コラム

 公開日: 2015-12-27  最終更新日: 2016-01-18

「お坊さん便」と「脱檀家宣言」

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。




 アマゾンが僧侶の配達「お坊さん便」を始めたという。
 資本主義はすべてを儲けの対象にするのが本性だ。
 だから、そのこと自体に価値判断はできない。
 人間がそのシステムをどう動かし、どう関係するかが問題だ。

 日本では、教育や医療まで商売の対象になった。
 今や、教師は生徒をお客さんと呼び、医師も患者をお客さんと呼ぶ。
 そうしなければ経営が成り立たないからだ。
 教師も医師も、お客さんの顔色を窺う。
 お客さんはお金を払う相手へ高飛車にでる。
 こうして、ある種の聖性を帯びた「師」は消滅しつつある。

 小生は、無から僧侶になった。
 紆余曲折はあったが、小生には、出家者であり同時に在家者であることは無理だったので、古い家を道場とし、托鉢、人生相談、ご祈祷、ご供養、密教剣法の隠形流居合を法務として行い、営利事業は一切行わずにやってきた。
 そうした行者にもときおり、葬祭業者さんや信徒さんから、導師としてご葬儀を行って欲しいとのご依頼はあった。
 まとまった収入があれば仏像の借金が払え、屋根の修理や境内地の整備もできたが、決してご葬儀を〈待つ〉ことはなかった。
 待つのが本分でないことは言うまでもなく、お釈迦様も、お大師様も、まず歩いてこその行者だったし、行者としての本分を尽くしつつ生きられる範囲が出家者に許される〈この世の生〉であると心得ていたからだ。
 現在は、お寺らしいお堂も墓地もでき、職員もいるが、すべては結果でしかない。
 共同墓も、お焚きあげも、求める方々の願いに応じてスタートし、今に至った。
 いのちはみ仏へお任せし、縁を求める方々のために、求められる法務を行ってきたに過ぎない。

 さて、今回の一件である。
 改革、解放、自由などのお題目ですべてが儲けの対象になろうとしている異様な時代であっては、娑婆の論理が宗教の世界にまで網をかけようとしているからといって、驚くことはない。
 どうすればよいか?
 まず、第一に、出家者がご葬儀を求めて右往左往せず、托鉢や人生相談やご供養など出家者としての本分を尽くすことである。
 聖職者がみ仏へいのちをお預けした者として生き、死ぬならば、何者にも便利に〈利用〉されはしない。
 第二に、娑婆の論理とは無縁の世界の存在に気づき、その価値を感得できる人びとがおられる限り、まっとうな出家者は結果として生きられ、真に必要とされる寺院は存続し、仏法は生き生きとはたらき続けるので、いっときの時流など傍観することである。
 教師も医師も、志操堅固な方々は微動だにされないではないか。

 どんな世の中になろうと、娑婆と仏神と二つの世界があいまって、人間の智慧と慈悲は深まり続ける。
 娑婆の世界と仏神の世界と、両方を行き来しながら生きる人間には、二種類の智慧が欠かせない。
 そのことは1900年ほど前、お釈迦様が説かれた「縁起」の説を空(クウ)の理論で解明した龍樹菩薩(リュウジュボサツ)によって指摘されている。
 今やその『中論』に学ばない大乗仏教はない。
 
 娑婆をきちんと生きられるよう、当山では、皆さんと共に7つの徳目を誓っている。

「愚癡を言わない
 好き嫌いにとらわれない
 自他のものの区別をする
 明らかこととそうでないことの区別をする
 公と私の区別をする
 恩を着せず恩を忘れない
 自分の権利を主張するよりも人間としての尊さを見失わない」

 出家すなわちみ仏の世界へ一歩でも近づいていただけるよう、当山では、皆さんと共に5種の供養を誓っている。
 (塗香〈ヅコウ〉を加え、6種とすることもある)

「お水を供えて布施を誓う
 お花を供えて忍耐を誓う
 お線香を供えて精進を誓う
 食べものを供えて感謝と心身の調整を誓う
 灯明を点して自己中心の克服を誓う」

 蛇足だが、宗教行為である法務に値段はつけられない。
 病床にある恋人の回復を願う時、自分のいのちに代えても元気を取り戻させるよう、ご本尊様と導師へ求める力添えは、いくらになるのだろう?
 女手一つで自分を育ててくれた母親をあの世へ送る時、安心の世界へ旅立てるよう、ご本尊様と導師へ求める力添えは、いくらになるのだろう?
 真剣に祈る気持があるならば、そうした価値判断は自分でするしかないし、差し出すお布施は、財布の事情によってまったく異なるのが当然である。
 差し出すお布施は100パーセント自主的でなければならないので、商売上の〈対価〉ではない。
 平成22年、当山は、お布施の真意が忘れられつつあることを憂い、「脱檀家宣言」を行い、サポーター制にして今日まで来た。
 文章を再掲しておきたい、

「脱『檀家』宣言」 ─仏法の復興をめざして─ 

 平成22年6月15日、昨今の仏教界への危機感を募らせた末、「脱『檀家』宣言」を行った。
 高額な戒名料など、お布施に関する檀家の疑問や不安が寺への不信を招いたと世間でいわれるようになって久しい。
 仏法の危機を痛感しての決断について記してみたい。

 そもそも檀家とはインドの言葉でダーナ(檀)すなわち布施をする家であり人である。
 だから本来、檀家は仏宝・法宝・僧宝という三宝を守るすばらしい家と人を指す言葉だった。
 しかし日本では「ご先祖様を託している家」に限定して使われるようになり、問題が生じた。
 檀家は寺に所属する信徒の称だが、問題は「所属」にある。
 以前は、どこかの寺院に所属していればご先祖様の供養に心配がなく、万が一の時にも安心だった。
 また、子供が寺子屋へ通って勉強したり、病気平癒を願って祈祷を依頼したり、夫婦げんかの仲裁を頼んだりというように、地域の人々と寺には切っても切れない安心と信頼の関係があった。
 しかし、今の寺院の多くは普段、門を閉ざし、会話や法話の機会を十分に設けていない。
 檀家は何かの折には「いくら請求されるか」とビクビクする。
 安心よりも、不安の方がはるかに大きい。
 戒名料などで意のままにお布施を請求することに慣れた寺院はお布施本来の意義とありようを忘れ、堕落したかにみえる。
 それは仏教界の習俗に浸り切った姿を表している。

 お布施には「空(クウ)」と「自主性」が欠かせない。
 渡す側は真心を込める。
 受ける側は相手や多寡に惑わず、真心を受け止め、感謝する。
 これが真の布施である。
 「嫌々ながら差し出す布施」も「請求する布施」もあり得ない。
 こうして「所属」がもたらした縛り縛られる関係を基礎とするやりとりは檀家と寺双方の布施行を破壊した。
 だから、今や、縛り感覚が抜き難い「檀家」という言葉から離れる必要があるのではないか。

 しかし、営利事業を行わない寺院はお布施が納められなければ寺院を維持し法務を継続できない。
 この問題を解決するには、仏縁を求める人が自由意志で「サポーター」になればよい。
 寺院は、サポーターに対し、来るを拒まず、去るを追わなければよい。
 例えば、当寺には無縁だが、世間では確かに存在する、檀家への入檀料、離檀料は廃止すべきである。
 檀家300を超す当寺は脱宣言したが、サポーターという形をとるようになり、むしろその数は増えた。
 寺と「ゆかりびと」と称するサポーターの変わらぬ交流が続いており、それは、檀家という縛りから解き放たれ、双方がより自由になったことの証といえる。
 寺には人生相談、葬儀、などさまざまな任務があるが、布施はあくまで皆さんの常識と良識にお任せしている。
 寺院は法務内容を公開し、誰に対しても平等に祈ることはもちろん、勝手な請求をせず、真の布施のみで運営すべきである。
 真剣にサポートしてもらえるかどうかに存否をかけねばならない。
 寺院へ仏縁を求める方には、寺院の法務と僧侶の姿勢をよく見て自主的に判断し、布施行を実践していただきたい。

 こうした方法は、難しく険しい道のりになるかも知れないが、双方がここから再出発するならば、釈尊から流れ始めた仏法の清流は日本でレベルアップし、やがては世界を清め潤す力にもなると信じている。

(平成22年7月21日 河北新報「持論・時論」に掲載された投稿へ加筆修正した文章です)

 今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃまりぼり そわか」
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8


 ご関心のある方は当山のホームページ(http://hourakuji.net/)をご笑覧ください。

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