コラム

 公開日: 2015-06-18 

観音様やお地蔵様がつなぐ死者と生者 ―東日本大震災被災の記(第168回)―

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。




 国際日本文化研究センター教授磯前順一氏は、仙台市若林区荒浜地区の観音像を訪れ、『死者のざわめき』に記した。

1 観音様の話

「観音像がなぜいま被災地に求められているのか、それが少し分かりはじめた気がした。
 観音さまによって死者の声々が、現在を生きる生者へとつながるのだ。
 そして、生者もまた自分の気持ちが死者に届くと思い描くようになる。」

 なぜ、観音様によって「死者の声々が、現在を生きる生者へとつながる」のか?
 なぜ、観音様によって「生者もまた自分の気持ちが死者に届く」のか?

 それは、私たちに備わっている宗教意識の根底に〈依り代(ヨリシロ)〉という感覚があり、私たちは依り代を前にしてこそ、慰霊が可能になるからである。
 言い換えれば、私たちは、自分の気持の問題として死者を偲ぶだけでなく、何らかの形で死者を慰めたい、死者へ思いを伝えたい、死者と会いたいという強い気持を宗教行為へ託すのだ。
 いつでもどこでも、何もなくてもできる〈追悼〉は思い出を深める行為であり、宗教者によって法が結ばれた依り代をを介して死者と向き合う〈慰霊〉は宗教行為である。
 たとえば年配者のクラス会を、亡くなった仲間への黙祷から始めるのは飲み屋でも可能だが、家族を心配しつつ亡くなった夫の一周忌を行いたいならば、寺院へでかけなければならない。
 死者の思いを〈そのままにしてはおけない〉から行う慰霊は、思い出の問題ではない。
 安心して欲しい、成仏して欲しいという生者の願いを死者の世界へ届け、死者に安心世界へ融け入って欲しいから供養を行う。
 願いの持続によって一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、三十三回忌を行い、死者はあの世で安心世界へ導かれ、生者はこの世で不安を安心へと変える。

 こうした意味において、観音様は一種の依り代である。
 そこに降り、居てくださる仏界の観音様へ手を合わせればこそ、仏界へ融け入りつつある死者とつながる。
 観音様の優しさが生者への慰めとなり、その実感が、死者を慰めてくださるに違いないという安心をもたらす。
 ご先祖様から受け継いだ尊い宗教意識がはたらき、この世もあの世も救われる。

2 お地蔵様の話

 磯前順一氏は岩手県大槌町へ贈られた51体のお地蔵様について記している。

「仮設団地では、最初は地面に直接置かれていたお地蔵さんがブロックの台座の上に置かれ、いつしか花瓶に花が供えられるようになる。
 引きこもりがちな人もお地蔵様の周りに集まるようになり、コミュニケーションの機会が増えていく。
 さらに興味深いのが、各仮設団地でよだれ掛けや帽子や首飾りなど、思い思いの形でお地蔵さんをお祀りするようになったことである。」

 そして、寄贈者である僧侶の言葉を伝える。

「実は、贈ったお地蔵様は、どれも同じ顔をした石像ですが、人が拝むとその顔が変わってきます。
 仏さまは人が拝むと表情が変わるのです。
 大槌町の五十一体のお地蔵様も、それぞれの場所でそれぞれの拝まれ方、祀り方をされていますから、その思いを受けて顔に変化があるはずです。
 お地蔵様の顔をじっと見ていると、それがどれくらい拝まれたかがわかる。
 逆に言うと、お地蔵様がどれくらいの人を救ったのか、わかるということです。」

 そのとおりである。
 かつて、東寺の宝物展へでかけ、古く小さな普賢延命菩薩の掛け軸を観て動けなくなったことを思い出す。
 込められた濃く、深く、重く、大きなたくさんの祈りが得も言われぬ気配として漂っており、柱の陰から合掌した。
 また最近では、おりおりにご祈祷を依頼してこられ、ついに大きな飛躍を遂げることになったAさんのお宅へ招かれた時の印象が忘れられない。
 ごく普通のサイドボードの上に並べられ、水の供えられた数体の御札が、まるで輝くように周囲を明るくしていた。
 日々、Aさんがいかに祈りを欠かさなかったか、その篤い思いにうたれつつ修法を行った。

3 追悼と慰霊

 私たちは、大震災によって慰霊せずにはいられない思いになった。
 観音様やお地蔵様へ手を合わせないではいられない思いになった。
 ごく普通のご葬儀によって死者を送れないがゆえに、慰霊する気持が強まった。
 追悼では済まされない。
 追悼はおさまらない。
 無念や悲嘆や寂寥や恐怖を解き放ってさしあげないではいられないのだ。
 つまり、送ること、お慰めすること、すなわち、ご葬儀とご供養とは、単なる追悼ではない。

 あれから4年が経過した今、私たちはいかなる気持でご葬儀やご供養を行っているだろうか。
 もしも生者が思い出に浸る追悼で済ましているならば、真の慰霊を行わないでいられなかった体験は一体、何だったのか、ということになりはしないだろうか。
 観音様やお地蔵様へ手を合わせ、大震災という未曾有のできごとによって蘇った私たちの根源的宗教意識を大切にしつつ進みたい。

 今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8


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 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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