コラム

 公開日: 2016-07-04 

介護殺人(その1) ─「私は家族を殺した」に思う─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。


〈こうしたものを楽しめる私たちの生とは?〉

 7月3日のNHKスペシャル「私は家族を殺した〝介護殺人〟当事者たちの告白」は、視聴者を震撼させたことだろう。

1 介護殺人の現場

 日本における介護殺人事件は、およそ2週間に1件の割合で起こっているという。 
 老いや病気により、自分で自分のことができなくなった時、介護するのはまず家族、そして補助を行うのが、しかるべきシステムや施設などだ。

 さて、現代では、一緒に生活する〈家族〉がどんどん少なくなっている一方で、人はどんどん長生きするようになっている。
 また、親族間や町内での人間関係はすっかり希薄になった。
 一昔前は、大家族の中ですら介護は大変だったが、お年寄りの世話をするのが〈当然〉という精神的風土もあり、親戚づきあいや近所づきあいといった日常生活上の私的な支えもあった。
 だから、確かにお嫁さんは大変だったが、どこの家でも何とかして祖父さんや祖母さんを送ったものだ。
 今は家族の誰かが、ほとんど独りでこの役割を引き受けねばならない。

 家族を手にかけた息子(服役中)が言った言葉は真実を衝いている。

「長生きしてもらいたい。
 でも、一方では、早く死んでもらいたい」

 小生が大学をやめた直接のきっかけも、介護問題だった。
 ブラブラと当てもない学生生活を送っていたあるお正月、帰郷して目を剥いた。
 母親の両親が奥の間で、ほとんど寝たきりになっているのは知っていたが、商売をやっている両親もまた、疲労のあまり別の部屋で横たわる姿は驚愕と言うしかなかった。
 両親の反対にも耳を貸さず、寝ている4人を見て即時に退学と後継ぎを決意した。
 祖父母は両親が見事に送り、やがて父親の介護を受けるようになった母親は82才で亡くなり、小生には介護しようがなく孫娘に介護されていた父親は98才になった今、近くの施設でお世話になっている。
 振り返って見ると、小生の場合、仕事を継続できる仕組みがここまで保たれてきたことは、社会的にも私的にも、運がよかった、おかげさまとしか言いようがない。
 自分が、テレビに出た〈当事者〉の誰かになっていたとしても、何の不思議もないと、心から思う。
 どの人の絶望も、決して他人ごとではない。

 家族を手にかけた息子(服役中)は、介護生活に苦しむ途中で、認知症になった母親が大便のついたおむつを手にしてこう泣く様子に、親も又、苦しんでいるのだと実感し、殺す決心がついたという。

「私が何か悪いことをしたの!」

2 苦の原因

 若く、聡明で、社会的にも家族的にも恵まれたお釈迦様は、老人、病人、死人、そして行者を目にして、すべてを捨てた。
 生老病死の苦を〈我がこと〉として実感されたのだ。
 生まれる、老いる、病む、死ぬ、いずれも意のままにはならない。
 すなわち、苦である。
 その苦は、あまねく万人につきまとっている。
 こうした生とは何か?
 苦はどうにもならないのか?
 苦がどうにもならないなら、生きている、生活するといった人間の営みにはいかなる意味や、意義や、価値があるのだろう?
 さらに、生きとし生けるものもまた、同じ苦にある以上、この世とはいったい何なのか?
 お釈迦様の思いを想像すると、迷いに迷った日々が思い出され、胸苦しくなる。

 お釈迦様はやがて、悟られた。
「苦の原因は、あらゆるものが因と縁によって仮そめに生じているだけであるという肝腎な真理を知らぬ無明(ムミョウ…智慧の明かりが無いこと)にある」
「無明によって自己中心的なり、欲しい、惜しい、好きだ、嫌いだ、などのあらゆる煩悩(ボンノウ)が生じる」
「煩悩には無明という原因があり、原因がなくなれば、因果応報によって必ず、苦もなくなる」
「こうした真理は真理である以上、過去から未来までを貫いて動かぬものであり、過去の聖者方が気づいておられたように自分もようやく今、気づいた」

 つまり、前章の血を吐くような問い「私が何か悪いことをしたの!」に答はない。
 善行(ゼンギョウ)と悪行(アクギョウ)との因果によって認知症に苦しむようになり、介護者を苦しめているのではない。
 介護者もまた、善行や悪行の報いによって苦しんでいるというよりは、介護する相手同様、〈苦なる者〉として生まれてきた同士として〈存在の土台〉が顕わになっている状況に直面していると言うしかない。
 私たちが普段、考える善悪を超えた原理が苦をもたらしている。
 私たち日本人はおそらく、地球上でトップクラスの生活をしているはずだが、たやすくはいのちを脅かされず、どうにか生きて行けるという環境が皮肉にも、〈存在の土台〉を忘れさせるという状況で生きているのだろう。
 しかし、誰一人として例外なく、老い、病気になり、死ぬ。
 そうなった時に、いわば恵まれた〈それまで〉との落差が大きく、受ける苦は巨大になる。
 かつ、老いも、病気もどんどん薄められ、死すら先延ばしが効くので、苦は長く続く。
 苦はなかなか終わらない。

 介護殺人は、人間が負っている苦の現代的な表れと言うべきだろう。
 答の出ない問いを問わずにいられない中で生きている私たちは、辛い。
 では、どうすればよいか?

 今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y

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 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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