コラム

 公開日: 2012-03-06  最終更新日: 2014-06-04

リストラと切磋琢磨(セッサタクマ)

書道教室で学ぶ70代半ばのAさんには皆、励まされています
 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。
 また、当山へかずかずの温かいご支援をくださった方々へ、深く深くお礼申し上げます。
 来る3月11日には「般若心経百万巻」の供養をしましょう。(http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-3107.html



 最近、就職やリストラ、あるいはそうした問題にかかわる心の病気に関する人生相談やご祈祷が多く、日本の社会が変質したことをつくづく実感しています。
 いつからこうした非情な社会になったのかと考えているうちに、自分たちが社会を創りつつ生きてきた時代には一つの言葉があったことに気づきました。

 人は競争の中でもまれてこそ各方面の力をつけ、成長します。
 だから、競争し、集団の中における自分の位置を知ることは必要です。
 そして、お互いが人としてレベルアップすることは、明らかにお互いのためになります。
 これを古来、切磋琢磨(セッサタクマ)と言い、『語源由来辞典』はこう説明しています。

切磋琢磨

【意味】 切磋琢磨とは、学問や道徳に努め励むこと。また、仲間同士で励まし競いあって向上すること。
【切磋琢磨の語源・由来】
 出典は中国最古の詩集『詩経』の「衛風(えいふう)・淇奥(きいく)」による。
「切」は骨や象牙を切ることで、「磋」はそれらを研ぐこと。
「琢」は玉や石を打ち叩いたくことで、「磨」は磨くことを意味する。
『詩経』ではこれらの語を用いて「切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如く」と、細工師の技工や完成した細工品に喩えて衛の武公をたたえたことから、切磋琢磨は学問や精神・人格を磨き、向上することを意味するようになった。
 また、「切磋」のみや「琢磨」のみで用いることもある。

 私は戦後すぐの生まれなので、いわゆる〈戦後教育〉を受け、受験勉強から始まる競争社会を生きてきましたが、切磋琢磨は小学校できちんと教えられました。
 よく読めば気づくように、この言葉には二つの重要なポイントがあります。

1 競争によってレベルアップする際の基本となるものは人徳であること。
 いくら勉強ができても人徳のない生徒は、「ガリ勉」の自己中心者と揶揄され、仲間から評価されませんでした。
 勉強の嫌いな暴れん坊でも、弱い者いじめはせず、頼りにされました。
 常日頃おとなしい子が、クラス対抗リレーになると顔色を変えて鬼のように走り、「あいつは凄い」と無言の評価を受けていました。
 つまり、子供たちは「人格を観る心の目」を育てつつ育ったように思われます。

2 互いの心の交流の中で、共にレベルアップをはかること。
 今では想像もつかない光景でしょうが、高校では定期的なテストのたびに全生徒名前が成績順に廊下へ張り出されました。
 自分のアップダウンと共にライバルや友人のアップダウンも気になり、「ようし、次は……」と気合が入りました。
 かといって、順位が下位の仲間を軽蔑することはなく、「俺はブービーだったけど、ブービーってのはビリになるより難しいんだぞ」という当の本人と何の屈託もなく一緒に大笑いしたものです。
 結果として出た順番は順番として、それに心の交流が妨げられたり、遮断されたりといった体験はなかったのです。

 こうして団塊の世代は高度成長期を無我夢中ではたらき抜き、いよいよ死を迎える準備期に入りつつあります。
 確かに競争はしてきましたが、〈見捨てる〉あるいは〈人を道具と見る〉といった非情さはあまりなかったはずです。
 その背景には成長していた経済があったことは確かです。
 社会に余裕があり誰でも何とかなったので、自己の生存を第一とするところから発する冷酷さが薄かったのです。
 しかし、それだけではなかったと思われてなりません。
 子供の頃に教わった切磋琢磨、社会に生きている言葉としての切磋琢磨──。
 このイメージが同世代に共通する心の色合いとして確かにあったこと。
 それが社会の色合いに深いところで関わっていたと思えてならないのです。
 
 今、長生きするお年寄りの生き方として生涯学習が言われ、人間関係の薄くなった社会の危機を脱するために絆が喧伝されています。
 こうしたことごとは、切磋琢磨の精神があれば、自ずから達成されるのではないでしょうか。
 『語源由来辞典』が教えるとおり、子供の頃に「学問や道徳に努め励む」ことと「仲間同士で励まし競いあって向上する」ことを肝に銘じておけば大丈夫です。
 皆が自分で何かを学ばないではいられないならば、「趣味や勉強に励みましょう」などと鐘や太鼓でお年寄りを駆り立てる必要はありません。
 共にはたらく中で励まし合い、競い合いつつ「こいつはなかなかの人物だ」「こいつはやれる」と互いを評価し心から尊敬できるならば、絆が云々といった心配はありません。
 真に尊敬できる人物、真に心をかよわせ合う人物がいれば、たとえ会えるのはまれであっても、決して孤独ではありません。

 この叡智を無視した原理主義的な競争社会、人を道具と観てはばからない恥知らずで非情な社会は、まぎれもなく私たちの心によって創り出されたものです。
 ならば、私たちの心の持ちようを変えるところから始め、社会の色合いを根底から変えようではありませんか。
 切磋琢磨の一語にはそうした力があるやに思われてなりません。
 子供たちも、大人たちも、心に期そうではありませんか。
「学問や道徳に努め励もう。
 仲間同士で励まし競いあって向上しよう」






 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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