コラム

 公開日: 2016-04-19 

大相撲の「張り手」について ─何が問題なのか?─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。



〈水子地蔵様に風車を飾りました〉

 大相撲の「張り手」について考えてみたい。

1 禁じ手と石原慎太郎

 大相撲の「張り手」は禁手になっていないので、近年、多用される傾向にある。
 禁手(通称「禁じ手」)とは、「相撲競技に際して、左の禁手を用いた場合は、反則負とする。」とされている8つの攻撃法であり、「握り拳で殴ること」や「胸、腹をけること」などが含まれる。
 作家石原慎太郎氏は、4月18日付の産経新聞に『横綱の張り手』という一文を載せた。

 氏は、詫びや寂びの風情、あるいは工芸や料理の独自性などを挙げ、グローバライゼイションによる風俗の変化が「民族の特性を疎外し弱体化し日本人の持つしなやかな強さまでを淘汰してしまうのだろうか」と書く。
 そして、大相撲における最近の傾向に言及する。

「風俗なるものは所詮一時的なものに過ぎず、世界化なるものが何をもたらそうと私たちは己の持つ本質的なものまでを失うつもりはない。
 余計な連想かも知れないが最近の相撲を眺めていてもそう思う。
 外国人の横綱が下の力士に平気で張り手をかます。
 中には相手の顔の真ん中を張って鼻血を出させて突き飛ばす。
 彼らが憧れてみせる双葉山は決して張り手なぞしなかった。
 無類の大関だった前田山は張り手をするというので嫌われ出世が遅れたものだった。」

 張り手はルール違反ではないが、自(オノ)ずから慎みつつ用いられるべき技であり、その慎みの中にこそ伝統の粋があるという意味だろう。
 そして、締めくくる。

「相撲がどう変わろうと、私たちは伝統が破壊されることで民族の本質だけは決して失いたくないものとただしみじみ思う。」

 ここには横綱白鵬の張り手など、外国人の土俵態度が日本人の感覚からすると美しくない場面をもたらすことへの苦言がある。

2 白鵬の涙
 
 3月27日、横綱白鵬は千秋楽、横綱日馬富士に勝てば優勝という大一番において、右手を伸ばしながら左へ飛ぶという奇手を用い、日馬富士にほとんど身体を触らせず勝負をつけた。
 会場には怒号が渦巻いた。
「何やそりゃ!」
「勝てば何でもええんか!」
「恥を知れ!」
 白鵬は優勝インタビューで幾度も「すみません」を繰り返し、泣きつつ詫びるというまことに異例な展開となった。
 しかし、支度部屋に戻ってからは本音を言っている。
「稀勢関も変化があったから、これで文句は言われないでしょう」
 優勝を争っていた大関稀勢の里も大関琴奨菊相手に変化で勝っていることを指して、自分だけがどうこう言われる筋合いはない、モンゴル人だからといって差別されるのはフェアじゃない、と反発している。

3 「民族の本質」はどうなっているか

 石原慎太郎氏は「民族の本質」と言っているが、その本質から生まれる「忖度」という態度や「暗黙のルール」を守るといったふるまいが壊れつつあるのは、何も大相撲に限ったことではない。
 多士済々だった自民党が全会一致という総務会の伝統を壊して多数決にしてしまい、現在の独裁的雰囲気をもたらしてしまったことはどうなのか?
 法律の専門家である政治家が決まりを巧みに用いて辞職や解散を繰り返し、権力のままにふるまっていると見られる状況はどうなのか?
 聖徳太子の精神が薄れている現状をこそ、憂うべきではないのか。
 十七条憲法はこう始まる。

「和(ヤワラギ)を以て貴しと為し、忤(サカ)ふること無きを宗とせよ。」

 そしてこう終わる。
「夫(ソ)れ事独(ヒト)り断むべからず。必ず衆(モロモロ)とともに宜(ヨロ)しく論(アゲツラ)ふべし。」
 和を目ざし、険悪な対立を招くなと言う。
 独断はならぬ、衆知によって決せよと言う。
 私たちそれぞれが未熟な存在なのだから、政治が誤って社会へ混乱や不幸をもたらさないよう、尊い仏神を仰ぎ、思いやりと知恵を寄せ合って共に生きる社会を目ざそうと説かれたのだ。

4 張り手の可否

 さて、張り手そのものはどうか?
 下位の者が上位の者に繰り出す張り手は無礼である。
 上位の者が下位の者に繰り出す張り手は無慈悲である。
 まして、顔の前面へ繰り出す張り手は鼻血を出させ、顔を傷つけ、身体を大切な道具としていたわるスポーツマン同士の競い合いとしては、はなはだ醜い。
 いずれもが〈見苦しい〉と感じられてならないのは小生だけだろうか?

 横綱白鵬はまだ31才である。
 大鵬を目ざし、双葉山を畏敬する若者がまだ、日本の文化に潜む「本質的なもの」を充分に理解していないからといって、差別され、懸命な努力と立派な成績に泥を塗られるのはおかしい。

 文化や風俗に国籍がなくなりつつある時代にあって、石原慎太郎氏が言うように「伝統が破壊されることで民族の本質だけは決して失いたくない」のなら、大相撲が変わるしかないのではなかろうか。
 つまり、張り手を禁手にするのである。
 それは、〈日本人〉である小生の感性からすると当然のことと思われる。
 道具の使いようが多様になり、危険性が生じたならば、道具そのもののありようを放置してはならない。
 相手の身体をいたわるという当然のスポーツマンシップからしても、ルールの改善は考えるべきであろう。
 頭からぶつかり合って出血するのはやむを得ず、決して見苦しくはない。
 しかし、叩かれ、突かれて出血するシーンは決して〈美しくない〉と思えてならない。
 さて、どうだろうか。

「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA


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