コラム

 公開日: 2012-03-18  最終更新日: 2014-06-04

あの世へ行けば本当に十三仏様と会えるのか?(その2)

お不動様は大日如来の使者として、最高の智慧を示す火炎に住しておられます
 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。




 前回、亡霊が見えたりして心を痛める方々について書きました。

「『津波に追われた人々はどんなに怖かったことだろう。
 どんなに生きたかったことだろう。
 それなのに……』
と想いをはせ、亡くなられた方々の恐怖や慚愧と似たものを自分の心に発生させてしまいます。
 他人の思いを自分の思いとする尊い気持は結構ですが、問題はその先です」

 他人の思いを自分の思いとする優しさのある方は、あの世へ逝った人の気持をも推しはかり、その魂との交感が可能であると感じています。
 だから、悲しいできごとがあった場所で感応し、〈亡霊が見えた〉ような気がして日常生活的な心のバランスを崩す方も現れます。
 そしてご加持やご供養やご祈祷に足をはこばれますが、当山では、修法を行うだけでなく、ものの考え方や生活の仕方についての話し合いもします。
 皆さんに、修法で救われるだけでなく、貴重な体験を通じて生き方を深めていただきたいからです。

 前回、夜道に落ちている縄を見て、ヘビと勘違いして怖がる例を挙げました。
 ここで私が示したかったのは、そもそも持っていた〈ヘビを怖がる気持〉が見まちがいを起こさせ、無用の恐怖と、逃げ出すという無用の行動を起こさせたという点です。
 怖がっていない人には、縄そのものがきちんと縄に見えたはずなのです。

 同じように、亡くなられた方々の思いを自分の思いとする優しさがある方は、誰かが亡くなる時の思いになると、いたたまれなくなります。
 そして、暗がりなどで何かを感じると、そのいたたまれない気持のぶり返しによって怖くなり、具合が悪くなります。
 でも、それは一時の迷いなので、ご加持を受ければすぐに消えます。
 ここで考えていただきたいのは、怖い、悔しい、悲しい思いで亡くなられたであろう方の〈御霊そのものは決して恐ろしいものではない〉ということです。
 御霊をヘビのように怖がるのは迷いだということです。
 前回、(その1)に書いた海上保安庁のDさんは、亡くなっておられるであろう方へ心で語りかけたではありませんか。

「誰かに憑きたいならば、ぜひ、私に憑いて欲しい。
 そうすれば貴方の居場所がわかり、私は貴方に手を差し伸べられますから」

 私は、泥の原とその向こうに広がる海を前に高台で祈った時、高台をめざしたたくさんの方々の思いが未だに、迫りくるものとして残っているのを感じました。
 その風圧にも膝が崩れなかったのは、御霊はみ仏の子として等しく清浄であり、必ずみ仏に導かれると信じているからです。
 
 悲喜こもごもが人生です。
 幸福も不幸も、良きことも悪しきことも、「禍福はあざなえる縄のごとし」と言われるように入り交じります。
 人生全体を客観的に眺めれば、一つの色をもって表現し、一言で断定することはできません。
 それは、生きている私たちの人生も、先に逝かれた方の人生も同じです。
 いかなる亡くなられ方をしようと、死はひとしく厳粛であり、死は人生の締めくくりではあっても、死はその人の人生にとっての一コマであることに変わりはありません。
 だから、亡くなる一瞬の状況があの世での旅路を決定づけることはないと考えるのがものの道理ではないでしょうか。
 私たちがお互いを等しく尊び合って生きるのが人の道であるように、亡くなられて御霊となった方々をも等しく尊ぶことこそ、人の道ではないでしょうか。
 消え難い思いが気配として残る場合はありますが、そのことと御霊の尊厳とは問題が別です。

 御霊は等しく尊ばれるべきであり、怖がるのは迷いであると考えたいものです。
 では〈感じた〉ならばどうすればよいか?
 当然、供養の心で対応することです。
 この世ならぬ世界と徒手空拳(トシュウクウケン…手立てがないこと)で関わるのは、私たち凡夫にはあまりに荷が重い場合があります。
 その時は、この世もあの世も司るみ仏のお力におすがりすることです。
 そうすれば、〈感じた〉瞬間がこの世の私たちにとっても、あの世の御霊にとっても貴重なものとなることでしょう。

 続きはまた……。





 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

この記事を書いたプロ

大師山 法楽寺 [ホームページ]

遠藤龍地

宮城県黒川郡大和町宮床字兎野1-11-1 [地図]
TEL:022-346-2106

  • 問い合わせ
  • 資料請求

このコラムを読んでよかったと思ったら、クリックしてください。

「よかった」ボタンをクリックして、あなたがいいと思ったコラムを評価しましょう。

0
<< 前のコラム 次のコラム >>
最近投稿されたコラムを読む
Q&A
セミナー・イベント
お客様の声

○Aさん(中年女性)の場合 心身の不調を縁としてご加持を受け、自分の願いが通じると実感されました。 そして祈り方を覚え、商売や家庭にさまざまな問題を抱えなが...

 
このプロの紹介記事
遠藤龍地 えんどうりゅうち

人々が集い、拠り所となる本来の“寺”をめざして(1/3)

 七つ森を望む大和町の静かな山里に「大師山 法楽寺」はあります。2009年8月に建立されたばかりという真新しい本堂には、線香と新しい畳のいい香りが漂います。穏やかな笑顔で出迎えてくれた住職の遠藤龍地さんにはある願いがありました。それは「今の...

遠藤龍地プロに相談してみよう!

河北新報社 マイベストプロ

宗教宗派を問わず人生相談、ご祈祷、ご葬儀、ご供養、埋骨が可能

所属 : 大師山 法楽寺
住所 : 宮城県黒川郡大和町宮床字兎野1-11-1 [地図]
TEL : 022-346-2106

プロへのお問い合わせ

マイベストプロを見たと言うとスムーズです

022-346-2106

勧誘を目的とした営業行為の上記電話番号によるお問合せはお断りしております。

遠藤龍地(えんどうりゅうち)

大師山 法楽寺

アクセスマップ

このプロにメールで問い合わせる このプロに資料を請求する
プロのおすすめコラム
村上春樹氏の「影と生きる」に想う ─影が反逆し始めた世界─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 世間は万華鏡 ]

自衛隊員の本音 ─出征する覚悟、辞める無念─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 不戦堂建立への道 ]

12月の守本尊様は千手観音菩薩です ─救われる時─
イメージ

 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故...

[ 今月の守本尊様・真言・聖語 ]

Q&A(その32)自業自得なら廻向で救われない? ─因果応報と空の話─
イメージ

 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故...

[ 仏教・密教 ]

一年と一周忌供養 ─あの世でもこの世でも救われる話─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 葬儀・供養の安心 ]

コラム一覧を見る

スマホで見る

モバイルQRコード このプロの紹介ページはスマートフォンでもご覧いただけます。 バーコード読み取り機能で、左の二次元バーコードを読み取ってください。

ページの先頭へ