内容(心映え)を観ることも容易ではない。
 それを放置したまま、他人や社会の景色にばかり肉体の目も心の目も奪われ、好き嫌いや損得でそれらと距離を定めつつ、日々を暮らす。
 実に、美しい「心映え」はつくられにくい。

 さて、「カル」と「アージ」に戻ろう。
 昨日があったのと同じく明日があり、その中間的なものとして現在がある。
 昨日のない明日はなく、明日のない昨日もない。
 こうした途切れない時間の流れは因果応報と共にある。
 流れの中に現れるのはすべて因であり果である。
 途切れない因と果は、生まれ変わり生き変わりする輪廻転生(リンネテンショウ)をもたらしている。
 お釈迦様が「今」の実践を説いて止まなかったのは、せっかく過去の因縁が熟して善き果をもたらすところまで来ているのに「覚悟」ができないと、それを未来に生かせないからである。
 お釈迦様が過去の因縁話を重ねられたのは、過去の「心映え」に学び、よき「心映え」をつくり、善き転生をへと向かわせたかったためであろう。

 まず、「今日」が「昨日」と切り離されたものではないことをよく観てみよう。
 そうすれば、あるべき「明日」が観えてくるのではなかろうか。
 藤原のりすけ著『人生ぬくもりノート』でも紹介されているが、聖徳太子はこう説かれた。
「あるいは一国に生まれ、あるいは一郡に住み、~、一樹のもとに宿り、一河の流れを汲み、~、一日の夫婦、一所の夫婦、~、一言の会釈、一坐の飲酒、~、皆これ先世(センゼ)の結縁(ケチエン)なり」
 今、今日、自分がこうしていられるのは、因と果の間で、無数の縁の糸が結ばれたからである。
 それを具体的に考えてみよう。
 明日への気持がきっと変わることだろう。
 感謝と共に、覚悟を持つ勇気、心映えにつながる矜恃(キョウジ)が動き出しはしないだろうか……。

 今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0



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 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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