コラム

 公開日: 2015-11-25 

生きるための時間と無常を観る時間 ―『チベットの生と死の書』を読む(7)―

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。




〈寒風の中で頑張っている木守柿。たった一人で、もう一週間が経ちました 〉

 ソギャル・リンポチェ師の著書『チベットの生と死の書』は、生と死を考える人びとへ重要な示唆を与える一冊である。
 伝統仏教の最先端を示し、かつ、最奧をもかいま見せる高貴な魂の結晶である。
 師は「仏法をより近づきやすいものに、現代的、実践的なものにするために著した」とされているが、700ページ近い力作で、なかなか読み通せないかも知れない。
 以下、全体の概要というよりは、いくつかのポイントを挙げておきたい。

 一昔前は、「(人が死んでもいないのに)お墓の話をするなんて縁起でもない」と言われた。
 現在は、生前に建てる寿陵墓(ジュリョウボ)が主流となりつつある。
 そもそも、聖徳太子や秦の始皇帝など多くの指導者は寿陵を造ったが、生前に建墓を行うという感覚が庶民に及ぶまで膨大な年月がかかった。
 もっとも、皇帝の場合は権勢や権威を後世へ伝えるなどの目的があり、庶民は後の世代に負担をかけず、自分の気に入ったお墓を造っておくなどが主たる目的ではある。

1 生を生き、死に備える

 さて、輪廻転生と因果応報を説く仏教は、当然、生と死、両方を観る視点、観点を持っている。
 生きているのは死んでいないことであり、死んでいるのは生きていないことなのだ。
 だから、こう説かれる。

「わたしたちはときに自分を揺さぶり起こして、心底から自問してみる必要があるのだ。
『今晩死ぬとしたらどうだろう。そのあとどうなるのだろう』と。
 明日目を覚ますかどうかも、どこで目を覚ますかも、わたしたちにはわからないのだ。
 あなたは今息を吐いて、次の息を吸うことは二度とないかも知れない。
 死んでいるかもしれない。
 それくらい簡単なことなのだ。」

 普段の私たちは、死を〈ないこと〉にしているが、それは事実を直視していない。
 ここに書かれているとおり、私たちは、もしも次の瞬間に倒れたり交通事故に遭ったりすれば、3日後に病院のベッドで目を覚ますかも知れず、永遠に目を覚まさないかも知れない。
 それらは、予想もしなかった状況ではあっても、〈あって当然〉なのだ。
 だから「簡単なこと」としている。
 死が簡単にあり得るにもかかわらず、〈ないこと〉にしたまま、生のみを見て暮らすのは智慧に欠けると言えるのではなかろうか。

2 バランスをとる

 さて、チベットには有名な「鳩の教訓」がある。
 ある鳩は、一晩中大騒ぎをして寝床を調えていたが、そのまま朝を迎え、寝床は役に立たなかったという。
 元気な人は、死をリアルにイメージし死後に備えるなど、ほとんど誰もやらない。
 目の前のことごとにかまけているが、突然〈その時〉が来ると、何の準備もないままに、それまでやってきたことすべてに終止符が打たれ、何の準備もないままに、たった一人で次のステップへ進まねばならない。
 生へのウェイトがかかりすぎ、死へのウェイトが足りなすぎる。
 バランスがとれていないために、生に対する危険も死に対する危険も生じている。

「現代社会にあって、わたしたちは働いて生活の糧を得なければならない。
 だが、9時から5時の生活にからめとられてしまうべきではないのだ。
 それは生のより深い意味への洞察などとは無縁の生活だ。
 わたしたちの課題はバランスをとること、中庸の道を歩むことにある。」

 9時から5時に全力をかける姿勢について、日本人は胸を張れる。
 しかし、仏教の観点からすれば、真の意味で人生をまっとうするには、それだけで充分とは言えない。
 生きる糧を得る、家族を養う、社会的役割を果たす、いずれもすばらしい生の営みではあるが、それらには必ず「何のために?」という疑問がつきまとう。
 無我夢中でやっている時はそれを忘れていても、病気になったり、挫折したりして毎日のリズムに急ブレーキがかかったならば、必ず顔を出す。
 人生のステージを一段ステップアップする機会がようやく、やってきたのだ。
 気づかないでいたカーテンを開けてみるようなイメージでもある。
 昭和53年、評論家伊藤肇は『左遷の哲学』に、人間を成長させる大きなきっかけとして、闘病・浪人・投獄・左遷を挙げた。
「渇いたことのない人間には、水のありがたみはわからぬだろう。
 何事も当然だと思う心に感謝の念などあるわけがない。
 しかし、当然なことを当然でない、と考えるには、それ相応の苦難をつぶさに味わって、その考えを転倒しなければならない。」

 では生きる努力をする一方で問うべき問いを問い、「中庸の道」を生きるにはどうしたらよいか?

「非本質的な活動や興味に手を広げることをやめ、人生をより単純化することを学ぶことである。
 現代の生にほどよいバランスをもたらす鍵は単純さにあるのだ。
 これこそが仏教における戒行(戒律を守って修行すること)の真の意味である。
 チベット語で戒行に相当する言葉は〈ツル・ティム〉という。
 〈ツル〉は『ほどよい、ちょうどよい』ことを意味し、〈ティム〉は『規則』あるいは『道』を意味する。
 つまり戒行とは、ほどよくちょうどよいことを実践することなのである。
 角に複雑化した現代にあっては、それは生活を単純化することに他ならない。
 そこから心の安らぎがもたらされる。
 精神的なものを求める時間が、精神的な真理のみがもたらしうる知識を求める時間ができる。
 それが死を直視する助けとなるのである。」

 戒めを守るほどよい生活、精神的な真理を求める単純な生活とはどのようなものか?
 それは、自己中心的な我欲(ガヨク)が主役である9時から5時の生活に対して、それらを離れた時間を持つということではなかろうか。
 我欲を離れ、情操や教養を豊かにする時間を持つ。
 そうすると、その人なりに「精神的な真理のみがもたらしうる知識」が得られる。
 ダライ・ラマ法王の師であるディンゴ・キェンツェ・リンポチェは言った。

「深く見つめてみれば、恒久不変のものなど何もないことがわかる。
 何もだ。
 あなたの身のうぶ毛の一本も。
 しかもこれは理屈ではない。
 あなたがたが本当に知り、理解し、その目で見ることのできるものなのだ。」

 お釈迦様である。

「われわれのこの存在は、秋の雲のようにはかない
 生命の誕生と死を見ることは、舞の動きを見るようなもの
 一生は、空を走る稲妻のように、急峻な山をほとばしる奔流のように
 駆け抜けてゆく」

 ここが観えてくる。
 しかし、すぐに、誰にでもというわけには行かない。
 以下の説明は実に的確だ。

「わたしたちの頭のなかでは、変化はつねに喪失と苦悩に等しいのだ。
 変化がやって来ると、わたしたちは可能なかぎり自分を麻痺させようとする。
 恒久不変は安全をもたらすが、無常はそうではないと、頑固に、疑いもせず決めつけている。
 だが実際は、無常とは、初めて会ったときは気難しげで、落ちつかない気分にさせられても、深くつきあうようになると思いがけず親しみやすく気安いという、そんな人のようなものなのだ。」

 私たちは変化を怖れる。
 根本的に〈しがみつきたい〉からだ。
 自分の身体、財産、恋人、仕事、趣味、何でもしがみつきたい。
 だから無常を排除したい心理がはたらく。
 しかし、真理である以上、排除しきれないし、よく馴染めば「親しみやすく気安い」人のようになる。

「無常を知ることが、逆説的だが、わたしたちが頼りにできる唯一のもの、唯一不変の財産なのである。
 このことをよく考えてもらいたい。
 無常は空(ソラ)のようなもの、大地のようなものだ。
 身の回りのあらゆるものが変化し崩れ去っていっても、空と大地はつづいてゆく。
 たとえばあなたが自己崩壊しそうな精神の危機にあるとする。
 ……人生全体がばらばらになってしまいそうだ。
 ……夫が、妻が、何の前触れもなくあなたから去っていってしまった。
 だが大地はそこにある。
 空はそこにある。
 もちろん大地も時には震えることがある。
 何事も当たり前とは思えないのだということをわたしたちに思い出させるために……。」

 無常は空のように、大地のように、自然に、そこにある。
 人も、ネコも、花も、山も教えてくれる。

「ブッダすら死んだのだ。
 彼の死はひとつの教えだった。
 未熟な者、怠惰な者、独りよがりな者に衝撃を与えるための教え。
 万物は無常であり、死は避けられない生の現実であるという真理にわたしたちを目覚めさせるための教え。
 死が近づいてきたとき、ブッダは言った。
『あらゆる足跡のなかで
 象の足跡が最大であるように
 あらゆる重要な瞑想のなかで
 死が最大の瞑想である』」

 物理学者ゲーリー・ズーカフの見解が紹介されている。

「原子内の素粒子同士の相互作用において、もとの粒子が消滅し、新しい粒子が生まれる。
 素粒子の世界は生成と消滅のダンスの世界、質量からエネルギーへの転化と、エネルギーから質量への転化というダンスの世界なのである。
 さまざまな素粒子が束の間のきらめきとして現れては消えてゆき、終わりのない、永遠に新しい世界をつねに創造しているのである。」

 そして「無常」の章は締めくくられる。
 ソギャル・リンポチェ師はよくこうした質問を受けるという。

「こういったことは皆わかりきったことです。
 十分承知しています。
 何か新しいことを話してください」
 師は答える。
「あなたは本当に無常を理解し、実感していますか?
 それをすべての思考・呼吸・行動に取り込んでいますか?
 あなたの人生が変容するほどに。
 次のような質問をあなた自身にしてみてください。
 自分は死につつあるのだということを、他の誰もが、何もかもが、死につつあるのだということをつねに思い出しているか?
 そうであれば、すべての存在に対してつねにあわれみの気持をもって接しているか?
 そして、死と無常に対する理解が痛切で切迫しているあまり、あらゆる時間を悟りを求めることに捧げているか?
 これらの質問に『イエス』と答えることができるのなら、あなたは本当に無常を理解しているといえるでしょう。」

 私たちは、気分として感じただけであっても、無常を知ったつもりになる。
 もちろん、すぐに忘れる。
 また、気づいた無常を〈そこに〉あるいは〈そちら側に〉置きたくなる。
 そうした自己欺瞞のままではならないと説く。
 自己中心的で日常的な努力をするのと同じように、自己中心を離れた世界においても繰り返し、努力したい。
 無常を忘れた時間ばかりでなく、無常を「思考・呼吸・行動に取り込む」時間も持ち、「中庸の道」を歩みたい。

 今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0


 ご関心のある方は当山のホームページ(http://hourakuji.net/)をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

この記事を書いたプロ

大師山 法楽寺 [ホームページ]

遠藤龍地

宮城県黒川郡大和町宮床字兎野1-11-1 [地図]
TEL:022-346-2106

  • 問い合わせ
  • 資料請求

このコラムを読んでよかったと思ったら、クリックしてください。

「よかった」ボタンをクリックして、あなたがいいと思ったコラムを評価しましょう。

0

こちらの関連するコラムもお読みください。

<< 前のコラム 次のコラム >>
最近投稿されたコラムを読む
Q&A
セミナー・イベント
お客様の声

○Aさん(中年女性)の場合 心身の不調を縁としてご加持を受け、自分の願いが通じると実感されました。 そして祈り方を覚え、商売や家庭にさまざまな問題を抱えなが...

 
このプロの紹介記事
遠藤龍地 えんどうりゅうち

人々が集い、拠り所となる本来の“寺”をめざして(1/3)

 七つ森を望む大和町の静かな山里に「大師山 法楽寺」はあります。2009年8月に建立されたばかりという真新しい本堂には、線香と新しい畳のいい香りが漂います。穏やかな笑顔で出迎えてくれた住職の遠藤龍地さんにはある願いがありました。それは「今の...

遠藤龍地プロに相談してみよう!

河北新報社 マイベストプロ

宗教宗派を問わず人生相談、ご祈祷、ご葬儀、ご供養、埋骨が可能

所属 : 大師山 法楽寺
住所 : 宮城県黒川郡大和町宮床字兎野1-11-1 [地図]
TEL : 022-346-2106

プロへのお問い合わせ

マイベストプロを見たと言うとスムーズです

022-346-2106

勧誘を目的とした営業行為の上記電話番号によるお問合せはお断りしております。

遠藤龍地(えんどうりゅうち)

大師山 法楽寺

アクセスマップ

このプロにメールで問い合わせる このプロに資料を請求する
プロのおすすめコラム
村上春樹氏の「影と生きる」に想う ─影が反逆し始めた世界─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 世間は万華鏡 ]

自衛隊員の本音 ─出征する覚悟、辞める無念─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 不戦堂建立への道 ]

12月の守本尊様は千手観音菩薩です ─救われる時─
イメージ

 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故...

[ 今月の守本尊様・真言・聖語 ]

Q&A(その32)自業自得なら廻向で救われない? ─因果応報と空の話─
イメージ

 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故...

[ 仏教・密教 ]

一年と一周忌供養 ─あの世でもこの世でも救われる話─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 葬儀・供養の安心 ]

コラム一覧を見る

スマホで見る

モバイルQRコード このプロの紹介ページはスマートフォンでもご覧いただけます。 バーコード読み取り機能で、左の二次元バーコードを読み取ってください。

ページの先頭へ