コラム

 公開日: 2016-05-23 

人生の終い方と人生の価値 ─NHKテレビ『人生の終い方』を観て─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。



〈七ツ森の最高峰笹倉山を正面に〉



〈清浄で清涼で明瞭な月に学びたい〉

1 NHKテレビ『人生の終い方』

 NHKテレビの『人生の終い方』を観た。
 進行役は桂歌丸師匠(79才)。
 師匠はこの日、50年にわたって出演し、ここ10年間は5代目の大喜利(オオギリ)司会を務めてきた番組『笑点』から降りた。
 大喜利とは、何人もの回答者がもらったお題に応じた芸を行うことである。
 師匠は『笑点』の収録中、明るくふるまっていたが、すべてが終わり、観客へ挨拶する段になって号泣したという。
 そうした一日の締めくくりに努めた『人生の終い方』は見事な仕事ぶりだった。

 番組は、お葬式やお墓の決め方といったものではなく、ガンの宣告を受けるなどして〈残された日々〉という意識を強く持った人々が、人生の最期に何をやりたいか、この世と、この世で縁のあった人々へ何を残したいかの2点に絞ってつくられた。
 最後に師匠は言った。
「人生をどう終うかは、最期をどう生きるかということだと思います」
 そのとおりだと思う。
 番組で取り上げられたどの人も、いつ、どう死ぬかは、自分の手から離れた問題であることを骨の髄までわかっておられたことだろう。
 自分でかかわることができるのは、〈それまでの日々の過ごし方〉でしかない。
 満身創痍、舞台を降りれば酸素のチューブをつける師匠は、高座で演じながら死ねるなら本望だと言ったが、それが師匠にとっての生き方であり、同時に死に方だ。

 それにしても、番組の出演者たちはどなたも見事に生き、見事に逝かれた。
 いのちのとっておき方ではなく、使い方に腐心された。
 残された自分自身のいのちそのものよりも大切なものを見つけ、そのために、残された自分のいのちすべてをつぎ込んで悔いはしない。
 むしろ、いかに悔いなくいのちを使い切るかが唯一の関心事となっていた。
 それこそが実は、誰にとっても〈本当の生き方〉なのではなかろうか?

2 健全な精神と健全な身体の矛盾

 私たちは普段、無意識のうちに〈このままずっと生きている〉と思っているのではなかろうか?
 だから、ここ一番といった場面ですら、「とりあえず」「まあ、いいか」「後で始末すれば」「ここはかんべんしてもらおう」「どうにかなるさ」といった意識が頭をもたげてくる。
 しかし、誰一人、自分が死ぬ時がいつになるかを知らないのだから、実は、余命3ヶ月と宣告された人と何ら変わらない人生の日々を過ごしているのだ。
 生まれた全員が死へ向かい、砂時計が時を刻むように残された日々を過ごしている。
 しかし、なかなかその真実に気づかないし、気づけない。
 何が気づかせないか?
 それは健康であり、財産であり、自由である。
 いずれも、私たちが最も大切だと思っているものばかりであることは皮肉だ。
 このことは古代ローマの詩人ユウェナリスがすでに指摘している。
「健全なる精神が、健全なる身体に宿るように祈る」
 それは、戦争などに際して誤用されるように、「身体を健康に保てば精神もキリッとするのだから、身体を鍛えねばならない」といったものでは決してない。
 健康であれば健全な精神を持ちにくいので、健康な身体の命ずるがままに生きるのではなく、健康であってなお、しっかり耐えたり、つまらぬことで怒らなかったり、気ままな国王のような快楽でなく、自分のいのちさえかける英雄のような苦労を求めたいと願うのだ。
 健康や財産や自由に流されないところにこそ、人間の尊厳は輝く。

 私たちは往々にして、ユウェナリスが嘆いたとおりに生きる。
 ハッと気づかせるのが、健康や財産や自由がどんどん失われ、誰も、何もが進行を止められない〈老い〉であり〈病気〉であり、そして〈死〉の実感だ。
 私たちは、自分がそれらに直面しないとなかなか〈尊厳ある生き方〉がわからない。
 しかし、お釈迦様は、若くして老人と病人と死者と行者とを眺め、何不自由ない環境に生まれた自分の〈生まれ〉を見つめ、生老病死(ショウロウビョウシ)のままならなさに耐えられず、行者の道へ入った。
 そして、尊厳ある生き方が何であるかを説いた。

3 人生相談と人生の終い方

 人生相談を申し込み、「人生の終い方」について口にされる方々は絶えない。
 お葬式やお墓、あるいは資産の処分などについてのご相談もあり、やっておきたいことや言い遺したいことについても本音を言われる。
 それぞれの宗教宗派は多岐にわたり、無宗教の方も少なくない。
 小生はじっとお聴きする。
 ご質問へは答える。
 何かを強制することは一切、ない。
 どなたもが、自分のいのちをとっておくのではなく、いのちをかけてやりたいことについて語り、一種の確認をされる。
 語りつつ自分で確認し、小生の様子を見て確認するのだ。
 当山は皆さんにとって必要なお手伝いをさせていただくのみである。
 医師シシリー・ソーンダースは、死に行く人の尊厳をこう定義した。
「死んでゆく人が、本人の人生に価値を見出すこと」
 人生の終い方とは、それぞれの方々が、ご自身なりに自分の人生の価値を再確認する方法であると思う。
 
「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0

 ご関心のある方は当山のホームページ(http://hourakuji.net/)をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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