コラム

 公開日: 2015-06-30 

公開Q&A(その9) ―因果応報だからすべては自分のせい?―

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。





 岩手県に在住するAさんからの人生相談です。

「どうして私の人生はこうなったんでしょうか?
 考えてみました。
 仕事を離れたのも、病気になったのも、誰のせいにもできず全部、自分のせいだということはわかりました。
 ああすればよかった、こうしたのが悪かったと、それも、よくよくわかりました。
 でも、せっかく因果応報が理解できても、今までの人生をやり直せないじゃありませんか。
 なぜ、という疑問は解けても、結局、自分を責めるしかありません。
 もう、袋小路です。
 困り果てました」

 まず、〈自分のせい〉という考え方に問題があるとしても、自分の外側にある事実を探求するだけでなく、自分自身に問題を見出すところまで突き詰めてお考えになられた成り行きを肯定しておかねばなりません。
 誰かのせいにする姿勢は結局、一生、不幸と不満と争いを背負う道だからです。
 こんなお話を申し上げました。

「そうですね。
 自分の人生がどうであるかについて、自分自身のありようが最も問われねばならないという点は、そのとおりでしょう。
 自分と社会や世界について苦しみ、考えぬいたお釈迦様も、自分自身が真理を観ていなかったことに気づかれました。
 そして、自分を含め、全てが因と縁で成り立っているこの世をありのままに観て、何かを不変の実在ととらえて愛憎さまざまに執着し苦しむ生き方を離れるよう説かれました。
 また、因は縁を伴い必ず結果をもたらす以上、よき結果としてのよき人生やよき人間関係などを求めるならば、自分自身がよき因をつくり、よき縁となる正しい道を歩めと説かれました。
 さて、この因果の法則は二つの面から考えねばなりません。

 一つは、精神世界と物質世界、言い換えれば、人間と自然という問題です。
 たとえば、嫁をいびっているつもりが、年をとるに従って、いつの間にか嫁にいびられるようになって辛い思いをするならば、これはほとんど精神世界、人間世界の因果応報です。
 しかし、どこも悪くなかったのに突然、大病を患ったり、天変地異の被害に遭ったりするのは、ほとんど物質世界、自然界の因果応報です。
 もちろん、二つが絡み合って実際の人生は展開されますが、後者の問題について自分自身を責めても仕方がありません。

 もう一つは、個人と社会、言い換えれば業(ゴウ)と共業(グウゴウ)という問題です。
 たとえば、自分が古い食材を売りながら儲け、食中毒者が出て逮捕されれば個人的悪行(アクギョウ)のせいであり、個人的悪業(アクゴウ)が人生の暗転を招いたことになります。
 しかし、水銀汚染でやられた水俣の方々や、アスベストを吸い込んで胸をやられた方々の苦しみは、社会からもたらされたものであり、巨大な悪しき共業(グウゴウ)による被害者です。
 そうした企業や社会を変えない限り、個人個人は悪影響に抗しきれません。

 このように因果関係をあらためて考えてみると、Aさんが仕事を離れた理由は、どこにあるでしょうか?
 病気になられた理由はどこにあるでしょうか?
 本当に全部〈自分のせい〉ですか?
 運命とは思われませんか?
 運命は、明るい面も暗い面も、自分だけで創る、創られるものではありません。
 たとえば、ご主人と結婚されたことを運命とは思われませんか?
 お子さんが授かったことを運命とは思われませんか?
 こうしてここに座っておられることを運命とは思われませんか?
 運命とは命を運ぶ流れであり、自分は運ばれている者です。
 もちろん、運命という河をどう泳ぐかは自分の泳ぎ方次第ですが、自分で河を造れると思うならば、それは思い上がりかも知れません。
 80才を超えたBさんがしみじみ言われました。
『80才になってようやく、生かされているということが強く実感できました。
 自分のはからいなど、たかが知れています。
 運命の中でここまで生きてきて、もうすぐ運命が閉じるという実感があります。
 ご本尊様の前に足を運び、写経をさせていただき、ようやく、ありがたいと心から思えるようになりました』

 因果応報を観るのは、運命を観ることでもあります。
 運命を観れば、自分の矮小さに気づきます。
 それは、自分の健気(ケナゲ)さ、哀(カナ)しくも愛(イト)しい哀れさに気づくことでもあります。
 朝、起きて顔を洗う自分を客観的に眺めてみてください。
 健気ではありませんか?
 ご主人を眺めてください。
 健気ではありませんか?
 遠くにいる娘さんを想像してみてください。
 健気ではありませんか?
 顔を洗えば食事をし、その日、一日を生きようとする小さな小さな一つの生命体……。
 そうして生きている人間誰もが、健気と言うしかないではありませんか。
 深い息をしながら想いを広げれば、生きとし生けるものすべてが健気です。

 こうして、ご自身の因果応報だけでなく、多面的な因果応報のからまりである運命を感得してください。
 健気で、愛しく、哀れな自分を責めることなどできましょうか。
 Aさんも私も、等しく、健気で、愛しく、哀れな存在です。
 生のある限り、共に笑い、共に泣きつつ生きようではありませんか」

(※プライバシーを充分、守られる文面になっています)

 今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8


 ご関心のある方は当山のホームページ(http://hourakuji.net/)をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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