コラム

 公開日: 2012-02-22  最終更新日: 2014-06-04

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その93)─〈前を向けない〉方々へ─

高倉健氏が御守にしている水を運ぶ正念の写真は、私の御守にもなっています
 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。
 また、当山へかずかずの温かいご支援をくださった方々へ、深く深くお礼申し上げます。
 来る3月11日には「般若心経百万巻」の供養をしましょう。(http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-3107.html




 いつからか「前向き思考」あるいは「前向き志向」が人生の万能薬であるかのようにもてはやされ、うつむいていると「さあ、前を向いて!」と肩を叩かれかねない雰囲気が蔓延しています。
 東日本大震災に遭った東北の人々へも「前を向きましょう、お手伝いします!」とありがたい言葉がかけられ、実際に膨大なお手伝いもいただいています。
 それはそれで結構であり感謝してはいますが、被災された方々の中には、およそ1年経った今も前を向けず苦しんでいる方々がたくさんおられます。
 そうした方々への〈ケア〉が盛んに言われ、各種カウンセラーなどが、一日も早く前を向いて力強く歩み出せるようにと善意で奮闘しておられます。
 それはそれで結構であり大変意義があるのはわかりますが、当山の人生相談へ足をはこぶ方々に接していると、立ち止まり苦しみつつ心を深めることの大切さを痛感させられてもいます。

 つまり「立ち止まりたい」、あるいは「今は立ち止まるしかない」場合は、すなおに立ち止まることを否定する必要はなく、むやみに前を向かせようとするのはいかがかと思うのです。

 できごとをすぐには咀嚼できず、回転寿司の皿が目の前を通り過ぎて行くように流してしまえない場合、私たちは思わず立ち止まります。
 理不尽あるいは不条理と感じ、その〈ままならなさ〉に押しつぶされそうにもなります。
 こうしたできごとのうちで最も強力に足止めをかけるのが誰かの死、あるいは自分に実感できる死、それも不意に受ける死に神の襲来です。

「どうしてあんなに良い人が流され、こんな自分が生き残ったのか?」
 人生はこれからという意欲も善意も持った若い人が死に、老骨である自分が生き残った事実──。
「どうして私だけがこんな目に遭わねばならないのか?」
 自分は津波で何もかも失ったのに、すぐ先にある他家の人々には何ごともなかったかのようなこれまでと変わらない日常が確保されているという事実──。
 こうした事実の前で、私たちは、立ち止まらないではいられません。

 もちろん、いかなる環境にあろうと生きて行くための努力は欠かせないのでじっとしてはいられませんが、身体は動いても心は立ち止まったままです。
 悔しさも、淋しさも、怒りも、呪詛も、諦観も、さまざまな思いが入り乱れ、答の出ない「どうして?」がくり返し頭をよぎります。
 ここで必要なのは陽光を浴びようとする前向き志向ではなく、月光を眺める沈思黙考です。
 
 立ち止まりたくて立ち止まる人はほとんどいませんが、立ち止まらせられたことに意義はあります。
 それは、〈今ここにいる自分〉が観えることです。
 自転車に乗っていれば風景は流れて行き、自転車から降りれば足元のタンポポが目に入るたとえはいかがでしょうか。。
 前向き思考は効率よく、より見晴らしの良い場所へと自転車を走らせるための方法であり、立ち止まるのは〈今〉を深く把握する方法です。

 立ち止まった方々は人生相談の対話を通じ、あるいは心身のバランスを整えるご加持(カジ)や、亡き人のご供養などを通じて、徐々に、ご自身では答の出ない問いが消えて行く生き方に気づかれます。
「どうしてあんなに良い人が流され、こんな自分が生き残ったのか?」と苦しんだ方は、自分をより深く省みて、「自分は愚かしい者・罪深き者として歯をくいしばりながら生きて行くしかない、少しでもあの人の思いを嗣いで……」となり徐々に脚の力が増します。
「どうして私だけがこんな目に遭わねばならないのか?」と苦しんだ方は、いつしか他人をおもいやる余裕が出て比較の目を広げ、「自分よりももっと酷い状況にある人がいる、それに比べれば自分はまだ……」となり呪詛が感謝に変わります。
 思考の方向が変わり、真の意味で前向きになるために必要なのは時間であり、寄り添う誰かの心です。

 私たちは、太平洋戦争の敗戦後、自由の獲得と生活の向上をめざして一定の成果を上げた一方、社会には個人主義と拝金主義が蔓延し、家も、有機体としての会社も、ご近所さんとのつながりも解体され、それぞれが快適さや財物を求めてバラバラに走る中で、人間の絆は紙切れのように薄く軽いものになりました。
 今ここで立ち止まることは、寄り添う心としての絆、相手を思いやる純粋な心による真の意味での絆の再構築に欠かせないのです。
 行き詰まってきた日本が立ち直るため、深い思考を伴わない「前向き志向」や、できあいの「絆」でなく、立ち止まった末に呻吟を伴って生み出されてくる真の「前向き思考」と真の「絆」にかけようではありませんか。

 今すぐに前を向けない方々、皆さんは時代が求めている真実に向き合っておられるのです。
 共にここを耐え、乗り越えようではありませんか。
 できることなら、共に祈りつつ──。




 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。

 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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