コラム

 公開日: 2015-09-07 

苦しみや困難を乗り越える方法(その2) ―修行の方法は?―

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。





〈松久宗琳作摩耶夫人(マヤブニン)像〉

 前回、ダライ・ラマ法王の言葉を書いた。(http://mbp-miyagi.com/mamorihonzon/column/12082/

「自分自身の心のありようが穏やかなものであり、現実を客観的につかんだ上での対応をすることができて、自分自身に自信を持っている方の場合には、たとえ困難な状況に直面しても、心がかき乱されることはなく、精神力で乗り越えていくことができるわけなのです。」

「困難な状況に出会ったときには、自分の中の精神力を奮い立たせ、自信を持つことによって、決して厭世的にならず、楽観的なものの見方をして、問題に立ち向かっていこう。」

 そして、私たちがそうした心になるための日常生活における方法について、サンプルも記した。
 しかし、理想はわかっても、人間関係の現場において自分の心は思い通りにはたらいてくれない、と悩む方も少なからずおられることだろう。
 どうすればよいか?
 今回は、心をつくるための方法について、具体的に考えてみよう。

 法王はまず、自分の慈悲心が本ものかどうか確かめる必要があると説く。

「私たちが他の人を助けようとしても、相手がそれをどう受け取るかは、その相手によって異なります。
 ありがたく思う人もあれば、迷惑に思う人もあるのです。
 それは『その人の勝手』ということになるのです。」

 私たちの人生には、恩を仇で返すというできごとがどうしても、起こる。
 自分勝手な損得勘定がそうさせる場合もあれば、複雑な義理などがからんでそうなる場面もあれば、心ならずもそうなってしまったというケースもある。
 いずれにしても、情けをかけた側からすれば裏切られたことになるが、こちらの善意にどう反応するかは相手の勝手なのだから、それによって怒ったり、恨んだりしてもしようがない。

「もし私たちが、その相手から感謝されたい、あるいは恩返しを受けたいという気持ちから慈悲の心を実践している場合、本物の慈悲の心だと言うことはできません。
 相手がどのように受け取ろうとも相手のためを思って、真摯な気持ちで相手を助けたいと話すときに、その慈悲の実践が本物の慈悲の行いになります。」

 小生は自分の人生を振り返り、恩を仇で返したできごとを思い出しては懺悔と自戒をしながらここまで来たつもりだったが、恩を仇で返されたできごとを思い出すと、いつも〝けしからん!〟という気持になっていたことに気づいた。
 特段、相手に対して感謝されたいと期待したり、恩返しを求めたりはしなかっただけに、相手の卑劣さや愚かさが許せなかった。
 これでは、「本物の慈悲の心」ではない。

「本物の慈悲の心というものは、たとえ自分の敵である存在に対してももたなければならない心です。
 私たちは自分の愛しい人に対してだけ、愛情を持つことができるのですが、そのような愛情は偏見に満ちた心となってしまいます。
 さらに、相手から何らかの見返りを期待しているような場合も、本物の慈悲の心になっていません。」

 ダライ・ラマ法王は、中国から亡命してきたチベット人がようやくインドのダラムサラにある亡命政府のもとへ到着すると、ねぎらいの説法をされる。
 そこでは必ず、子供たちへも「決して中国人を憎んだり恨んだりしてはならない」と諭す。
 たとえ故郷チベットで親を殺されていようが、〈恨みを晴らす〉などという一心で育ってはならないのだ。
 そこを乗り越えてこそ「本物の慈悲の心」がつくられてゆく。

「自分の心のなかで本物の慈悲の心が高まったことによって、自分自身が心の平和を得ることになるわけで、自分自身がその恩恵をまず第一に受けることができます。」

 確かにそうだ。
 相手が具体的に救われるという結果を待つまでもなく、相手へ心から情けをかけることができる本人がまず、救われているのだ。

 では、そうなるための方法は?

「私たちはその行為をなす人と、その人の行為をはっきりと分類しなければなりません。
 すなわち、自分に対して何らかの害をもたらす敵のような存在にも、その敵に対する慈悲の心を失ってはなりません。
 しかし、その敵が害をなす何らかの行いに対しては、何らかの対策法があるのであれば、できるだけ防がなければならないのです。
 敵のしてくる悪い行為は許さない、けれどその間違った行為をしている人に対しての慈悲の心を失ってはならないということです。」

 私たちは、孔子もキリストも説いた「罪を憎んで人を憎まず」という言葉を知っている。
 仏教も同じである。
 こう読んでから、あらためて自分を裏切った人々の顔を思い出してみると、AさんもBさんもCさんも哀れに思えてくる。
 そして、不思議にも、自分が本当に彼らに対して愛情をもって接していたかどうか、怪しくなってくる。
 むしろ、自分に何かが足りなかったから彼らがああした行動に走ったのかも知れないとすら思えてくる。
 あの頃、自分は知らなかった。
 ――仏教には具体的な瞑想法があるということを。

 怒りに心を占領されがちな行者には「慈心観(ジシンカン)」がある。
 三つのタイプを思い浮かべ、いずれの人々にも等しく苦しみがあると観じるのだ。
 親しい人や良い人にも、憎い人や悪い人にも、どちらでもない人にも……。

 確かに自分は恩を仇で返された被害者だ。
 恩を仇で返す行為は悪い。
 しかし、師や親も、AさんもBさんもCさんも、そして町を行き交う見知らぬ人々も等しく、ままならないという苦を抱え、死すべき宿命を負って生きていると想像する時、AさんやBさんやCさんだけが〈特別な人々〉とは思えなくなってくる。
 愛別離苦(アイベツリク…愛しい対象と別れる苦しみ)や怨憎会苦(オンゾウエク…怨み憎まないではいられない対象と巡り会う苦しみ)に涙しながら死への道を歩いている哀しい人々である。
 それは、自分も同じなのだ。
 そして、彼らが行った恩知らずな行為と、自分が行ってきた恩知らずな行為と、どこも違わない。
 彼らに対しては厳しく問い詰め、自分に対しては言い訳を付け加えてきたことにいかなる意義があるのか?
 恥ずべきではないのか?

 ちなみに、当山で行っている隠形流(オンギョウリュウ)居合にも「四無量心剣(シムリョウシンケン)」がある。
 こう念じて心の魔ものを切る。

1 慈無量心(ジムリョウシン)
 生きとし生けるものはすべて如来の輝きを秘め、身体にも言葉にも心にも不壊不変の尊さがある。
 身体も言葉も心もみ仏となる行に励み、自他共に、不変常住の大楽を得よう。

2 悲無量心剣(ヒムリョウシン)
 生きとし生けるものはすべて生まれ死す苦の海に沈み溺れ、己を知らず、勝手な分別によってさまざまな煩悩(ボンノウ)を起こす。
 身体も言葉も心もみ仏となる行に励み、自他共に、無限の功徳を得よう。

3 喜無量心(キムリョウシン)
 生きとし生けるものはすべて本来清浄であり、あたかも蓮華が汚泥に染められぬがごとく、本性清浄である。
 身体も言葉も心もみ仏となる行に励み、自他共に、自在なる智慧と福徳とを得ん。

4 捨無量心(シャムリョウシン)
 生きとし生けるものはすべて、己と儚(ハカナ)いものたちへの執着を離れる真実世界にあっては、平等である。
 心はもとより不生不滅であり、現象世界にあるものもすべて空(クウ)だからである。
 身体も言葉も心もみ仏となる行に励み、自他共に、姿形にかかわらず本来平等である理を覚ろう。 

 お釈迦様が説かれたとおり、「この世にあるものはすべて、ままならない苦を抱えている」という現象世界の現実がよく観えれば、「本物の慈悲の心」が起こるのではなかろうか。
 納得できる方法を実践しよう。

 今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y


 ご関心のある方は当山のホームページ(http://hourakuji.net/)をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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