コラム

 公開日: 2012-04-25  最終更新日: 2014-06-04

三十七の菩薩(ボサツ)の実践(第十八回) ─自分が苦しい時も苦しむ他人を見捨てない─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。




 菩薩(ボサツ)になるための実践道、第十八回目です。
 これは、「法話と対話の会『仏法と生活』」(http://www.hourakuji.net/manabi/houwa.html)において議論するテキストの一つとなってもいます。

「生活に困窮し、常に人より軽蔑され
 ひどい病苦や悪霊に憑かれても
 それでも一切衆生の罪業(ザイゴウ)と苦しみを受けて疲れることを知らない
 それが菩薩(ボサツ)の実践である」

 長い人生行路にあっては、誰しもが必ず暴風雨に遭います。
「常に人より軽蔑され ひどい病苦や悪霊に憑かれ」るとはそのことです。
 落ち目になり、泣きっ面に蜂の状態になると、「どうして自分だけがこんな目に遭うのだろう」と歯がみしつつ暴風雨に翻弄されます。
 暴風雨は必ずしも、自分がやらかした失敗や、自分のケガや病気、あるいは外部から来る事故や災難などに限りません。
 周囲の人々に生ずる苦や、環境の問題などもさまざまな形で襲いかかり、追いつめようとします。
 自分だけが知っている卑劣さや冷酷さや臆病さ、あるいは裏切りや恩知らずな心など、気がついてみれば、心の中にありとあらゆる悪徳の花が蕾んだり咲いたりもしています。

 66年の長きにわたって生かしていただいた者としては、年寄りが人間として背負っている責務は罪滅ぼしと恩返しに尽きると実感しています。
 日々、報道される愚かしい、痛々しい、哀しい、辛い、嘆かわしい、穢らわしい、忌まわしい、腹立たしいできごとのほとんどは、自分自身で積んだ業(ゴウ)と心中の黒雲に無関係ではありません。
 何かの成り行きがちょっと狂えば、自分が犯人や加害者や容疑者や世間に顔向けできない人になっていたとしても、不思議ではありません。
 世間から石つぶてを投げつけられる人々と自分とは、薄紙一枚しか隔たってはいないのです。

 こうして自分の愚かさから逃げられずにいると、どなたの苦であっても、自分と無関係には思えなくなります。
 日々、皆さんの苦しみや迷いや哀しみや淋しさが当山へ持ち込まれるのは、あまりにも当然としか受けとめられません。
 それは水が低きに流れるようなものであり、最も低いところにいるのが出家者だからです。
 なぜ、最も低いのか。
 自分の悪業(アクゴウ)の果てに一度死んで生き直すのが出家だからです。
 悪業とは、具体的に人を殺したとか、誰かを陥れたといった行動だけを指すのではありません。
 心にある愚かしいものと、身口意のはたらきのつながりから目を背けないでいると、本当に恐ろしくなります。
 たとえば、心から忠告してくれる人をうるさく思い、疎ましく思う高慢心。
 そこから出る空々しい言葉や反発的な行動。
 何と恐ろしいことでしょうか。
 山ほどある悪業を解き因縁解脱をはかる修行は、スポンジの水を絞るように無限に続きます。
 絞っても絞ってもいつしか水を含むスポンジには、自他の別なく行き場を失った苦の水がどんどん集まり、浸みこみます。 
 これが、「一切衆生の罪業と苦しみを受け」るということです。
 
 最後の「疲れることを知らない」には参りました。
 護身法を行い、修法中は自動的にみ仏のご加持を受けているとは言え、相手の苦と共振した魂には必ず何らかの形で余韻が残ります。
 観音様は泥に染まらぬ蓮華の心でおられるとされていますが、そうありたいと修行を始めた程度の者には到底、無理です。
 だから、充電タイプのバッテリーが、いくらうまく充電しても必ず寿命がくるのと同じく、耐えきれない時がやってくることでしょう。
 願わくは、それが寿命の尽きる時とそう違わないで欲しいものです。

 さて、特に菩薩をめざそうとしなくても、〈自分が苦しい時も苦しむ他人を見捨てない〉方々は大勢おられます。
 たとえば、自分の愚かさが相手から夢を奪った、あるいは、相手を苦しめているなどと、きちんと自分の愚かさを見つめ、自他の苦の種を抜こうとしておられる方です。
 こうした方々とは、人生相談やご加持やご祈祷で数限りなくお会いし、心で合掌しています。
 たとえば、自分も困窮しているのに、困窮している相手へ、手の内にあるわずかなモノを分け与える方です。
 こうした方々とは、托鉢で生きていた時代から数限りなくお会いし、心で合掌しています。
 特に東日本大震災直後は、多くの方々が無心に分かち合ったはずです。

 私たちはすべて、明らかに、み仏の子であり、菩薩道を歩み得る存在です。
 自分が苦を感じる以上、他人も苦を感じていることを察するのは当然です。
 自分の愚かさを知っている以上、他人の愚かさは他人事ではありません。
 精いっぱい生きているつもりでも、愚かさはなかなか消えず、苦はづかづかとやってきます。
 やむを得ません。
 私たちはこの世へ人生修行にやってきた行者だからです。
 愚かだからこそ学び、成長します。
 苦を相手に悪戦苦闘すればこそ、心が晴れた時の笑顔は輝きます。
 苦あれば楽あり、楽あれば苦あり、この修行道を〈共に〉歩もうとする時、私たちは菩薩道を歩んでいると言えるのではないでしょうか。


 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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