コラム

 公開日: 2016-02-12  最終更新日: 2016-02-20

お骨の入っていないお墓に手を合わせる意味は? ─あの世に行けばなぜ、安心なのか?─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。



 富谷町のAさんがご相談に来られました。

1 お骨のないお墓

「私はもう年なので、息子に心配をかけないようにお墓を造ったのですが、お参りをしてよいかどうか、わかりません。
 まだ、お骨が入っていないので、拝むのは変ですよね。
 でも、せっかく気に入ったお墓を見に行かないではいられず、掃除をしてから帰ってくると、あれでよかったのかなあと、いつも思うんです。」

 お答えしました。

「たとえば、石で立派な門やフェンスを造ったからといって拝む人はいないでしょう。
 あるいは銅像や置物などでも同じですよね。
 でも、お墓だけは拝みたくなります。
 それはもちろん、親やご先祖様などの御霊が眠っておられるからなのですが、もっと重大な背景もあります。
 生前に造る寿陵墓(ジュリョウボ)の意義を考えてみましょう。」

2 あの世に行けばなぜ、安心なのか

 御霊はなぜ、安心していてくださると思えるのでしょうか?
 たとえば、病気で苦しみ、あるいは借金に苦しんでいた方が、亡くなられた途端に、本当に苦しみから離れておられると、なぜ、思えるのでしょう。
 肉体が無くなれば、肉体的な苦痛はなくなります。
 この世にいなくなれば、相続人がいればともかく、少なくとも本人はもう、借金取りから追いかけられることはありません。
 だから、もしも死んで苦がなくなると考えるならば、肉体がなくなると共に何もかもが無になるという前提が必要です。

 すべてが無になるのならば、私たちはなぜ、手を合わせないではいられないのでしょうか?
 すなおに自分の心を省みれば、手を合わせ、心を向ける〈対象〉があることは確かです。
 その対象はどこにあるのでしょう。
 もし、所詮は記憶でしかないというならば、記憶はどこにあるか、どうやって取り出し、確認できるのでしょう。
 また、仏壇やお墓の前でいっそう自然な祈りができるのでしょうか?
 私たちは目に見えぬ何かが、目に見えぬ世界に〈在り〉、瞑目や合掌や祈りによって日常生活的感覚から離れれば、その世界に通じることを知っています。
 こうした対象を御霊と称し、御霊のおられる世界をあの世と考えています。
 御霊もあの世も、科学的にその存在を検証することはできませんが、その存在を科学的に否定することもできません。
 だから、私たちは太古の時代から、御霊やあの世に対して生じる敬虔な心をすなおに尊び、祈る形を考え、伝えてきました。

 さて、御霊がどこかにおられるならば、御霊は当然、特定の何かであり、それを特定するものは、この世で積んだ業(ゴウ)に他なりません。
 善い結果をもたらす善業(ゼンゴウ)であれ、悪しき結果をもたらす悪業(アクゴウ)であれ。
 つまり、御霊はこの世での生の歴史がもたらす来世での善き可能性も、悪しき可能性も持った存在であると考えられます。

 要するに〈死ねばチャラ〉になりはしないのです。
 このことを認識する必要があります。
 
 だから、私たちがこの世で、仏神や師や親や先生や先輩などの指導や庇護や加護を受けてこそまっとうに生きられるのと同じく、御霊もまた、あの世でそうした導きがあってこそ、より安心な未来へ向かって進めるであろうと考えています。
 悼み、感謝し、安寧を願うまごころを御霊へ廻し向けることを廻向(エコウ)と言います。
 廻向は導き手があればこそ可能です。
 あの世の親であるみ仏こそが、あの世における導き手であり、この世にいる私たちの廻向を実質あるものにしてくださると考えるのが仏教です。
 つまり、導き手であるみ仏に手を合わせず、御霊をしか拝まない仏教はあり得ません。

3 み仏をお迎えする

 こうして、あの世の御霊がかつて積んだ悪業を少しでも滅し、安心してさらなる来世へ向かえるよう、導き手であるみ仏をお迎えする大切な場の一つがお墓です。
 それを確かにするのが開眼供養(カイゲンクヨウ)です。
 法力のある導師が法を結び、み仏に墓所へ降りていただけば墓石はみ仏の世界、あの世へ通じる標識となり、墓所は聖地となります。
 お骨があるから聖地なのではなく、み仏と通じる場であって初めて聖地と言えます。

4 お墓によってこの世も守られる

 以上の理由により、結論をこう申しあげました。

「お墓は聖地です。
 それを造られたのだから、お骨のあるなしにかかわらず気になるのは当然です。
 お勧めするのは、聖地を形だけでなく、本当の聖地にすることです。
 それには開眼供養が必要です。
 開眼供養した聖地は、ただちに皆さんにとってご守護の場となります。
 訪れ、守護してくださるみ仏へ手を合わせる方はすべて、ご加護の中へ入られます。
 お骨のあるなしは関係ありません。
 そうして、おりおりにご加護いただく安心体験はとても貴重です。
 Aさんの心が不動の安心へ向かってどんどん定まるだけでなく、そうした生き方によって奥さんも、お子さんも、必ず、よき感化を受けます。
 安心の世界を目ざしている人のよき気配は知らぬ間に周囲へ漂っているものです。
 気になることを放置せず、決心されたならば、開眼供養をお申し込みください。」

「おん ばざら たらま きりく」
 今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0


 ご関心のある方は当山のホームページ(http://hourakuji.net/)をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

この記事を書いたプロ

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