コラム

 公開日: 2012-03-23  最終更新日: 2014-06-04

年忌供養は、あまり熱心に行うべきではないのか? ─農業・漁業・林業と宗教は似ている─


 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。




 意外なご質問が相次ぎ、驚いています。

1 Aさんが、僧侶と一緒の席に着く機会があったので、近々、亡父の七回忌が来ることを話題にしたところ、こう言われました。
「供養は三回忌をやれば、もう良いんだよ」
「エッと思ったものの、とても威厳があり、周囲もピリピリしながら接している人であることを知っていたので、理由を訊きはしませんでした。
 どういうことなのでしょう?」

 み仏を信じ、み仏に導かれてこそ、この世の幸せもあの世の安心もあると信じている者としては、同じように、どういうことなのですかと問いたくなります。
 現在、「あの世へ行けば本当に十三仏様と会えるのか?」という稿を2回ほど書いており、詳細はそちらへ記しますが、まず、お釈迦様が説かれた真理を思い出しましょう。

「因果応報の理は、この世もあの世も貫いている。
 だから、善いことを行えば、この世で善い報いを受けるだけでなく、あの世も極楽となる。
 悪いことを行えば、この世で悪い報いを受けるだけでなく、あの世も地獄などになる」

「人は皆、無限の過去世の業(ゴウ)を背負ってこの世へ生まれてくる。
 そして、さらにこの世で善悪さまざまな業を積んで死に、やがてまた、この世へ生まれ変わる。
 人間が皆、ままならない苦を背負って生き死にをくり返すのは、業を積ませる原因となっている根本的な智慧の明かりがない状態、すなわち無明(ムミョウ)を克服していないからである。
 業の束縛を断ち切り、自他の苦を断ち、この世もあの世も極楽にするためには、真理に気づいた今、適切な修行を行って悟りを開く以外の方法はない」

 こうした私たちにとって死者を弔うことは、とても貴重な修行の機会になります。
 自分が生きるため、家族を生かすために日々のなりわいに追われていると、〈死〉や〈生〉の問題を〈自分のこと〉として実感しつつ熟慮したり、適切な修行を行ったりする機会はなかなかありません。
 ところが、近しい人の死は、ガーンと頭を殴られるような衝撃をもたらし、立ち止まらせられ、しきたりに従ってお線香を立て、お花を供えたくなります。
 何かをしないではいられなくなり、どうしたら良いか、正確には知らないでいたことに気づきます。
 そして、悲しみと淋しさの中でお灯明を点し、水や食べものも供え、手を合わせているうちに、いつもとは違う心がつくられ、開かれていることを知ります。
 導師から聞かされた言葉の持つ意味も、全身全霊で理解できるようになります。
「人は皆、ひとしく、死をもって人生最後の大仕事をします。
 それは皆さんをこうして立ち止まらせ、生と死を考えさせ、人生修行の機会を与えてくれたことです。
 供養をもって故人の御霊へお報いしたいと願うならば、お線香を立てたならば、お線香のように精進することです。
 精進という修行をしつつ善く生きる功徳を廻向(エコウ)し、御霊の安心に役立てることです」

 誠心をもってこうした日々を送っていると、必ず、「ああ、四十九忌が来る」「もうすぐ百か日だ」という区切りの意識が起こるものです。
 導師から聞いた言葉も思い出します。
「四十九日忌は、薬師如来様のお導きで、この世に残っていた気配もなくす時期になります」
「百か日忌は、阿弥陀如来様のおそばでお仕えする観音様のお導きで、いよいよ極楽浄土をめざす流れに乗ります」
 信じて法会を催すごとに、御霊が安心の世界にいるという安心感が深まり、自分自身にも、どこか、清められた感じが伴ったりします。
「どうせ俺は煩悩(ボンノウ)にまみれているのさ」と自分を嗤(ワラ)いつつ、柄にもなく、何か清浄なものが心に生まれていることにうろたえたりします。

 そうして、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、三十三回忌と供養し、亡き人の安心を疑いもしなくなる頃には、自分自身の死への心構えも徐々に定まり、死魔に惑わされない心ができている方もおられます。
 過日、兄弟とその家族が集まって厳父の五十回忌を行われたBさんは、あらためて父親の薫陶に感謝し、皆の前で宣言されました。
「もう、これで、思い残すことはありません。
 あとは、自分にできることを行いながら、お迎えを待ちます」
 これまで、身を粉にして周囲のために汗を流してきたBさんは、動ける限り動くだろう、助けを借りなければならなくなれば、ありがとうを忘れないだろう、やがて見事に逝かれるだろうと確信させます。
 信じ、供養し、この世もあの世も清めつつ生きるBさんは、箒を手から放さないチューラパンダカさんのようです。
 
2 若くして喪主となったCさんが、叔母さんへ母親の七回忌について相談したところ、こう言われました。
「そういうことをあまり、熱心にやらない方が良いよ」
「私はさっぱりこうしたことがわかりません。
 友人や職場にもはっきりした考えを持っている人はいません。
 これまで、住職のご指導をいただきながらやってきましたが、叔母からああ言われると、とても困ります。
 どうすれば良いのでしょうか?」

 この叔母さんは、よもや、法会へ呼ばれての出費を嫌がっているのではないのでしょうが、実に「こういうものだ」「こうしてはならない」あるいは「こういうものは要らない」と、売れっ子の評論家も含めて皆さんのご意見はさまざまです。
 しかし、宗教行為の根本が、宗教行為を行う現場からの生(ナマ)の声としてどれだけ語られているでしょうか。
 実に語られていることの多くは儀式に〈ついて〉であり、その〈いわれ〉であり、ややもすれば科学的見地からの〈有効性〉であり、現世的〈効果〉や〈必要性〉でしかありません。
 金銭にからんでどうこうという貨幣経済の論理による批判も絶えません。
 もちろん、聖職者が多額の報酬を要求するなど許されないことではありますが、そもそも布施という行為は行う側の純然たる価値判断と意志によらねばならないという原則は曲げられません。
 曲げた瞬間に布施は宗教行為でなくなり、み仏と御霊へ向かう心に欺瞞が生じます。
 ここのところはとても理解を得にくいと思われますが、貨幣経済の頭だけでは理解しにくいのが当然であると言えないこともないのかも知れません。

 ところで、最近亡くなられた評論家吉本隆明氏は鋭い思想を持っていました。
 自然の運行に従う農業は、貨幣を伴い上手に価値を増殖させる交換経済と異なる原理で動いており、農業によって生産されるものを食べて生きる私たちは、等価交換でなく、贈与しなければ農業はきちんと維持できないと主張しました。
 つまり、等価交換の頭でなく布施の心で守らなければ、自然の原理による世界は破壊され、自然の一部である私たちも生きられないというのです。
 被災した沿岸部の方々の声も聞いている私には、「商売(だけ)になったら漁業は終わりだ」という海の男たちの主張が手に取るように理解できます。
 日本の農業も漁業も林業も、等価交換としては決して〈合わない〉ほど無償の汗を大量に流している人々の尊い布施行によってこそ守られているのだという真実を忘れてはなりません。
 食べる側にも、その布施行の一部を負担する意識がなければ、私たちのいのちを支える第一次産業は健全に機能せず、それはやがて、私たちのいのちを脅かすことにもなるのではないでしょうか。
 宗教と第一次産業には、とても共通する面があります。

 第一次産業と同じく宗教の現場では、あたかも風のように吹き渡る遠い声声とは無関係に、生と死へからみ、仏界と人間界、あの世とこの世とにまたがった〈生きた〉宗教行為が大山のように揺るぎなく黙々と行われています。
 ──娑婆の方と聖職者が一つになって。
 今回の二つの問いへ、私は答えられたのでしょうか。
故吉本隆明氏
〈糸井重里氏のページからお借りして加工した故吉本隆明氏〉




 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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