コラム

 公開日: 2016-03-09 

フウテンの寅さんと愛の誤解 ―『チベットの生と死の書』を読む(12)―

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。



 ソギャル・リンポチェ師の著書『チベットの生と死の書』は、生と死を考える人びとへ重要な示唆を与える一冊である。
 伝統仏教の最先端を示し、かつ、最奧をもかいま見せる高貴な魂の結晶である。
 師は「仏法をより近づきやすいものに、現代的、実践的なものにするために著した」とされているが、700ページ近い力作で、なかなか読み通せないかも知れない。
 以下、全体の概要というよりは、いくつかのポイントを挙げておきたい。

 私たちは容易に無常を知ることができる。
 人やペットの死、花の枯朽、企業の倒産、世界のすべては無常を告げている。
 何もかもが変化してやまない。
 しかし、私たちは〈知って〉いるのに、不変を求めてしがみつき苦悩する。
 だから師は諭す。

「〈無常〉を思うだけでは充分ではない。
 生きてあるうちに、あなたはそれに働きかけなければならない。
 医学の修得に理論と実践の両方が必要とされるように、生もその両方を必要とするのだ。
 生の実地訓練はここにある。
 今にある。
 この変化の実験室のなかにある。」

 最近はテレビで名医を紹介する番組が多くなった。
 ゲストたちの判断や治療の正確さには舌を巻く。
 理を知り腕を磨いた達人の仕事ぶりは神業のようだ。
 どの分野であろうと、「理論と実践」が私たちを生かし救う力となる。
 そして、私たちの日常生活はすべて、心次第で「変化の実験室」となり、「実践」の場となる。

「ひとつ実験をしてみよう。
 硬化を一つ用意する。
 それはあなたが生のなかで必死でしがみついている何かだ。
 それをしっかりと手のなかに握って、腕を伸ばす。
 手のひらを地面の方に向ける。
 今、手を開くかこぶしをゆるめるかすると、あなたはそれまでしがみついてきたものを失うことになる。
 だからあなたはしがみつく。

 だが、ここに別の可能性がある。
 手を開いて、それでも硬化を持っていることができるのだ。
 腕を伸ばしたままで、手のひらが上を向くようにする。
 手を開いてみよう。
 硬化は依然あなたの手のうえにある。
 あなたは手を放す。
 だが硬化は依然としてあなたのものだ。
 広い空間のなかで。

 つまり、生を味わいながら、何かにしがみつくこともなく、〈無常〉を受けいれる道があるということだ。」

 私たちは無常を知ってはいるが、本当にそれが避け難く、自分自身も、自分の関係するすべてのものにとっても例外ではないという真実が腑に落ちてはいない。
 だから、何かを握ろうとする。
 握っていないと不安だからだ。
 自分が、成就不可能な可能性にかけていることを無意識の領域で知っているのに、可能性にしがみつくから不安が起こる。
 いつまでも愛されていたい。
 いつまでも愛していたい。
 ──自分の心も、相手の心も、一瞬たりとも休まず揺れ動いているのに。
 ──自分自身が物心ついてこの方、ずっと気移りを繰り返してきたことを誰よりもよく知っているのに。

「わたしたちはつねに幸せを求めている。
 しかし、幸せを求めるそのやり方があまり不器用で稚拙なために、よりいっそうの悲しみを呼び寄せるばかりだ。
 ふつうわたしたちは、幸せを保証してくれる何かをしっかりと握りしめていなくてはならないと思っている。
 何であれそれを自分のものにしなくて、どうしてそれを楽しむことができるだろう、と思っている。
 執着がいかに愛と誤解されやすいことか!
 二人がたとえ良い関係にあっても、愛は執着によって損なわれるのだ。
 その不安感、独占欲、プライドによって損なわれるのだ。
 そして、愛が失われたとき、あなたに残されているのは愛の『思い出』と執着の傷痕だけ。」

 愛と執着は別ものであり、執着に愛を確保しておく力があるわけではない。
 愛が本当の愛であるためには、つまり、決して損なれわない愛であるためには、執着という〈損なうもの〉を排除せねばならない。
 師からこう言われると、私たちがいかに勘違いをしているかに気づく。

「では、どうすれば執着を乗りこえてゆけるのか。
 無常の真理を理解することによってである。
 それ以外にはない。
 その理解がゆっくりとわたしたちを執着の手から引き離してゆく。」

 私たちが変化に対してとるべき態度は一つしかない。

「変化に対する正しい態度とは、流れゆく雲をながめる空のようであること、水銀のように自由であること、である。」

 私たちは普通、せいぜい「流れゆく雲をながめる」〈人間〉でしかない。
 無常を自分の向こう側へ置いている。
 だから、無常を見て、知っているだけである。
 しかし、「流れゆく雲をながめる」〈空〉となれば、話はまったく違う。
 無常を自分の世界内で起こることとしてそのまま受け入れた上で、それを観察している。
 とどまらない雲の動きと、自分が〈在る〉こととは切り離せない。
 ここまで行ってようやく「無常の真理を理解」したことになるのだろう。

 また、水銀のたとえは鮮烈だ。
 水銀はどこにこぼれても、泥やゴミと混じり合わず、純粋なままだ。
 そして、水銀は合体して大きな固まりになっても、別れて小さな粒になっても同じ水銀のままだ。
 環境に左右されず、〈そのもの〉として在る。

 こうして考えてみると、渥美清の演ずるフウテンの寅さんが、約30年間に48本もの映画になり、ずっと日本人の共感を得てきた背景がわかる。
 四季の移り変わりが明確な環境に住み、かつ、それを深く受けとめる繊細な感覚を持っている日本人はおそらく相当程度、無常を知っているのだろう。
 知っていても、普通、無常はそちら側に置きたいし、自分のことについては無常を忘れて何かにしがみついていた方が、安心なように思えてしまう。
 無常を見ている心の目と、それに蓋をしておきたい心とが葛藤を起こしている。
 寅さんは葛藤を哀愁に昇華させて、人生を次の場面へと移して行く。
 私たちは、哀愁になる前の喜悦、執着、煩悶、嘆き、怒り、怨みなどでがんじがらめになり、そこからなかなか抜け出られない。
 私たちは、執着心の後遺症を抱えてしまい、なかなか人生の場面を切り替えられない。
 そんな私たちにとって、寅さんは私たちに成り代わり、潔く無常を生きて見せてくれる英雄なのだ。
 寅さんはいつもマドンナのために、周囲の庶民のために、身を粉にして何ものも惜しまない。

「少しづつ執着から離れてゆくと、わたしたちのなかで大いなる慈悲が解き放たれる。
 貪欲の雲はうすれ消えてゆき、真の慈悲心の陽がさしこむ。」

 師は、真理を示したものとしてウィリアム・ブレイクの詩を挙げる。

「喜びをその身に引きつけて離さぬ者は
 天地をかける生命を滅ぼす。しかし
 飛び去る喜びに口づけする者は
 永遠の朝日のなかに生きる」

 寅さんを演じた渥美清は肝臓癌が肺まで転移しており、ほとんど動けない状態(主治医は映画出演を「奇跡に近い」と表現した)でも、リリーこと浅丘ルリ子と4度目の共演(死期を悟った浅丘ルリ子はぜひ、と熱望していた)を果たし、従容と逝った。
 寅次郎はまさに「永遠の朝日のなかに生き」続けていると言えないだろうか。合掌
 
 今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃまりぼり そわか」
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8


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