コラム

 公開日: 2016-08-27 

19人はなぜ殺されたか? ─「津久井やまゆり園」殺人事件に想う─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。
 7月26日、植松聖容疑者(26才)が相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」に押し入り、19人を殺害した事件から一ヶ月が経った。



 容疑者が事件を起こした社会的背景は、二つ挙げられる。

1 畏敬の欠落

 一つは、私たちの心に畏敬というものが育ちにくくなり、霊性や良心へつながる通路が狭くなっていることだ。
 作家の村上龍著『日本の伝統行事』に「わたしたち日本人の信仰」という項目がある。

「日本人がイメージする神とは、敬いと畏怖と祈りの対象、その『象徴と総体』とでもいうべきものだ。
 祖先の霊、仏像、神社、そして畏れと感謝の念を抱く自然そのもの、それらがわたしたちの神のイメージを形作っているのではないだろうか。
 家族の健康と幸福を神社に祈願し、祖先の墓や仏壇を拝み、リスペクトを持って仏像に接し、自然に対しては、収穫への感謝と災害への畏れを祭祀などの形で表現する。」

 私たちは子供の頃、神社のお祭で不思議なもの、恐ろしいもの、浮き浮きするものを感じとった。
 誰かの葬儀では、死がとても丁重に扱われ、死者が崇められることを知った。
 サイクリングで大雨に遭えば自然の力に立ちすくみ、稲刈りでは垂れ下がる稲穂がご飯になることに驚き、元気に飛び跳ねるイナゴもまた時には貴重な食料として私たちを助けることに感心した。
 合掌して口にする「いただきます」には、背筋を伸ばさせる何かを感じた。
 こうした行事や慣習や作法はすべて、何らかの〈畏敬〉に発しており、振り返って見れば、親からこの〈畏敬〉を教えられたこと以上の恩はないように思える。
 まさに、「象徴と総体」が〈神的なもの〉として、幼い子供の心に畏敬という感覚を育てたのだ。
 数々の失敗をし、親や他人様へ迷惑をかけながらまがりなりにも70年、生きてこられたのは、何ものかに対する畏敬の念が、道を踏みはずす一歩手前で止めてくれたおかげであったような気がする。
 不動明王が手にしておられる索(ナワ)でお救いくださるとは、このことに相違ない。

「神から親しみと優しさを感じることで、わたしたち自身も周囲に優しく接しようとする。
 それは明らかに日本人の美徳の一つである。」

 最近、おもてなし、もったいない、が流行語になっているが、私たちに共通の宗教的感覚から発する「おかげさま」は、流行を超え、いつも身近にあるかけがえのない言葉だ。
 この〈かげ〉こそが畏敬の対象であり、村上氏の言う「象徴と総体」に等しい。
 その〈かげ〉は、私たちがよきことを行う時は後押しをし、悪しきことを行う時は止めてくださる。
 畏敬する相手は、「親しみと優しさ」を持っておられ、感謝の思いが湧いてくる。
 それを感じとる時、私たちの霊性や良心へつながる扉が開き、私たち自身もまた、誰かにとっての〈かげ〉となっている。
 自然に「周囲に優しく接しようとする」心がはたらくようになるのだ。

 容疑者の言動を見ると、ここのところがあまりにも見事に欠落していると思える。

2 価値観の喪失

 もう一つは、太平洋戦争の敗戦を機に、私たちが経済的復興と共に議論し練り上げてきた共通の価値観が、打ち捨てられつつあることだ。
 容疑者は「ヒトラーの思想が降りてきた」と語っている。
 ヒトラーが障害者を「価値なき生命」として安楽死させたことがホロコーストにつながり、狂気の戦争と殺戮が行われた。
 その悲惨さ、無惨さが骨の髄まで沁みた人びとは、こうした非人間的な行為と歴史が二度と繰り返されないよう、人権を考え、尊厳を考え、一歩一歩と社会制度の構築も行ってきた。

 たとえば、浅野史郎氏は厚生省の課長時代にグループホーム制度をスタートさせ、宮城県知事時代に加速させた。
 百カ所ほどだった住宅は現在約7千カ所にまで増えている。
 明らかに「施設から地域へ」という流れは進んでいるが、その一方で、積み上げられてきた歴史を知らない人びとが増え、共有しているはずの価値観が急速に失われつつあると思える。
 事実と歴史に立脚し、今さら議論する余地もほとんどない価値観が、もはや空気のようになってしまい、そのありがたさが忘れられつつあるのだろうか。
 このままでは、差別と傲慢とが蔓延し、再び戦争へと向かう歴史を繰り返すことにつながるのではなかろうか。
 私たちはこの70年間、何を積み上げてきたのか、その価値観を再確認する必要がある。
 
 この事件は、私たちが立脚しているはずの土台が崩れかけていることを教えてくれた。
 おかげさまの心が薄れ、戦後培ってきた価値観が消えつつある。
 殺伐とした心は、たやすく無慈悲な行為へと走る。
 言うまでもなく、その先には戦争が待っている。
 この事件が後世「戦争への道を暗示する事件だった」と言われぬよう、心から願わずにはいられない。
 
「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0

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 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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