コラム

 公開日: 2015-12-08 

経典は宝もの ─智慧と実践─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。



〈早朝の虹〉

 仏教における経典と実践の大切さをあらためて考えてみたい。

1 なぜ、経典が尊ばれ、供養されるのか?

 八千頌(ジュ)般若経にある経文である。

 神々の王である帝釈天(タイシャクテン)がお釈迦様へ質問する。
 以下は大意である。

「片方には、智慧の完成を書き記し、書物の形にして安置する人びとがいます。
 捧げものを調え、恭敬し、尊重し、奉仕し、供養し、讃歎し、祈願します。
 もう片方には、悟った如来の舎利をストゥーパの中に安置し、自分のものとして保存する人びとがいます。
 こちらの人びとも書物と同じように、大切にします。
 さて、どちらの人びとがより多くの福徳を得られるでしょうか?」

 お釈迦様は問われる。

「それでは、お前に質問しよう。
 如来はどのような道について学び、全知者性を獲得し悟ったのだろうか?

 帝釈天は答える。

「如来は智慧の完成について学び、全知者性を獲得し、悟られたのです」

 お釈迦様は指摘される。

「帝釈天よ、そのとおりである。
 如来は具体的存在である身体を得ているから如来という名で呼ばれるのではなく、全知者性を得ているために如来という名で呼ばれるのだ。
 全知者性は智慧の完成によってもたらされた。
 如来が具体的存在としての身体を得ているのは、智慧の完成を生ずるための巧みな手立てとして必要だからである」

「だから、如来が涅槃へ入ったおりには、人びとが舎利を尊び、供養するだろう。
 しかし、より多くの福徳を得るのは、智慧の完成を書き記し、書物の形にして安置する人びとなのだ。
 なぜなら、それは全知者の知を直接、供養したことになるからである」

 肝腎なのは智慧の獲得であり、それは、自己中心的なものの観方を離れ、如来の観方ができるようになることを意味する。
 これがない限り、たとえ100年にわたって仏舎利を拝んでも、煩悩の束縛から脱し得ない。

 お大師様も説かれている。

「真言密教に縁を結び、経典を書写し、読誦し、教えに即して修行し、思惟を深めるならば、永遠とも言うべき長い時間をかけなくても、父母から生まれたこの身このままで高い境地へ入り、心中のみ仏を開顕することができるでしょう」

 大切なのは教えに学び、実践し、日常の認識パターンを超えた認識の目を持つことであり、その先にこそ般若心経の空(クウ)を知り、空に生きる道が開ける。

2 観る人から行う人へ 

 では、空に生きるとはいかなるイメージか?
 脱力し、我関せずを決め込む〈観る人〉になっただけではどうしようもない。
 仏教はそんなところを目ざしてはいない。
 自利利他(ジリリタ)に精進する菩薩(ボサツ)となることが目的である。
 お大師様は、仙人のようになってもしようがない、とはっきり述べておられる。
 では、利他の勇猛心はどこから出てくるか?
 どうすれば、智慧が慈悲に結びつくか?
 なぜ、〈観る〉から〈行う〉へのジャンプが可能なのか?
 その方法こそが密教の三密行(サンミツギョウ)である。

 私たちの心といのちは、身口意としてはたらいている。
 身体、言葉、意識の三つである。
 普段は煩悩(ボンノウ)によって三つのそれぞれが、自己中心的にはたらき、他者とぶつかり、傷つけ合っている。
 しかし、印を結ぶなどして身体をみ仏に一致させ、経文や真言を唱えるなどして言葉をみ仏に一致させ、観想するなどして意識をみ仏へ一致させれば、おのづから、心中のみ仏がはたらき出す。
 この訓練を繰り返すことによって、身体と言葉と意識は三つの悪業をつくらず、み仏のおはたらきと一致するようになる。
 み仏のおはたらきは、普段、隠れており凡夫の生活から秘密になっているので、三密(サンミツ)と言う。
 つまり、三業(サンゴウ)ではなく、三密に生きられるようになる。
 これが即身成仏(ソクシンジョウブツ)である。

 ただし、仏心は万人にあり、すべての現象が大日如来の顕れとして仏法を説いている以上、所定の経典を読誦するという限られた方法によってしか、三密を得られないわけではない。
 いつの間にか自己中心にとらわれなくなっていた人もおられる。
 平成25年9月、ジョギング中の厳俊氏(26才)は、増水した淀川で流されている小学4年生の男児を救出した。
 思わず飛び込んだが自分も溺れそうになっていったんは岸へ上がったものの、あきらめずに100メートルも下流へ走って追いかけ、住民が差し出したロープを身体へ巻いて再び濁流へ飛び込み、救出成功となった。
 大阪市立大学留学生である氏は紅綬褒章を受け、語った。
「一人の普通の中国人としてしなければいけないことをしただけです」
 氏はあの時、生き仏になっておられたはずだ。
 身体は飛び込み、言葉は今行くぞと心中で叫び、心には見捨てない覚悟があったのではないか。
 身口意は、どんな地獄へも現れてくださる地蔵菩薩や観音菩薩そのものだったに違いない。
 彼がいかなる生活の中で身につけたかはわからないが、見事な三密と言える。

3 観ると行う

 何を信じていようがいまいが、普段から思いやりの心を意識し、イメージする生活をしたい。
 自分の身体はどうはたらいているか、言葉はどうはたらいているか、意識はどうはたらいているか、チェックしたい。
 そして、できるならば、み仏の教えに接し、煩悩(ボンノウ)のフィルターを外して空(クウ)を観る目も持ちたい。
 そうすればきっと、大切に伝えられた経典とみ仏のご加護により、苦を滅して行けることだろう。

 今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=qp8h46u4Ja8


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 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。合掌

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