コラム

 公開日: 2012-04-11  最終更新日: 2014-06-04

三十七の菩薩(ボサツ)の実践(第十七回) ─目下からバカにされてムカッとなった時は─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。



 菩薩(ボサツ)になるための実践道、第十七回目です。
 これは、法話と対話の会『仏法と生活』(http://www.hourakuji.net/manabi/houwa.html)において議論するテキストの一つとなってもいます。

「私と同じくらいか、それより劣る者が
 慢心を起こして私を軽視したとしても
 師のように尊敬し自らの頭頂に頂く
 それが菩薩の実践である」

 これは、自分がバカにされるはずのない相手からバカにされ、自然に怒りがこみ上げる状況をどう克服するかという問題です。
 もしも相手の言い分にいくばくかの道理があった場合ですら、誰でも、「何でお前なんかに……」と思うことでしょう。
 言い返して争いになるのは嫌だ。
 ムカムカ、イライラしたままで過ごすのもやりきれない。
 こんな奴を放ってはおけないと正義感が頭をもたげる。
 困ったものです。 

1 自分へ言い聞かせる

 ダライ・ラマ法王は、こうした形で悩ませる人が現れた場合、唱える文言があります。

「どこであれ、誰と出会ったときも
 私自身をすべての人より劣っていると見て
 他者を心底からすぐれていると[思って]
 慈しむことができますように」

 目の前に相手をありありと観想し、その足へ自分の頭をつけるイメージで唱えるそうです。
 普段もこのように考える努力をしておられるらしく、さすが、凡人とはかけ離れています。

 私の場合は、「何をっ!」となりかけた時、『法句経(ホックキョウ)』を思い出します。

「忿怒(フンヌ)あるは法を見ず、忿怒あるは道を知らず。
 能(ヨ)く忿怒を除く者は、福と喜、常に身に従う」

(怒りがある時は真理が見えず、怒りある時は教えの道が心へ伝わらない。
 すっかり怒りがなくなった者には、福徳と喜びが常についてまわる)
 一行目の厳しさに、何度も打ちのめされました。
 しかし、思い出すたび着実に、つまらぬ怒りは鎮まりつつあります。

2 道理をもって状況をとらえる

 ダライ・ラマ法王は、実際に相手が自分より優れている部分を探して、心で跪(ヒザマヅ)かれます。
 そうすると怒りが自然に消滅します。
 説かれます。

「一般的に『仕返し』や『復讐』というのは、自分自身の心を満足させるための行為です。
 そうすることでした、自分の心を満足させられませんね。
 しかし、瞑想することで心が満たされるとしたらどうでしょう。
 満足するという点では同じです。
 ですから、瞑想することで、目的は達成されたことになるのです」

 こんなことはプライドが許さないと思う人へは、せめてこう考えてはとアドバイスされます。

「とにかく、心が安らかになるためには、満足を得られる必要があり、満足するためには、自分の眼の前に嫌な相手を観想し、ひざまずくことができたなら、心は安らかになっていきます」

 また、「何をっ!」となった瞬間、「火のないところに煙は出ない」と考えてみる必要もあります。
 実際、攻撃されたあたりに思い当たるフシがあれば、自分が知らなでいたか、あるいはないことにしてやり過ごしていた問題点に気づかせてもらったことになるではありませんか。
 思い当たらなかったならば、今度は、自分が過去に同様な言いがかりをつけたことはなかったかどうかも、検証してみましょう。
 嫌な先輩だ、あるいはバカな上司だなどと思い、つまらぬ挑戦でうっぷん晴らしをしたり、正義漢を気取ったりしたことはなかったか……。
 とにかく、鏡となって自分自身をふり返らせてくれたことには感謝できるはずです。

3 説かれているは菩薩をめざす世界であり、最初から娑婆の感覚とは異なっていることを認識する

 人格の完成をめざす菩薩の世界は一つの結晶体であり、一か所欠けてもなりません。
 また、娑婆の論理を少しでも容れれば、それは堤防の一穴となりかねません。
 最近、当山の活動をお認めくださっている娑婆の有力者Aさんが、当山のためを思い、さる方策を提案されました。
 しかし、それは娑婆で通る問題のない有効な手法でも、菩薩の姿勢とは異なっており、延々一時間以上議論を交わした末にお断りしました。
 善意に発し成功事例をもって説得を試みたAさんは承伏できかねた様子でしたが、そもそも娑婆的な成功と宗教的な成功とは価値判断の基準が異なっているので、ずれはなかなか埋まりません。
 Aさんも真剣、私も真剣です。
 しかし、宗教の側からは譲れません。
 だから、宗教は宗教者の側から押しつけたり、信徒さんを囲い込んだりするものではなく、娑婆の論理や感覚で解消できない問題を抱え、宗教を必要とする人にとって自主的に、自覚的に求めるものです。
 もちろん、娑婆の論理や思惑で利用することはできません。
 この教えも、すぐにつまらぬ争いを起こす人や、争えないばかりにウツウツと過ごす人へ、あるいは心に巣くう怒りの火に対して強い問題意識を持っている人へ、み仏からもたらされた〈解決のヒント〉です。

 以上がこの教えの概観です。
 さあ、言葉としてわかった後、それは読まれた方にとって意義があるでしょうか。
 それとも……。


 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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