コラム

 公開日: 2015-03-28 

プラットホームと懺悔 ―佇む時の不思議な心理―

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。





 新幹線のプラットホームに立っていると、無性に懺悔(サンゲ)する気持になる。

 初めは、何がどうというわけでもない流離(リュウリ)の気分が起こる。
 島崎藤村が『椰子の実』で「実をとりて胸にあつれば新たなり流離のうれい」と書いたのはこのことなのかと、想像したりもする。
 乗客たちは来る人と行く人なのだが、なぜか皆、行く人と思える。
 一人残らず視界から去って行くせいなのか。
 それならば街角に立っても同じはずだが、そうはならない。

 やがて時間の流れがゆったりとしてくる。
 足早に去る人々の歩みは同じでも、立っている自分を包む時間は徐々にスピードを落とす。
 仙台駅の13番線にたどりつくまでは、どこか急(セ)いていたが、あとは列車の到着を待つだけ、となってしまえば、ただ、佇んでいるしかなくなる。
 急いている時と佇んでいる時とでは、時間の流れが違う。
 そう言えば、佇むという字の〈つくり〉は貯金の「貯」であり、そもそもは箱を表す。
 ならば佇む人は異時間の流れる異次元の箱に入った人なのかも知れない。

 聖者の遺体がなかなか腐らない例があることは、世界中で指摘されてきた。
 死ぬ前に異界の住人となっていれば、異界の影響を受けた遺体は、ゆっくりとした時間で形を変えるのかも知れない。
 かぐや姫はその反対である。
 神界の存在である姫が、あたかも時計の針が早回しされるようなこの世に来れば、忽ちに成長してしまう。
 ならば、佇む時、私たちは神界という異次元の箱に入ってしまうのか。

 この世から流離した心の眼は眺める人々の多様性をとらえるが、顔が丸く、長く、四角く見えると、〝不完全だ〟という感覚に陥る。
 背が高くても、低くても、身体が太っていても、痩せていても、同じである。
 こうした観方は明らかに、余計な分別(フンベツ)につかまっており、悟りから最も遠いパターンなのだろうが、凡夫なので仕方がない。
 そして、〝不完全感〟は我が身にも及ぶ。
 身から心にも及べば、行く先は一つしかない。
 不完全で愚かしい未完成の自分はこれまで、何をやってきたか……。
 あの件にも、この件にも始末をつけず、あの人を相手にして、この人を相手にして、どれだけの〈未完結〉を積み上げてきたか。
 そして、あるいは相手が冥界へ旅立ち、あるいは自分にお金や時間や体力などさまざまなものが足りず、〈未完結〉はついに解消されない。
 ――もはや方法は残されていない。
 こうして行き詰まる時、自然に懺悔へと行き着く。
 
 懺悔といっても、イタリアの異才ブッツァーティの小説『この世の終わり』に出てくるような、天国へ生まれ変わるための告解(コクゲ)などではない。
 この世の終わりに際し、天国へ生まれ変わろうと聴罪司祭(チョウザイシサイ)を求める心とはまったく無関係だ。
 そうした目的など何もなく、ただただ、自分の愚かさを悔いずにはいられなくなる。
 ここでもまた、仏も神も登場せず、悟りとはほど遠い凡夫がいるのみである。

 しかし、電車の到着を予告するアナウンスが流れると、自然に、〈懺悔する異次元の箱〉が消える。
 去り行く人々も消え、視界は、自分と同じ目的でやってくる人々に埋め尽くされる。
 流離の気分も消える。
 車中の人となった時にはもう、東京で受ける伝授や修行へと心は切り替わっている。
 資料や本やボールペンが準備されれば、過去はどこにもなくなり、未来だけが待っている。

 プラットホームの懺悔はどこへ行ったのか?
 何の役に立ったのか、あるいは何の役にも立たなかったのか?
 わからないが、こんなことをいくたびも繰り返している。
 そして、日々、懺悔の文を唱えている。
「我れ昔より造りし所の諸(モロモロ)の悪業(アクゴウ)は皆な無始(ムシ)の貪瞋癡(トンジンチ)に由(よ)る身語意(シンゴイ)より生ずる所なり。
 一切(イッサイ)我れ今、皆な懺悔(サンゲ)したてまつる」

 今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=WCO8x2q3oeM


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 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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