コラム

 公開日: 2016-01-05 

自分の苦楽と他人の苦楽 ─この世の〈見え方〉と〈ありよう〉について─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。




〈おかげさまにてお正月の護摩祈祷は5回、無事、終えました。守本尊様の5種類のおはたらきもお話ししました〉

 私たちは、自分の苦しみについては、よくわかります。
 心の葛藤や沈み込みや怨みや怒り、また身体の不具合や痛み、あるいは仕事や人間関係の不調や失敗など、何でも具体的に迫ってきます。
 しかし、他人の苦しみについては、よくわかりません。
 耳で言葉を聴いたり、目で様子を見たりすればある程度は想像できまずが、身体の不具合や痛みなどは想像すらなかなかできません。

 では、他人を見捨てられない心はどこから起こってくるか?
 それには、ものの道理を学び、心のはたらきを道理に合わせる訓練が必要です。

 まず、自分も他人も〈同じ人間〉であるという〈ありよう〉の真実をしっかりつかむことです。
 学び、考え、腑に落ちなければ、〈ありよう〉はわかりません。
 なぜなら、〈見え方〉は、〈ありよう〉と違うからです。
 自己中心というフィルターがかかったままの心では、他人と自分は違った〈見え方〉がするだけであり、常に自分を主としているので〈同じ人間〉とは到底、思えません。

 私たちが普段、暮らしている生活の各場面においては、いつも〈見え方〉が基準になっています。
 さまざまな約束ごとや処世術は皆、そこから発生しています。
 たとえば商取引は、今日の自分がそのまま10日後も同じ自分であるというこの〈見え方〉に基づいており、約束ごとをうまくこなす人は大金持ちになったりしますが、必ずしも人間としてまっとうであるかどうかはわかりません。
 他人に後ろ指を指されたことのない人が、他人を思いやる人であるとは限りません。
 すべては無常であり、今日の自分が10日後にはこの世にいないかも知れないと達観し、〈ありよう〉をつかんだ人は、商売が下手でも、よき隣人として信頼されるかも知れません。

 では、どうすれば、〈ありよう〉をつかめるか?
 たとえば、自分も他人も、同じく苦を厭い、楽を求めているという真実をつかむために、まず、親しい誰かを想像してみましょう。
 家族でも、友人でも、先輩や後輩でも結構です。
 自分が苦しい時に手を差し伸べてくれたり、友人の仕事がうまくいった時に酒を飲んでお祝いしたりといった光景を思い浮かべれば、〈同じ人間〉という実感があるはずです。
 そして、あの人、この人とたくさん思い浮かべているうちに、そのことは確信に変わります。
 確かに、まぎれもなく〈同じ人間〉同士なのです。
 次に、あまり縁のない町内の人や、取引先の人なども〈同じ人間〉であると想像してみましょう。
 最初はなかなかできないかも知れませんが、具体的に、あのおじさんが転んで立てず踞(ウズクマ)っている姿、あるいは、あの奥さんが子供の入試合格で喜んでいる姿などなど。
 普段、あまり関心がない人びとも、苦を厭い、楽を喜ぶことは自分とまったく変わりないことがだんだんと腑に落ちてくることでしょう。
 そして最後には、憎い人や怨みのある人やライバルなどの苦楽も想像してみましょう。
 いつもは「あんな奴」と思っていた相手も又、苦しい時に苦しむのは自分とまったく変わりなく、たとえば、その人が苦しんでいる腹痛を自分のことと想像してみれば、「ざまあみろ」というわけにはゆきません。
 いつもは「人でなし」と恨んでいる相手も又、病気が治って嬉しいのは自分とかわりなく、たとえば、自分が風邪をひいて苦しんでいた頭痛から解放されたことを想像してみれば、「チェッ」と舌打ちするわけにゆかないではありませんか。

 こうして「人間は苦を厭い楽を求める存在として皆、ひとしい」という真実を学び、考え、それが腑に落ちればようやく、人間の根本的な〈ありよう〉がわかってきます。
 この〈ありよう〉がわかった時点では、わかるまでの過程において、他人と自分の苦と楽を想像上とはいえ数限りなく〈同じ〉と経験しており、自然に他人を見捨てられない心ができているはずです。
 これが「ものの道理を学び、心のはたらきを道理に合わせる訓練」です。
 こうした真実は、仏教の歴史が生んだ智慧に導かれてつかめるものですが、学び、実践する人を選んだり限定したりするわけではありません。
 宗教宗派にかかわらず、そうか、と納得できれば誰でもが〈見え方〉から〈ありよう〉へと自分を深める扉を開けるのです。

 そして、〈ありよう〉をつかみ、〈同じ人間〉と観えるようになった人は、他人へ手を差し伸べて喜ばれ、喜ぶだけでなく、自分が自分自身の苦しみに負けず、それを解く力も必ず高まっています。
 自分の苦しみは自分だけのものではなく、誰しもが人間としての苦しみひとしく耐えつつ生きていると思えば、自分一人の苦しみなど小さなものではありませんか。
 現に生きている人びとと共に生きようという勇気が湧いてくるではありませんか。
 その先には野辺のタンポポやスズメなどもまた、苦楽を生きていることが観えてくるかも知れません。
 こうして仏法は普遍的真理、真実を説き、誰をも排除せずに導くものなので仏宝(ブッポウ)として尊ばれるのです。

 今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y


 ご関心のある方は当山のホームページ(http://hourakuji.net/)をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

この記事を書いたプロ

大師山 法楽寺 [ホームページ]

遠藤龍地

宮城県黒川郡大和町宮床字兎野1-11-1 [地図]
TEL:022-346-2106

  • 問い合わせ
  • 資料請求

このコラムを読んでよかったと思ったら、クリックしてください。

「よかった」ボタンをクリックして、あなたがいいと思ったコラムを評価しましょう。

0

こちらの関連するコラムもお読みください。

<< 前のコラム 次のコラム >>
最近投稿されたコラムを読む
Q&A
セミナー・イベント
お客様の声

○Aさん(中年女性)の場合 心身の不調を縁としてご加持を受け、自分の願いが通じると実感されました。 そして祈り方を覚え、商売や家庭にさまざまな問題を抱えなが...

 
このプロの紹介記事
遠藤龍地 えんどうりゅうち

人々が集い、拠り所となる本来の“寺”をめざして(1/3)

 七つ森を望む大和町の静かな山里に「大師山 法楽寺」はあります。2009年8月に建立されたばかりという真新しい本堂には、線香と新しい畳のいい香りが漂います。穏やかな笑顔で出迎えてくれた住職の遠藤龍地さんにはある願いがありました。それは「今の...

遠藤龍地プロに相談してみよう!

河北新報社 マイベストプロ

宗教宗派を問わず人生相談、ご祈祷、ご葬儀、ご供養、埋骨が可能

所属 : 大師山 法楽寺
住所 : 宮城県黒川郡大和町宮床字兎野1-11-1 [地図]
TEL : 022-346-2106

プロへのお問い合わせ

マイベストプロを見たと言うとスムーズです

022-346-2106

勧誘を目的とした営業行為の上記電話番号によるお問合せはお断りしております。

遠藤龍地(えんどうりゅうち)

大師山 法楽寺

アクセスマップ

このプロにメールで問い合わせる このプロに資料を請求する
プロのおすすめコラム
村上春樹氏の「影と生きる」に想う ─影が反逆し始めた世界─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 世間は万華鏡 ]

自衛隊員の本音 ─出征する覚悟、辞める無念─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 不戦堂建立への道 ]

12月の守本尊様は千手観音菩薩です ─救われる時─
イメージ

 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故...

[ 今月の守本尊様・真言・聖語 ]

Q&A(その32)自業自得なら廻向で救われない? ─因果応報と空の話─
イメージ

 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故...

[ 仏教・密教 ]

一年と一周忌供養 ─あの世でもこの世でも救われる話─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 葬儀・供養の安心 ]

コラム一覧を見る

スマホで見る

モバイルQRコード このプロの紹介ページはスマートフォンでもご覧いただけます。 バーコード読み取り機能で、左の二次元バーコードを読み取ってください。

ページの先頭へ