コラム

 公開日: 2015-10-05 

懺悔と滅罪の先は?

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。




 第一例祭の修法後、滅罪が導く先について簡単な法話を行いました。
 滅罪はどこへ導くのでしょうか?

1 私たちは過つ存在

 私たちは、意図せぬままに過ちを犯してしまう生きものです。
 誰も避けられません。
 その根本的な原因は、生きものとして生まれたからです。
 生きものはまず、自分が生きたい。
 人間も同じです。
 それは、自分を第一にする判断となって表れ、他を押しのける自己中心的姿勢にもなります。
 自分が第一ということは、他者の利益や気持や立場を第二、第三にする事態であり、結果として容易に他者を傷つけ、苦しめてしまいます。

 さて、その一方で、大切な誰かのため、あるいは何かのために自分のことは忘れて、言い換えれば自分が生きたいという気持を脇へ置いて一生懸命やる場合もあります。
 また、善意が募れば被災地でのボランティア活動などの布施行に勤しむこともあるでしょう。
 こうした時は大丈夫でしょうか?
 それですら、私たちは過ちを犯す可能性から逃れられません。
 実際、善意のボランティアが、繊細な気配りや適切なふるまい方や周到な準備などの不足によって、救われるはずの人々を傷つけたり、結果的に迷惑をかけたりする場面は多々あります。

 私たちは全能ではなく、他者をよく理解できず、自分の頭に次の瞬間、何が浮かぶかもわからない存在であるがゆえに、気持のいかんにかかわらず、他者との関係において万全であることは不可能です。
 つまり、よかれと思ってすら、いつでも他者を傷つけ、苦しめてしまう可能性を持つ存在です。
 仏教的に言えば、せっかくみ仏の子としての仏性(ブッショウ)を持って生まれてきたのに、煩悩(ボンノウ)がその邪魔をして、過ちを犯させてしまうのです。
 ここにこそ、懺悔(サンゲ)と滅罪の根本的必要性があります。

 こうした自分の根本的ありようを眺めると、悲観的になってしまうかも知れません。
 しかし、それでもなお、私たちには善意が起こります。
 それはみ仏の子だからです。
 善意の発動をあきらめないためにも、人間への信頼を失わないためにも、懺悔と滅罪が必要です。

2 懺悔する人の心は

 実際に深い懺悔に入ると、心はどうなるでしょうか。

「我れ昔より造りし所の諸(モロモロ)の悪業(アクゴウ)は 
 皆な無始の貪瞋癡(トンジンチ)に由(ヨ)る身語意(シンゴイ)より生ずる所なり
 一切我れ今 皆な懺(サンゲ)したてまつる」

 本心でこう唱えた瞬間から、心は日常的状態を離れます。

 自分が無限の過去から積み上げてきたさまざまな悪業(アクゴウ)はすべて、自分自身にある身体と言葉と意識とのはたらきによって生じたものに他なりません。
 戦国時代には何人の敵を殺したか、あるいは飢饉のおりには誰から食べものを奪っていのちをつないだかわかりません。
 わかりませんが、今、自分のいのちがあるということは、そうした時代をくぐり抜けて受け継がれた〈いのち〉という何ものかがあり続けたことを意味しているのは間違いありません。
 流れの最先端にいる自分が膨大な罪を背負っていることはあまりにも明白です。
 それに、生まれてこの方、意識するとしないとにかかわらず、自分がこの世で悪業を積んできた事実は、自分が一番よく知っています。
 こうした真実に相対する時、日常的な自分の都合や、損得や、卑劣さや弱さによる言い訳などは皆、心の背景に退きます。
 心の溜息が起こり、心で涙が流れます。

 このような状態で〈よき願い〉を念ずる時、自己中心から離れた智慧は必ずやよき方法へと導くことでしょう。
 まず、普段、考えていた実現方法とはまったく異なるイメージが浮かんだり、これまでとは異なる種類の力が出て来たりするかも知れません。
 それに、自己中心を離れる体験は、必ず、周囲の人間関係を清浄な方向へと導きます。
 清浄な心の音叉に共鳴し合う人間関係が生まれるからです。
 さらに、心の奧にある仏心がはたらけば、それはみ仏のご加護をにあずかることを意味します。
 ここに、自分の努力と、周囲の縁の力と、み仏のご加護との三力(サンリキ)が揃い、事態は必ずやよき願いの方向へと動いて行くことでしょう。

3 懺悔、滅罪は、今も死後も

 私たちは時として、懺悔し滅罪を求める心が起こります。
 それは仏心がはたらくからです。
 そして、この思いは故人へも向けられます。
 よき心となり、導師の法力でその功徳を故人へ廻し向けてもらう廻向(エコウ)の追善供養です。
 お大師様は、『理趣経(リシュキョウ)』の読誦と修法によって供養を行いました。
 施主の願いに応じ、『理趣経』を写経し、講演し、そのマンダラを掛け、さまざまなものをお供えした記録が残っています。

 今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8


 ご関心のある方は当山のホームページ(http://hourakuji.net/)をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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