コラム

 公開日: 2015-08-12 

いろいろに泣けた話 ―軍神広瀬中佐、九軍神をめぐって―

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。




〈午前3時前に起こされ、やや迷惑そうなクロ〉

 年をとると涙もろくなると言われるが、子供だって涙もろい。
 小学一年生の時、胸を患い、仰臥したままで画と文字の入った『嗚呼(アア)、広瀬中佐!』を読み、泣けた。

 明治37年、日露戦争のおり、旅順港の入り口を塞いで敵艦の一挙撃滅をはかる作戦がとられた。
 閉塞のために沈められる予定だった第二船福井丸の指揮官広瀬少尉(当時)は、敵駆逐艦からの魚雷攻撃を受けて沈没する船から全員が退去する時、部下の杉野孫七上等兵曹がいないことに気づいた。
 杉野は、船倉にある自爆用の弾薬へ着火する任務を課せられていたので、そこへ向かったものと思われた。
 広瀬は一人、沈み行く福井丸へ戻り、船内を三度捜索した。
「杉野は何処(イズコ)!杉野は居ずや!」
 この言葉と、叫ぶ広瀬の画は60年以上経った今も忘れられない。
 杉野はついに見つからず、とうとう救命ボートへ乗り移らざるを得なかった広瀬は敵弾の直撃を受け、戦死した。
 この時の広瀬について誰かが「軍神」と唱えた。
 そして、日露戦争戦勝30周年の昭和10年、中尉になった広瀬の故郷大分県竹田町に広瀬神社が創建された。
 軍神の誕生である。

 また、昭和16年、日本軍がハワイの真珠湾を攻撃した際に、5隻の特殊潜行挺に乗って敵艦へ体当たりした9人も軍神とされた。
 出陣に当たり、「行って参ります」ではなく「逝きます」と挨拶して出陣したという。
 敗戦後10年も経たない頃は、親孝行な若者が国家のため、自らいのちを投げ捨てたという戦意高揚の物語がまだ、残っていた。
 古本で読んだ小生は泣いた。

 ところが最近、新谷尚紀著『お葬式』を読んで驚き、己の浅はかさにうなだれた。
 九軍神の一柱である上田定(カミタサダミ)兵曹長(当時26才)の母親上田さくさんが、「九軍神」と報じられたことを受けて祝福に訪れた増本村長へこう言っている。

「あんた(あなた)にはおめでたいことかも知れんけど、わし(わたし)のためには、さだみの命を、国に捧げたことは、いっそ(ちっとも)おめでたいことじゃありません。
 あんたには親の心はわからんでしょう。
 はあ、えっと言わんこう(もうたくさんお話にならないで)、往(イ)んでくれんさい(帰ってください)。
 志願したわけじゃない、上の命令で行かずにならなくなった…、さだみは、しかたなしと言うとった…」。

 そうだろうなあ、と呟きつつ泣けた。
 もしも、自分の娘婿がこうして死んだならどうだろう、もしも孫がこうして死んだならどうだろう。
 母親ならずとも、誰が万歳できようか。

 同著は書く。

「女丈夫(オンナジョウブ)で知られた、さくさんの言葉を聞いた近所の人たちはみんな強く胸を打たれたという。
 戦時下のこと、そんなことは言ってはならないことと思いながらも、さくさんの、悲痛と激情については母親としてもっともだとみんな思ったというのである。
 しかし、それからまもなく、軍神の生家となった上田家には、各地からの『軍神の生家もうで』があいつぐようになる。
 世間の眼や社会の要請にこたえざるをえず、真夏の暑い日でもよそいきの着物でかしこかって訪問客に対応するさくさんの姿が痛々しかったという。
 もちろん、このような話は記録になどされていないし、声高(コワダカ)に話す人もいなかった。
 ただ当時の体験者たちの記憶に強く残っているだけである。」

「何よりも重要なのは、書き残されることのない、さくさんのような軍神の母親たちの真の心情と、その悲痛と激情の表現、というような歴史事実は、多くの場合、新聞報道や雑誌や書籍の記事による大量情報流通をもとに記述される歴史書の編纂という作業の中では、二度と確かめることのできないような闇の中に消えてしまう、ということである。
 民俗学をはじめとする広義の歴史学の射程とは、このような新聞や書籍に書かれることのない事実にも注意を怠らないものでありたいと思うしだいである。」

 新谷尚紀氏は、「大量情報流通」だけを調べて満足せず、現場を訪ね、当事者から話を聴いた。
 だから、「闇の中に消えてしまう」はずの真実をつかめた。
 小生も、托鉢に歩いたのでよくわかる。
 寺の中にいては決して耳にできないであろう本音を正面からぶつけていただいた。
 問題点も願いも、苦悩も怒りも、安心も信頼も皆、真実だった。

 私たちは知らねばならないと思う。
 生きて語る、あるいは語らない、もしくは語れない、そして語ることのできなかった人々の真実を。

 最後に、軍神とされた上田定兵曹長の弟上田武三氏が兄の五十回忌を前に初めて訪れた真珠湾で「花と米と酒を捧げた」時に、「腹の底から湧き上がってきた」思いを書きとめておきたい。

「骨を拾ってやりたい」

 またもや、深々と、泣けた。

「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA


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 山里の寺から、有縁無縁の方々の、この世の幸せとあの世の安心を祈っています。

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