コラム

 公開日: 2015-07-26 

神殺しの日本人とお盆の意義 ―梅原猛氏の警告に思う―

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。




 来月はお盆を迎えます。
 一年で最も盛んに行われる仏教行事ですが、〈長期休暇〉にばかり気を取られず、ご先祖様からいのちを受け継いで今の生を生きる私たちは、本来の意義を思い起こし、この時期に人としてなすべきことを考え、実践しようではありませんか。

○日本の神殺し

 哲学者梅原猛氏は指摘しました。

「近代日本において神殺しは二度にわたって行われた。」
「廃仏毀釈(ハイブツキシャク)が一度目の神殺しであった。」

 明治に入ってすぐに行われた国家による仏教排斥運動は、現代の私たちが「けしからん!」と叫ぶIS(イスラミック・ステート)の仏教遺跡破壊などとは比べものにならぬほど過激で、徹底した蛮行でした。
 テロは、ISのメンバー一人一人に確固たる宗教的信念があっての異教へ対する破戒行為ですが、日本で起こった官憲や住民による仏教寺院の破壊は、それぞれが先祖から受け継いだ聖なるものへ無理やり刃を向けさせられるという悲惨で恐ろしいものでした。
 ご本尊様や寺院や過去帳は破壊され、焼かれ、還俗(ゲンゾク)させられた僧侶は生きようとして兵士になる者も多かったとされています。
 国家を強くするために心を一つにするよう求められた国民は、現人神(アラヒトガミ)に祭り上げられた天皇と現人神のご先祖様である天照大神(アマテラスオオミカミ)などの神々のみを奉じました。
 み仏だけでなく、自然信仰とあいまった多様な神々もまた、排斥されました。
 嵐のようなできごとを記した資料の多くは敗戦後に抹消されて一種のタブーとなり、廃仏毀釈と国家神道に関する広汎な検証や研究はいまだに不徹底です。
 日本人の持つ一面をきちんと知り、人の心を縛るという恐ろしい国家的蛮行を二度と繰り返さないために、決して〈無かった〉ことにはできない歴史的できごとです。

 梅原猛氏は第二の神殺しも指摘します。

「敗戦によって新しい神道も否定された。
 現人神そのものが、実は自分は神ではなく人間であると宣言されたことによって、この神も死んだ。」
「日本は西洋よりもっと徹底的に神仏の殺害を行ったことになる。」

 そして続けます。

「この神仏の殺害の報いは今徐々に表れているが、以後百年、二百年経つと決定的になるであろう。
 道徳を失っているのは動機なき殺人を行う青少年のみではない。
 政治家も官僚も学者も芸術家も宗教心をさらさらもたず、道徳すらほとんど失いかけているのである。
 政治家や官僚が恥ずべき犯罪を行い、学者、芸術家も日々荒廃していく世の動きに何らの批判も行わず、唯々諾々とその時代の流れに身を任せているのは道徳の崩壊と言わねばなるまい。」
「私は、小泉八雲が口をきわめて礼賛した日本人の精神の美しさを取り戻すには、第一の神の殺害以前の日本人の道徳を取り戻さねばならないと思う。」

○江戸時代の寺子屋に日本人の精神を思う

 当山は氏の指摘を待つまでもなく、江戸時代までの寺子屋で広く用いられた『実語教・童子教』を毎月、読み続けています。

「山高きが故に貴(タット)からず。
 樹(キ)有るを以(モッ)て貴しとす。
 人肥えたるが故に貴からず。智有るを以て貴しとす。
 富は是(コレ)一生の財(タカラ)。
 身滅すれば即ち共に滅す。
 智は是万代(バンダイ)の財。
 命(イノチ)終われば即ち随って行く。」

 人の徳は、地位や財産や体格では測られません。
 この世でどう生きたかという〈まっとうさ〉こそが大切であり、あの世へ持って行けるものは、善き業(ゴウ)という徳の香りだけです。
 もちろん、悪しき業は腐臭となり、地獄や餓鬼や畜生の世界へ導くことでしょう。
 この文章は『実語教』の冒頭にあり、江戸時代までは、小さな児童から市井の大人に至るまで、人倫の基礎を身につけていました。

○聖徳太子に日本人の精神を思う

 一方、聖徳太子の十七条憲法は為政者の鏡となり、第一条の「和をもって貴しとなす」を目ざし、決定的な対立を招かぬよう穏和な話し合いを行う文化が守られてきました。
 梅原猛氏の言う「日本人の精神の美しさ」は、大和の国にとって「和」を抜きにしては語られません。
 幾度も書いているとおり、特に、最後の第十七条は権力者への普遍的戒めとなっています。
 小さなことなら独断でやむを得ない場合もあるが、大きな問題ほど、過ちを避けるため正々堂々、公正な論議を尽くさねばならないと締めくくっているのです。

「それ事(コト)は独(ヒト)り断(サダ)むべからず。必ず衆とともによろしく論(アゲツラ)うべし。
 少事はこれ軽(カロ)し。
 必ずしも衆とすべからず。
 ただ大事を論(アゲツラ)うに逮(オヨ)びては、もしは失(アヤマチ)あらんことを疑う。
 故に、衆とともに相弁(アイワキマ)うるときは、辞(コトバ)すなわち理(コトワリ)を得ん。」

 ここで最大のポイントは「間違っているかも知れないと疑う」というくだりです。
 聖徳太子は日本史上まれにみる大天才であり聖者でもありますが、本人は「自分はもとより凡夫である」と述べておられます。
 そして、自らの考えに過ちがあり得ることを熟知した上で訴えました。
「どうか皆さん、いかに正しそうな、あるいは妥当そうな思想や主張や施策であっても、私たち凡夫のやることですから、過ちがあり得るという前提で、衆知を集め公正な議論を行い、人々のため、過たないよう万全を尽くしてください」

 ちなみに、かつての自民党は各派閥の論客を集めた総務会においてこの伝統を守り、全員の納得を得て衆議一決するまで徹底的な議論を行いましたが、小泉内閣時代に多数決を採用し、以後、麗しい伝統は失われ、政界全体から〈多数派の慎重さや謙虚さ〉が消え去ったように思われます。
 グループを白か黒か、多数か少数か、勝者か敗者かと単純に二分し、多数派から「改革」と称する目新しい政策が一方的かつ、次々と登場する危うい政治となった背景には、勝った負けたを面白おかしく眺める有権者とマスコミの姿勢が大きくかかわっていることを忘れるわけにはゆきません。

○お盆の意義を考える

 上記のとおり、梅原猛氏の指摘に従い、私生活を行う個人としての人倫と、権力を用いる社会人としての人倫を考えました。
 ようやく、お盆に入ります。
 お盆は、二度の「神殺し」にも消滅させられなかった「日本人の精神の美しさ」が表れる大切な宗教行事です。

 日本人は自分のいのちを決して〈自分だけのもの〉とは考えず、ご先祖様から受け継ぎ、子々孫々へ受け継ぐ〈預かりもの〉と受け止める感覚を大切にしてきました。
 だから「おかげさま」なのです。
 目に見えない「御陰」とは仏神であり、御霊です。
 同時に、目に見えない天地万物や社会から受ける恩恵もまた私たちがいのちをつないで生きるためには欠かせず、こうして、時間的・空間的に無限の功徳へ感謝する言葉としての「おかげさま」は私たちの倫理を支えています。
 ご先祖様や先亡の家族を菩提寺や家でお迎えし、あるいは、お世話になった方々や忘れられない方々のお墓へお詣りするお盆は、日々の暮らしや仕事に追われている私たちがともすれば忘れかけている人間として欠かせない「おかげさま」の心を思い出し、自分の具体的な行動をもってそれをはっきりと御霊へお伝えするかけがえのない機会です。
 以下、長澤弘隆師編著『真言宗檀信徒のよろこび』を元に、お盆を過ごす心構えについて述べてみます。

一 報恩の精神

 ご先祖様のいない人は一人もいません。
 もしも遙かなご先祖様のお一人でも欠けていたなら、私たちはこの世に生を承けていなかったはずです。
 いのちをつないでくださったご先祖様は何とありがたいことでしょうか。
 自然ですなおな感謝の心を形に表しましょう。

二 ご先祖様に対する願い

 ご先祖様は決して無になってはおられません。
 影が形に従うように、いつも私たちをお見守りくださっています。
 その証拠に私たちは、大病に罹ったり、戦場へでかけたりするギリギリの場面で合掌するではありませんか。
 その対象が亡き母であれ、あるいはお大師様であれ、あるいは観音様であれ、すべて「御陰」と言うしかない方々です。
 普段は忘れていても、私たちは無意識のうちにそうした存在を知っており、感じてもいます。
 だから、ご先祖様にご安心いただき、ご加護いただくよう、自然ですなおな願いを持ちましょう。

三 自分を見つめ直す

 本堂や精霊棚や墓地でご先祖様の御霊と時間空間を同じくし、「御陰」を実感することによって、普段は気づかない、あるいは忘れている自分のルーツや家族、親族とのつながりを自覚します。それは、自分が何者であるかを見つめ直す機会でもあります。

 こうしたことをふまえ、同著は指摘します。

「日本中が仕事を休み身体を休めて本当の人間性に戻る日、それがお盆です。
 だからこそ人々はこぞってふるさとを目指し、なつかしいわが家へ帰るのです。」

 大切な時期を有意義に過ごしましょう。

 今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=WCO8x2q3oeM


 ご関心のある方は当山のホームページ(http://hourakuji.net/)をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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