コラム

 公開日: 2012-02-24  最終更新日: 2014-06-04

身の丈 ─ビル群・ワラ馬・守り刀・お雛様─


 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。
 また、当山へかずかずの温かいご支援をくださった方々へ、深く深くお礼申し上げます。
 来る3月11日には「般若心経百万巻」の供養をしましょう。(http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-3107.html



1 ビルとモノレールの記憶

 かつて「失われ行く記憶の根」と題して評論家松山巌氏の『路地』をとりあげました。
 昭和60年、氏は、都市化した巨大ビルだけの風景は、私たちに身近な記憶として細やかに残らないのではないか、それは昔の家並みを記憶できた記憶力そのものを削ぐのではないかと怖れました。

「かつての町ならば切れ切れながらも私の記憶の中にその姿を立ち上らせ、それぞれの建物を順に憶い出すことができる。
 ところが、現在の町に立つビルやそのビルの中にある飲食店や喫茶店など私に関係のある場所を憶い出そうとする時、一つ一つの場所は点のように頭の中で浮び上がっても、それぞれを繋ぐことができないのである。
 私の頭の中で町は再現されない。
 私は実感のない町の中を歩いているに違いない」

「巨大なビルは、私たちがもつ記憶の容れものより大きすぎるのではあるまいか。
 一つ一つの建物のデザインは確かに個性的であっても、それを順に記憶するには余りにそれぞれが巨大にすぎ、結局はどれものっぺらぼうで没個性的に感じられる。
 記憶できないのっぺらぼうな町が生まれつつある。
 私たちがいま立ち会っている過度期の異様さとは、巨大なビルと長屋が併存していることではなく、記憶できる町から記憶できない町への過度期の異様さに立ち会っていることにあるのではあるまいか。
 そして、それは町を憶えられないということばかりではなく、私たちの身体に具わった一つの能力、記憶する力の何ほどかを同時に失いつつあるのではないだろうか」

 敗戦直後に子供時代を送った私は、貸本屋の常連客でした。
 今の子供たちと同じくさまざまな〈未来もの〉にワクワクしつつ、マンガや文章を読みふけりました。
 そうした記憶のうち鮮明なものの一つが、巨大ビル群とそれを縫うように走るモノレールのような長い乗り物だけの光景でした。
 人間がそれらの中にいることは想像できますが、別に人間がいてもいなくても、画の異様さに変わりはありません。
 ただし、鉄腕アトムが飛んでいれば、背景の異様さは消し飛びました。
 まさに氏の言う「のっぺらぼうな町」が半世紀も前にもう、未来を考える作家たちの頭脳に宿っており、私たちはそこをめざしてやってきました。
 そして私たちは、鉄腕アトムのようにビル街を庭として見下ろしながら飛び回るわけにはゆかないのです。
 巨大なビルは私たちの身の丈を超え過ぎており、無機物の群は私たちがそれを丸ごととらえ切れない壁たちとなって〈そちら側〉にあります。
 世の飲んべえたちの多くは、大規模な店で騒いでばかりいてもどこかもの足りない部分が残り、〈自分だけの〉つまり自分の情緒が音叉のように反応できる小さな店を密かに確保しておくものです。
 それは、ビル街と路地の両側に小さな家並みが残る光景の共存、あるいは都市と田舎の共存があってこそ、私たちの心に一種の安定が確保されることを物語っているのではないでしょうか。
 〈身の丈〉に合った空間を考えさせられます。

2 ワラ馬の風習

 七夕の際にるワラ馬を作る風習が全国にあるそうです。
 勉強会に参加されたAさんの話です。
「私の住む地域では、七夕になると、お年寄りが小さな子供たちへワラ馬の作り方を教えます。
 この馬に乗るのは、死んで山へ行き、やがて神となったご先祖様たちです。
 仏神へ捧げられた馬に乗ってご先祖様たちが山から里へ下り、家々に住む私たちを守ってくださると同時に、ワラ馬で田畑をも見回って豊作を招いてくださるのです。
 お盆では早く来れるようにと重ねて野菜で馬を作り、同時に、ゆっくりしていただくようにと牛の乗り物をも作ってご先祖様をもてなします。
 こうして七夕とお盆、二つの行事はつながっています。
 子供たちは皆、眼を輝かせてワラや野菜で馬や牛を作ります。
 お年寄りたちにとっても、嬉しいひとときとなります」
 幼い子供たちにとって実際の馬はあまりに大きく、ご先祖様に乗っていただく願いをかける実感が持てないことでしょう。
 ところが、自分で小さな馬を作ることによりイメージが具体的になり、祈りも又実感が伴うことでしょう。
 ここでもやはり〈身の丈〉の感覚が必要であり、そこを通じて子供たちの情緒が育まれるのではないでしょうか。

3 幼い仏様へ乗せる刀

 ご遺体を安置する際、胸の辺りへ守り刀を乗せます。
 もちろん、亡くなった時にやってくるとされる魔ものを除けるためです。
 当山では数度、突然死された幼いお子さんをお送りしましたが、司法解剖を受けたご遺体に乗っている刀を眼にすると、胸が押し潰されるような思いに襲われます。
〝仏様にとって刀の重さはいかばかりだろうか……〟
 枕経でお不動様の結界を結び、ご守護の法が終わると刀を布団の横へ置いてあげたくなりますが、守ってもらいたいと願うご遺族の気持を考えると手がつけられません。
 大人用の守り刀はやはり、幼子には負担です。
 ここでも〈身の丈〉に合ったものの必要性を強く感じさせられます。

4 お雛様

 Bさんから横幅10センチに満たない小さなお雛様をいただきました。
 作り方を指導するとお年寄りも子供たちも嬉々として作るそうです。
 眼の高さに近い位置へお祀りしたら、存在感がグッと増しました。
 じっと見ているうちに、またもや〈身の丈〉を考えさせられました。
 ああ、これで良いのだと……。




 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。

 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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