コラム

 公開日: 2012-02-19  最終更新日: 2012-02-20

あらためて十善戒を考える(その8) ─〈キレる〉をやめる─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。
 また、当山へかずかずの温かいご支援をくださった方々へ、深く深くお礼申し上げます。
 来る3月11日には「般若心経百万巻」の供養をしましょう。(http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-3107.html



 1年のはじめに、あらためて「十善戒」を考えています。

9 むやみに怒らないこと…不瞋恚(フシンニ)

 瞋恚は「瞋」と「恚」から成っており、「瞋」は、「なにっ!」と目を瞠って怒ること、「恚」は心が円かでなく角張って相手へ向かうことです。
 これがお釈迦様によって悪行とされた理由は、貪りと同じく、怒ることによって我を失い、必然的に発する害意が自分の主人公となってしまうからです。
 慈しむ心があらゆる善行の種であるのに対して、害する心はあらゆる悪行を招きかねません。

 最近はあまり見かけなくなってきましたが「陶冶(トウヤ)」という言葉があります。
「陶」は、人格を溶かしてある形の方向へ導くことであり、「冶」もまた、練り上げて形へ結晶させることを意味します。
 陶器は、泥になって一旦、形を失った土が作者の創造力によって新しく形を得たものです。
 冶金は、溶かした金属を目的とする形に作り上げることです。
 だから、教育によって「人格を陶冶する」とは、好き嫌いや楽をしたい心を抑えて、人間としてあるべき良きイメージへと人格を練り上げて行く粘り強い過程を意味します。
 仏法の立場から言い換えれば、夾雑物である煩悩(ボンノウ)を取り除きながら、心を仏心で満たし、仏心に導かれた生き方をめざすということになります。

 教育には自由が一番という神話によって「陶冶」は脇へ置かれてきましたが、およそ親や教育者の持つ〈良きイメージ〉が先に立たない教育はあり得ません。
 気まま勝手にできれば、多くの子供は好きな方へ、楽な方へと向かい、それがたまたま良い行動に結びついたとしても、あてになりません。
〈好き〉と〈楽〉は善悪とは別であり、〈好き〉と〈楽〉の陰にある〈自分〉が自己中心を主張し、煩悩となって力を発揮するならば、たやすく悪に堕するからです。

〈好き〉と〈楽〉が邪魔された時、怒りが起こり、こうじれば暴力事件や器物損壊事件や殺人事件などともなります。
 こうした状況は「人格を陶冶する」人間修行と反するものであり、陶冶の過程を一気に破壊しかねません。
 だからこそ釈迦様は

「忍は行の尊」

と説かれました。
 煩悩に流されそうになっても堪え忍んで戦いの場から逃げないのが修行です。
 そして、煩悩渦巻く娑婆にあっては、堪え忍ばずには善行を続けられません。
〈忍〉をもって〈怒〉を克服することは、陶冶の柱です。

「キレる」という言葉が流行し、いつしか〈普通の言葉〉になりました。
 子供はたやすくカッとなり、それが〈普通の光景〉と受けとめられるようになりました。
 キレれば悪行がすぐそばに待っている恐ろしさを親や教師はどれだけ認識しているでしょうか。
 子供がつまらぬことで怒ったり、楽をしたいばかりに学校へ行きたくないと言い出した時、怒りにとらわれたり、怠けたりすることそのものの持つ問題点を認識して子供を指導しているでしょうか。

 怒りは、貪りに似て、習い性になります。
 放置しているうちに自然に怒らなくなることはまず、ありません。
 怒りっぽい人は、よほど痛い目に遭わない限りいつまでも起こりっぽく、周囲を辟易させます。
 もちろん、本人の心は頻繁に不快な気持におおわれ、気分は〈不幸〉です。
 喜びながら、嬉しがりながら、あるいは幸せと思いながら怒る人は誰もいません。

 自分で自分を不幸へ陥れている現状を冷静に眺め、相手のせいだと思うのがかんちがいであると理解し、「変えたい」と思い、願い、祈れば必ずそれは成就します。
 誰にでもできる簡単な方法の一つは深呼吸をすることです。
 もう一つは、自分の守本尊様などの真言を唱えることです。
 もう一つは、自分が思いやっている人やネコなどの顔を思い出すことです。
 もちろん、専門的な祈り方もあります。
 やってみればその効果はすぐに実感できることでしょう。
 怒る時の不快感、怒った後の嫌悪感や空虚さなどがなくなれば、人生は劇的に明るくなります。
 周囲の縁も目に見えて変わります。
 いつも慈悲心を持ち、自他のために自分で自分をコントロールできる人、それが理想の人格者であり自他を幸福にできる人です。
 菩薩なのです。

(不動明王の忿怒は凡夫の怒りとは違い、公憤という正義を実現するエネルギーを含んだものもありますが、それは、『怒りは悪? ─凡夫の怒り、不動明王の怒り』(─http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-3093.html)をご笑覧ください)





 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。

 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

この記事を書いたプロ

大師山 法楽寺 [ホームページ]

遠藤龍地

宮城県黒川郡大和町宮床字兎野1-11-1 [地図]
TEL:022-346-2106

  • 問い合わせ
  • 資料請求

このコラムを読んでよかったと思ったら、クリックしてください。

「よかった」ボタンをクリックして、あなたがいいと思ったコラムを評価しましょう。

0
<< 前のコラム 次のコラム >>
最近投稿されたコラムを読む
Q&A
セミナー・イベント
お客様の声

○Aさん(中年女性)の場合 心身の不調を縁としてご加持を受け、自分の願いが通じると実感されました。 そして祈り方を覚え、商売や家庭にさまざまな問題を抱えなが...

 
このプロの紹介記事
遠藤龍地 えんどうりゅうち

人々が集い、拠り所となる本来の“寺”をめざして(1/3)

 七つ森を望む大和町の静かな山里に「大師山 法楽寺」はあります。2009年8月に建立されたばかりという真新しい本堂には、線香と新しい畳のいい香りが漂います。穏やかな笑顔で出迎えてくれた住職の遠藤龍地さんにはある願いがありました。それは「今の...

遠藤龍地プロに相談してみよう!

河北新報社 マイベストプロ

宗教宗派を問わず人生相談、ご祈祷、ご葬儀、ご供養、埋骨が可能

所属 : 大師山 法楽寺
住所 : 宮城県黒川郡大和町宮床字兎野1-11-1 [地図]
TEL : 022-346-2106

プロへのお問い合わせ

マイベストプロを見たと言うとスムーズです

022-346-2106

勧誘を目的とした営業行為の上記電話番号によるお問合せはお断りしております。

遠藤龍地(えんどうりゅうち)

大師山 法楽寺

アクセスマップ

このプロにメールで問い合わせる このプロに資料を請求する
プロのおすすめコラム
村上春樹氏の「影と生きる」に想う ─影が反逆し始めた世界─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 世間は万華鏡 ]

自衛隊員の本音 ─出征する覚悟、辞める無念─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 不戦堂建立への道 ]

12月の守本尊様は千手観音菩薩です ─救われる時─
イメージ

 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故...

[ 今月の守本尊様・真言・聖語 ]

Q&A(その32)自業自得なら廻向で救われない? ─因果応報と空の話─
イメージ

 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故...

[ 仏教・密教 ]

一年と一周忌供養 ─あの世でもこの世でも救われる話─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 葬儀・供養の安心 ]

コラム一覧を見る

スマホで見る

モバイルQRコード このプロの紹介ページはスマートフォンでもご覧いただけます。 バーコード読み取り機能で、左の二次元バーコードを読み取ってください。

ページの先頭へ