コラム

 公開日: 2015-07-28 

幸せな死とは(その3) ―愛すること=幸せに生き、死ぬこと―

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。





 外科医中山祐次郎氏著『幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと』を読んでいます。
 
 氏は最終章で、驚くべきことを言い出します。

「あなたは死なない。
 なぜなら、自分が死ぬときは、それを自覚することはできないし、体験もできないのです。
 思い出せないし、メモも取れないし、SNSにもアップできないし、誰にも伝えられない。
 だってあなたは死んでいるのですから。
 そうだとしたら、『幸せな死』というのは、いったい誰にとっての幸せなのでしょうか。
 私はその答えを『あなたにとって幸せなのではなく、あなたの大切な人にとっての幸せ』な死なのだ、と考えています。
 私たちは、大切な人のために、大切な人をより大切にし慈しむために、『幸せに死』んでいかなければならないのです。」

「私は、幸せに死ぬためには、幸せに生きることが必須だ、と考えています。
 前にもお話ししたように、『人は生きたように死んでいく』からです。」
 
「人を真剣に愛した分だけ、その人は最期のときに愛されます。
 幸せに生きた人は、幸せに死んでいくのです。」

 私たちは死〈について〉考えることが容易でも、死〈を〉考えるには居住まいをたださねばなりません。
 なぜなら、体験が不可能なだけではなく、体験に近いところまで想像することも難しいからです。
 私たちは死というものを、見えず、聞こえず、話せず、動けず、意識がなくなり、呼吸と脈拍が止まって冷たくなると想像しますが、それらは、ほとんど、誰かの死に立ち会ったり、誰かの死について見聞きしたり、誰かが書いた本で読んだりした範囲からの類推でしかなく、自分が実際に痛み、苦しみ、意識が遠のく状態になりながらそれを考え、判断したことを生の中で生かせはしません。
 そこのところを、医師は「あなたは死なない。」と端的に述べました。

 そして、死の現場にたずさわってきた一人の人間として行った証言「人は生きたように死んでいく」にはあまりにも重いものがあります。
 しかし、仏教的に考えればそれは当然なのです。
 なぜなら因果応報は動かせぬ原理であり、いかなる思惑も、とり繕いも、自分で自分の生が保てなくなれば通用しないからです。

 一生を過ごした人が人生の最後に否応なく明らかにするのは、「人を真剣に愛した」かどうかであるという指摘は重要です。
 お金があれば生きる環境を調えられるし、権力があれば周囲へ意志を通せるし、才能があれば他人様へ頭を下げなくても自力で生きられます。
 でも、人を愛するかどうかは、何かのあるなしと無関係です。
 それは私たちへ等しく備わっている霊性の発露であり、手にしているものや身に具わっているものや社会的立場などとは次元の違う真実だからです。

 Aさんは言われました。
「私は動ける限りゴミを拾い、掃除し、言える限りありがとうを言い、できる限り夫の世話をし、倒れたら救急車を呼んでもらわず自然に逝きたいと願っています。」
 このAさんこそ、人を真剣に愛している人ではないでしょうか。

 Bさんは言われました。
「妻は、自分のお骨を私のそばに置き、私が死んだら二人一緒に法楽寺の樹木葬『法楽陵』へ入れて欲しいと希望していました。」
 ご夫婦の真剣な愛が証されました。

 一方、何不自由なく生活し、成人した子供もいるCさんは、夫が遠方へ単身赴任したままになっているので、お寺へ通うのが面倒になり、お墓を整理しようと思い立ちました。
 そして、頼んだ石屋さんにたしなめられました。
 肝心のお骨を人知れずゴミに出そうとしていたことが発覚したからです。
 開いた口が塞がらない、と言うより、とうとうここまで来たか、というのが偽らざる実感です。
 子供の頃から、あまり人の道を学ぶ機会がなく、処世の術だけを追い、競争させられる文化によって咲いた毒花を観る思いです。

 いま、政府は大学から「なぜ生きる?」と問う文化系の予算を減らし、「どうやって生きる」かを手にする理科系の予算を増やそうとしています。
 一人一人が考え、疑問や問題意識を持ち、研究する機会を減らす代わりに、国家が定めた道徳教育を早くから施そうとするやり方は、納得できません。
 村上春樹氏は『村上さんのところ』に書いています。

「人文系ってあまり直接的な役に立たない学問だけど、直接的な役に立たない学問って、世の中にとってけっこう大事なんですよね。
 派手な結果は出さないけど、じわじわと社会を下支えしてくれるから。
 小説も同じです。
 小説がなくたって、社会は直接的には困りません、
 でも小説というものがなくなると、社会はだんだん潤いのない歪んだものになっていきます(いくはずです)。」

 倫理を基礎にした有形無形の歯止めが薄れてゆく中で、より鋭利な刃物をどんどん社会へ供給するような状況がはらむ危機はいつ、誰によって自覚されるのでしょうか。

 私たちが「人を真剣に愛し」、「幸せに生き」、「幸せに死んでいく」ためにはどうすればよいか、よく考えたいものです。
 
 今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0


 ご関心のある方は当山のホームページ(http://hourakuji.net/)をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

この記事を書いたプロ

大師山 法楽寺 [ホームページ]

遠藤龍地

宮城県黒川郡大和町宮床字兎野1-11-1 [地図]
TEL:022-346-2106

  • 問い合わせ
  • 資料請求

このコラムを読んでよかったと思ったら、クリックしてください。

「よかった」ボタンをクリックして、あなたがいいと思ったコラムを評価しましょう。

0

こちらの関連するコラムもお読みください。

<< 前のコラム 次のコラム >>
最近投稿されたコラムを読む
Q&A
セミナー・イベント
お客様の声

○Aさん(中年女性)の場合 心身の不調を縁としてご加持を受け、自分の願いが通じると実感されました。 そして祈り方を覚え、商売や家庭にさまざまな問題を抱えなが...

 
このプロの紹介記事
遠藤龍地 えんどうりゅうち

人々が集い、拠り所となる本来の“寺”をめざして(1/3)

 七つ森を望む大和町の静かな山里に「大師山 法楽寺」はあります。2009年8月に建立されたばかりという真新しい本堂には、線香と新しい畳のいい香りが漂います。穏やかな笑顔で出迎えてくれた住職の遠藤龍地さんにはある願いがありました。それは「今の...

遠藤龍地プロに相談してみよう!

河北新報社 マイベストプロ

宗教宗派を問わず人生相談、ご祈祷、ご葬儀、ご供養、埋骨が可能

所属 : 大師山 法楽寺
住所 : 宮城県黒川郡大和町宮床字兎野1-11-1 [地図]
TEL : 022-346-2106

プロへのお問い合わせ

マイベストプロを見たと言うとスムーズです

022-346-2106

勧誘を目的とした営業行為の上記電話番号によるお問合せはお断りしております。

遠藤龍地(えんどうりゅうち)

大師山 法楽寺

アクセスマップ

このプロにメールで問い合わせる このプロに資料を請求する
プロのおすすめコラム
村上春樹氏の「影と生きる」に想う ─影が反逆し始めた世界─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 世間は万華鏡 ]

自衛隊員の本音 ─出征する覚悟、辞める無念─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 不戦堂建立への道 ]

12月の守本尊様は千手観音菩薩です ─救われる時─
イメージ

 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故...

[ 今月の守本尊様・真言・聖語 ]

Q&A(その32)自業自得なら廻向で救われない? ─因果応報と空の話─
イメージ

 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故...

[ 仏教・密教 ]

一年と一周忌供養 ─あの世でもこの世でも救われる話─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 葬儀・供養の安心 ]

コラム一覧を見る

スマホで見る

モバイルQRコード このプロの紹介ページはスマートフォンでもご覧いただけます。 バーコード読み取り機能で、左の二次元バーコードを読み取ってください。

ページの先頭へ