コラム

 公開日: 2016-06-18 

Q&A(その24) ─なぜ、お骨を2人1組で拾うのでしょうか?─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。



〈高橋香温先生の書道教室です。朝日新聞様からお借りして加工しました〉

 火葬場でお骨を拾う収骨の時、2人1組で行う風習が残っています。
 その理由については、さまざまに言われています。
 共に故人を悼むという気持の表現。
 故人の思いが1人に取り憑かないための防備。
 一般的にはこうしたことになるのでしょうが、お釈迦様やお大師様があの世へ行かれた様子を思い描きつつ、祈っている者としては少々、違うイメージを持っています。
 お釈迦様は葬式を望まなかったのだから、僧侶が死んだ人に関わるのはおかしい、悟りを求め、生きている人のケアさえしていればいい、と叫ぶ方もおられますが、〝そうだろうか?〟と、かなり強い疑問を持ってもいます。

 お釈迦様は生前、すでに高名でした。
 その人格を慕い、教説を求め、たくさんの人々が共に行動し、あるいは地域への来訪を待ちわびました。
 そしてインドでは、昔も今も、薪を積み上げてご遺体を火葬します。
 また、お釈迦様の入滅後100年か200年経ってインドを統一したアショーカ王は深く仏法に帰依(キエ)し、お釈迦様のお骨を納めた8つの塔のうち7つからお骨を取り出し、インド中に建てた8万4千と称される仏塔へ納め、人々がどこででも、手を合わせられるようにしました。

 こうした状況を考えれば、お釈迦様が「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成させよ」と言って入滅された後、弟子たちや周囲の人々はどうしたと想像されるでしょうか?
 もちろん、ご遺体を放置したり、庶民のようにお骨をサラリと河へ流したりはしなかったはずです。
 祈りながらねんごろに火葬し、そのお骨には、一欠片(カケラ)をも残さないほどたくさんの手が伸びたことでしょう。
 大切に集められたお骨は8つの塔で供養される一方、聖なる御守として持ち帰った人々もたくさんいたのではないでしょうか?

 つまり、周囲から生前、慕われ、尊ばれた人が亡くなって火葬されれば、お骨はそうした人々によって拾われ、いかなる形で自然へ還されようと、お骨も、お骨を納めた場所も、大切に扱われてきたはずです。
 そうです。
 きっと、お骨を複数の人で拾うという現在の風習は、「皆、あなたの尊い人格を偲び、あなたを死を悼み、あなたのような人にあやかりたいと願っているのですよ」という心の呼びかけが大元にあったのです。

 そして、亡くなった人を心から惜しみ、何としても安寧(アンネイ)の世界へ旅立って欲しいと願う人々は、宗教者の助けを借りてきたはずです。
 そもそも、死をどうするか?という根本的問題に発しない宗教はないでしょう。
 古い時代の生活を示す遺構や遺物は、死と祈りが文明・文化の根本にあったことを示しています。
 宗教者はその問題に真正面から取り組むことを重要かつ欠かせない使命の一つとし、自らが答を求め尽くすと共に、その問題にまつわる苦を抱えた人々のためになりたいと願わずにはいられません。
 いつの時代であろうと。
 お大師様がご葬儀や法事に際して書かれた文章を読むと、死に際して仏天へ祈らずにはいられない人々と宗教者の思いや願いが、まるで、今のできごとのように胸の音叉に響いてきます。

 お骨を2人1組で拾うという行為1つにも、私たちの生き方、死に方が表れています。
 漫然とやり過ごしたり、日常生活的な〈要る〉〈要らない〉で済ませたりしないようにしたいものです。
 今の日本では、子供が親から受けた恩の量と、親の死までかける手間やお金と、2つを天秤にかけることを推奨する評論家さえ現れました。
 ここまで来てしまったかと暗澹たる気持になるだけでなく、仏天に、ご先祖様に、世界に対して、恥ずかしくてなりません。
 私たちが真の意味で心豊かに生きられるかどうかは、人生の根本的な問題にどう向きあうかにかかっています。
 伝統、作法、教え、何であろうと先人が残してくれたものによく学び、自分でよく考え、人生を心豊かに生きたいものです。
 自分がそう生きることが、この世と社会を真の意味で豊かにする出発点ではないでしょうか。

「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA

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 山里の寺から、有縁無縁の方々の、この世の幸せとあの世の安心を祈っています。

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