コラム

 公開日: 2015-10-22 

皇后陛下のお言葉に思う

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。





〈並ばれた両陛下は、失われつつあるものを懐かしく思い出させる〉

 10月20日、皇后陛下は81才の誕生日を迎えられ、宮内記者会の質問へ文書で回答された。
 ご誠意とお慈悲にあふれるお言葉であり、日本人として誇るべき文章であると思う。

 当山では、故人のお人柄などをよくお聴かせいただいてからご本尊様へ祈り、降りた文字によるお戒名をお伝えしているが、母親について、実に多くの方々が似たイメージを持っておられることにしばしば、驚く。
 それはこういうものである。
「優しく、忍耐強く、育ててくれました。
 花が好きでした」
 すると、いつも、親不孝の最中に送ってしまった母親を思い出し、心が雨模様になる。
 特に〈男の子〉は、こう答えてくださる。

 皇后陛下は慈母観音そのものになっておられた。
 以下、全文である。

【質問】
 この1年、自然災害などさまざまな出来事がありました。
 戦後70年にあたり、皇后さまは天皇陛下とともにパラオをはじめ国内外で慰霊の旅を重ねられました。
 また、玉音放送の原盤なども公開されたほか、若い皇族方も戦争の歴史に触れられました。
 1年を振り返って感じられたことをお聞かせください。
 8月には心臓の精密検査を受けられましたが、その後のご体調はいかがですか。

【皇后様】
 この1年も、火山の噴火や大雨による洪水、土地の崩落、竜巻など、日本各地を襲う災害の報に接することが多く、悲しいことでした。 
 ごく最近も、豪雨のため関東や東北の各所で川が溢れ、とりわけ茨城県常総市では堤防が決壊して2人が亡くなり、家を流された大勢の人々が今も避難生活を続けています。
 先日、陛下の御訪問に同伴して同市を訪問いたしましたが、水流により大きく土地をえぐられた川沿いの地区の状況に驚くと共に、道々目にした土砂で埋まった田畑、とりわけ実りの後に水漬(みづ)いた稲の姿は傷ましく、農家の人々の落胆はいかばかりかと察しています。

 東日本でも、大震災以来すでに四年余の歳月が経ちますが、未だに避難生活を続ける人が19万人を超え、避難指示が解かれ、徐々に地区に戻った人々にも、さまざまな生活上の不安があろうかと案じられます。
 また、海沿いの被災地では、今も2千名を超える行方不明者の捜索が続けられており、長期にわたりこの仕事に従事される警察や海上保安庁の人たち、また原発の事故現場で、今も日々激しく働く人々の健康の守られることを祈らずにはいられません。

 先の戦争終結から70年を経、この1年は改めて当時を振り返る節目の年でもありました。
 終戦を迎えたのが国民学校の5年の時であり、私の戦争に関する知識はあくまで子どもの折の途切れ途切れの不十分なものでした。
 こうした節目の年は、改めて過去を学び、当時の日本や世界への理解を深める大切な機会と考えられ、そうした思いの中で、この1年を過ごしてまいりました。

 平和な今の時代を生きる人々が、戦時に思いを致すことは決して容易なことではないと思いますが、今年は私の周辺でも、次世代、またその次の世代の人々が、各種の催しや展示場を訪れ、真剣に戦争や平和につき考えようと努めていることを心強く思っています。
 先頃、孫の愛子と2人で話しておりました折、夏の宿題で戦争に関する新聞記事を集めた時、原爆の被害を受けた広島で、戦争末期に人手不足のため市電の運転をまかされていた女子学生たちが、爆弾投下4日目にして、自分たちの手で電車を動かしていたという記事のことが話題になり、ああ愛子もあの記事を記憶していたのだと、胸を打たれました。
 若い人たちが過去の戦争の悲惨さを知ることは大切ですが、私は愛子が、悲しみの現場に、小さくとも人々の心を希望に向ける何らかの動きがあったという記事に心を留めたことを、嬉しく思いました。

 今年、陛下が長らく願っていらした南太平洋のパラオ御訪問が実現し、日本の委任統治下で1万余の将兵が散華したペリリュー島で、御一緒に日米の戦死者の霊に祈りを捧げることが出来たことは、忘れられない思い出です。
 かつてサイパン島のスーサイド・クリフに立った時、3羽の白いアジサシがすぐ目の前の海上をゆっくりと渡る姿に息を呑んだことでしたが、この度も海上保安庁の船、「あきつしま」からヘリコプターでペリリュー島に向かう途中、眼下に、その時と同じ美しい鳥の姿を認め、亡くなった方々のみたま御霊(みたま)に接するようで胸が一杯になりました。

 戦争で、災害で、志半ばで去られた人々を思い、残された多くの人々の深い悲しみに触れ、この世に悲しみを負って生きている人がどれ程多く、その人たちにとり、死者は別れた後も長く共に生きる人々であることを、改めて深く考えさせられた1年でした。

 世界の出来事としては、アフリカや中東など、各地で起こる内戦やテロ、それによる難民の増大と他国への移動、米国とキューバの国交回復、長期にわたったTPP交渉などが記憶に残っています。
 また、日本や外地で会合を重ね、学ぶことの多かったドイツのヴァイツゼッカー元大統領やシンガポールのリー・クァンユー元首相、40年以上にわたり、姉のようにして付き合って下さったベルギーのファビオラ元王妃とのお別れがありました。

 この回答を記しているさなか最中(さなか)、日本のお二人の研究者、大村智さんと梶田隆章さんのノーベル賞受賞という明るい、嬉しいニュースに接しました。
 受賞を心から喜ぶと共に、お二人が、それぞれの研究分野の先達であり、同賞の受賞こそなかったとはいえ、かつてそれに匹敵する研究をしておられた北里柴三郎博士や、つい7年前に亡くなられた戸塚洋二さんの業績を深い敬意をもって語られることで、これらの方々の上にも私どもの思いを導いて下さったことを有難く思いました。
 また、大村さんや同時受賞のアイルランドのウィリアム・キャンベル博士と共に、同じこの分野で、国の各地に伝わる漢方薬の文献をくまなく調べ、遂にマラリヤに効果のある薬草の調合法を見出した中国の屠呦呦(とゆうゆう)さんの受賞も素晴らしいことでした。

 スポーツの分野でも、テニスや車いすテニスの選手が立派な成果を上げ、また、ラグビーワールドカップにおける日本代表チームの輝かしい戦いぶりは、日本のみでなく世界の注目を集めました。
 4年後の日本で開かれる大会に、楽しく夢を馳せています。

 身内での変化は、秋篠宮家の佳子が成年を迎え、公的な活動を始めたこと、眞子が約1年の留学を終え、元気に戻ってきたことです。
 佳子はこの1年、受験、成年皇族としての公務、新しい大学生活、と、さまざまな新しい経験を積み、また時に両親に代わって悠仁の面倒をみるなど、数々の役目を一生懸命に果たして来ました。
 眞子が帰って来てホッとしていることと思います。
 また、この12月には三笠宮様が100歳におなりで、お祝い申し上げる日を楽しみにしております。

 戦後70年となる今年は、昭和天皇の終戦の詔勅の録音盤や、終戦が決められた御前会議の場となった吹上防空壕の映像が公開されるなど、改めて当時の昭和天皇の御心(みこころ)を思い上げることの多い1年でした。
 どんなにかご苦労の多くいらしたであろう昭和天皇をお偲び申し上げ、その御意志を体(たい)し、人々の安寧を願い続けておられる陛下のお側で、陛下の御健康をお見守りしつつ、これからの務めを果たしていければと願っています。

 体調につき尋ねて下さり有難うございました。
 今のところ、これまでと変わりなく過ごしています。

 皇后陛下は平成16年、70才の誕生日に際し、ハンセン病患者のためにはたらいていた津田塾大学教授神谷美子氏との出会いをふまえ、こう述べらておられる。

「みずからが深い悲しみや苦しみを経験し、むしろそれゆえに、弱く、悲しむ人びとのかたわらに終生寄りそった何人かの人びとを知る機会をもったことは、私がその後の人生を生きる上の指針のひとつになったと思います」

 こうしたお言葉が私たちの胸に強く何かを訴えかけるのは、心の底ではそうあるべきと知っていながら、つい、自分の喜びや楽しみにばかりかまけて、「弱く、悲しむ人びと」を忘れ、無視しながら面白おかしく生きている疚(ヤマ)しさゆえではなかろうか。

 昭和62年、当時皇太子だった天皇陛下は、父親である昭和天皇の病臥にともない名代として沖縄を訪れ、南部戦跡の平和記念堂でお言葉を代読された。
「先の大戦で戦場となった沖縄が、島々の姿をも変える甚大な被害を被り、一般住民を含むあまたの尊い犠牲者を出したことに加え、戦後も長らく多大の苦労を余儀なくされてきたことを思う時、深い悲しみと痛みを覚えます」
 念願としていた沖縄訪問ができなかった昭和天皇の無念を体したお姿は県民の心を動かし、当時の知事西銘順治氏は談話を発表した。
「お言葉に接し、感動胸に迫るものがあります。
 これで、ようやく沖縄の戦後は終わりを告げたと思う」

 皇后陛下のお言葉はいつも、昭和天皇のお心、平成天皇のお心がふまえられている。
「どんなにかご苦労の多くいらしたであろう昭和天皇をお偲び申し上げ、その御意志を体(たい)し、人々の安寧を願い続けておられる陛下のお側で」
 そして、ご自身のことについてはさりげない。
「今のところ、これまでと変わりなく過ごしています。」
 ご自身の心中は歌に託される。
「初夏の 光の中に苗木植(ウ)うる この子供らに 戦(イクサ)あらすな」 (平成7年の植樹祭にて)

 文章を読むとは、見た文字を用いて自分の頭の中に文章を紡ぎ出すということだが、涙なしには文章にならないお言葉である。
 私たちの悲しみや苦しみを我がこととして受け止め、私たちの生きて行こうという意志を感じとり、夫や父の胸中を忘れず、こうしたお心一つで日々を過ごす生身の人間が日本におられることは奇跡に近い。
 深く胸に刻んでおきたい。

「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA


 ご関心のある方は当山のホームページ(http://hourakuji.net/)をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、この世の幸せとあの世の安心を祈っています。

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