コラム

 公開日: 2016-07-21 

『終わった人』を読んで ─終〈括〉のすすめ─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。



 内舘牧子著『終わった人』を読んだ。
 第一行目がなかなか手厳しい。

「定年って生前葬だな」

「元気でしっかりしているうちに、人生が終わった人間として華やかに送られ、別れを告げる。」

 唱和24年生まれの主人公は63才で定年退職する。
 信念を持ち、潔い。

「人間の価値は散り際で決まる」

 良寛の句にも納得している。

「散る桜残る桜も散る桜」

 しかし、見事な決心と進退の割には、なかなか〈成仏〉できない。

「人にとって、何が不幸かと言って、やることがない日々だ。」

「定年という生前葬を終えた今、何もかもが後悔だったように思う。」

 これでは辛い。
 しかも、同年の人間で、いまだに夢を持っているヤツもいるのだ。

「肯定できない自分のどこに、誇りを持てるというのだ。」

「所属する場のない不安は、自分の存在を危うくするほど怖いものだった。」

「『終わった人』でも、誇りを持てる場はきっとある。」

 妻には厳しく言われる。

「年齢ばかり考えてることが、人を年とらせるのよ。」

 昔、通ったクラブのママは、「スーツって息をしているのよ」と言われる。

「仕事を離れて、スーツにふさわしい息をしてない男には、スーツは似合わなくなるのよ。」

 自覚する。

「成仏していないのだ。
 だからいつまでも、迷える魂がさまよっている。」

 妻はそこを衝く。

「年齢や能力の衰えを泰然と受けいれることこそ、人間の品格よ。」

 そして、いろいろやり、案の定、失敗する。
 ただし、若い時とは違って、動じない。

「今後、どれほどひどい暮らしになるか、それはわかっていた。
 しかし、もはやそれを引き受けるしかないのだ。。
 仕事であれ、病気であれ、最大限の努力をした後で、『しかない』という状態に入ったなら、それを引き受ける方が安寧だ。
 俺はそう思っている。
 そう、散り際なのだ。」

 本人は動じないが、妻は無論、「そうですか」では終わらず、悶着となる。

「男にとって会社勤めと結婚は同じだ。
 会社では結果を出さない人間は意味がないとされ、追いやられる。
 家庭では年を取ると邪魔にされ、追いやられる。
 同じだ。
 結婚が男にとっていいものかどうか、俺にはわからない。
 いや、女にとってもだ。
 俺は次に生まれたら、結婚はしないかもしれない。」

 しかし、生き生きとやっている仲間と接し、気づく。

「ああ、俺は定年以降、思い出とばかり戦ってきたのではないか。」

 戦っても仕方がない幻のような相手と取っ組み合いをしてきたのだ。
 勝てるわけがない。
 しかし、人生に〈余りの生〉つまり余生などというものは本来、ない。
 最後の目的を見つけた主人公は、「籍を抜かずに、お互い自分の人生を生きるために、同居の形を解消する」卒婚(ソツコン)に踏み切る。

 もうすぐ70才になる作者は、20年以上も前から、「こういう男を主人公として書きたい」と思っていた。
 還暦、定年という同年代の流れの中で、クラス会などに参加しているうちに「ふと気づいた」。

「若い頃に秀才であろうとなかろうと、美人であろうとなかろうと、一流企業に勤務しようとしまいと、人間の着地点って大差ないのね……」

 読んでみて思った。
 確かに「余生」などというものはなかろう。
 そして、生身の人間として生き続けている限り、「終わった人」でもない。
 だから、〈生前葬〉的な区切はあっても、人生に意欲を失うという意味での成仏はできない。

 思えば、主人公は定年退職しても、それまでの人生を引きずり、過去に取り憑かれたままの人だった。
 大失敗をやらかし、家庭生活もそのまま続けられない状況に陥ってようやく、真の意味で過去の総括ができた。
 あとは、生まれ変わったつもりで、持てる意欲を生かしつつ生きるしかない。

 当山が提唱している終括の本当の意味と狙いもここにある。
 仏教はそもそも、「意欲をなくせ」などとは説かない。
 意欲をいかにまっとうに生かすか、そのために必要な智慧と慈悲を探す。
 しかも、それは決して自分だけのためではなく、自他共に活き活きと生きる世界を目ざす。
 これが仏教の目的だ。
 
 年をとったら、どこかでしっかり終〈括〉をしたい。
 そして、意欲をまっとうに生かしつつ生きたい。
 人によっては、仏教がヒントになり、役立つかも知れない。
 この好著は、きっと、多くの人に読まれ、映画化もされることだろう。
 
「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0

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 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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