コラム

 公開日: 2016-01-15 

イラク戦争と靖国神社への祈り(その9) ─仰ぎ見る峰・万人への救い─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。




 平成16年1月、自衛隊のイラク派兵に鑑み、小生は、仏神と祖霊のご加護で自衛隊員の無事帰還をはかるべく、靖国神社へ向かって托鉢行を始めた。
 世界の情勢が急変を見せ始めた今、そのおりの記録を加筆訂正しながら再掲しておきたい。
 不戦日本の願いを込めて。

○峰(二月十六日)

 朝に妻と連絡をとってみると、ご祈願やご加持の申し込みが溜まっているらしい。
 皆さんの顔が浮かび、〝もっともっと幸せにしてあげたいのに〟と法力(ホウリキ)の至らなさを恥じる。
 釈尊もお大師様も、人々の迷妄の解消に、善願いの成就に、あるいは社会的な災厄の解消に、いかにお力を発揮されたことか。

 ある時、お大師様は天下泰平を祈る修法に入り、宮中からの要請にも応じず、成就の時まで弟子たちと共に山門からお出にならなかった。
 やがて法は成り、嵯峨天皇の存命中は、いのちをも奪い合う当時特有の権力闘争をはじめ大事件は起らなかった。
 超人的な法力である。
 人間が寄り集まっている衆生世間(シュジョウセケン)と、それが依っており抱かれている自然世界である器世間(キセケン)の全体を〈国〉とし、全力でそれを護ろうとされたお大師様の大きさは想像し切れない。
 それは遙かに高い峰であり、小生のような末徒などは裾野を歩いただけで死ぬしかないが、せめて頂上を拝しつつ死にたい。

 歩きながら、隠形流(オンギョウリュウ)居合の稽古もやっている。
 まず、極力道路の右側を歩く。
 車が見えていれば、万が一突っこまれる場合に予測・回避がしやすい。
 いつも、身をかわす方向と場所を意識している。
 ただし、高い橋の上や右側が切り立った切り通しなどの場合はどうしようもない。
 それと、ぼんやりではあるが八方へ意識を向けている。
 漫然としていたり、考え事に夢中になっていたりすれば危うい。
 歩くのも格好の修行である。

 一旦帰山せねばならず電車を待つプラットホームに鳩が舞い降りた。
 他の人のところへ行かず、おにぎりを背負っているのを知っているかのように、私の座っているイスの前をうろうろして離れない。
 おにぎりを少しづつやりながら、首の付け根をぐるっと取り巻く瑠璃(ルリ)色の羽毛の輝きに眼を奪われた。
 足も、光ってはいないが同じ色だ。
 彼は人間が持っていない宝ものを持っている。
 生きものは皆それぞれに宝ものを持っているのだ。
 人間は、その一つをも創り出せない。
 安易かつ声高に叫ばれる「環境保護」の言葉に対して感じていた違和感の正体がつかめた。
 人間にとっての損得計算以前に、畏敬や畏怖があってしかるべきではなかろうか。
 畏れや慎みがなければ、文明のブルドーザーは高慢さをまとったまま、儚く右往左往するしかない。

○帰依(2月17日)

 4日ぶりにご本尊様の前で修法を行う。
 老いと病いの苦、人を憎む苦、突然襲い来る不安と不調、他人との悪因縁にからまる苦、ご縁の方々のさまざまな苦を解かねばならない。
 修羅へ向かう人の足止めもせねばならない。
『般若心経』は「よく一切の苦を除く」と説き、『観音経』は「かの観音の力を念ずれば~」と苦の消滅を説き、『聖不動経』は「須臾(シュユ)にして吉祥を得ん」と説いている。

 日本で会社を始めた中国人Aさんは言った
「よく見ていると、モノに恵まれている人はあまり信仰心がないようですね。
 中国でも、日本でも同じです。
 もちろん、人それぞれですが」
 確かに、人は、自分が欲しい肝心要(カンジンカナメ)のものが決定的に不足し、万策尽きようとする時、仏神を想う。
 不足感の無い場合は、必死の思いはあまり生じない。
 ただし、肝心要のものは人により状況によって異なる。
 だから、「お金持は不信心である」などとは決めつけられない。
 欲しいものは、あるいは財、あるいは人、あるいは心、あるいは命、あるいは健康、あるいは名誉、あるいは力、あるいは天運、あるいは時間、…………。
 誰が何に不足感を感じているか、誰が何に追いつめられているか。
 それぞれの心中は、他人の容易く想像できるものではない。

 いずれ、「み仏は親のようなものである」とされ、何が必要などんな場面でも、帰依(キエ)する者を見捨てるみ仏はおられない。
 帰依こそが極楽への入り口である。
 不足しているものを求め、救いを求めて手を合わせれば、右手はご本尊様、左手は自分なのだから、何が手に入ろうと入るまいと、必ず自分自身への浄めとなる。
 欲自体は善でも悪でもない。
 ともすれば煩悩(ボンノウ)となりやすい欲がまごころと重なれば清らかな大欲(タイヨク)となり、降りたご加護は自分だけでなく他人をも救う。
 欲の転化、昇華こそが決定的な救いである。
 南無般若菩薩(ナムハンニャボサツ)。
 南無観世音菩薩。
 南無不動明王。

「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA


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 山里の寺から、有縁無縁の方々の、この世の幸せとあの世の安心を祈っています。

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