コラム

 公開日: 2012-05-17  最終更新日: 2014-06-04

仏教がめざすもの(その1) ─シンプルな視点─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。





 故スティーブ・ジョブズ氏がシンプルなものに惹かれ「仏教はシンプル」と考えていたことを書いたところ、「仏教はどうシンプルなのでしょうか?」とのご質問をいただきました。

 8万4千の入り口があるとされる仏教はどうシンプルなのか?
 それは、「仏教がめざす究極の目的である悟りを得る方法とは結局、何なのか?」という問いに通じます。
 スティーブ・ジョブズ氏がどう考えていたかを調べることはできませんが、自分へ投げかけられた問題として答を出してみます。
 私なりの答の一つとしては、「縁起(エンギ)を観て、目に見えている世界と同じように、目に見えている世界の裏にある空(クウ)の世界をありありと観られれば、貪りや怒りや愚かさが消え、自分にはこの上ない安楽が訪れ、世界は極楽になる」というものです。

1 お釈迦様は終生、「縁起を観よ」と説かれた

 お釈迦様は、私たち生きとし生けるもの全員が苦しんでいるさまを観て、それには原因があり、原因を除去すれば苦を離れることができる、すなわち悟りが得られると説かれました。
 苦しんでいるとは、ままならないこと、すなわち「苦苦(クク)」・「壊苦(エク)」・「行苦(ギョウク)」を逃れられないという意味です。
 苦苦とは、痛い、辛い、など、心身に発する直接的な苦しみです。
 壊苦とは、変化し、失われて行くことから生ずる苦しみです。モノは落とせば壊れ、年をとれば溌剌とした若さは失われます。
 行苦とは、輪廻転生(リンネテンショウ)から離れられず、苦苦と壊苦を伴った輪廻をくり返すしかないという宿命的・根源的な苦です。
 こうした私たちの根本的なありようを見極め、悟りを示したお釈迦様以降2500年にもわたる仏教の歴史は、縁起(エンギ)を観て苦を除く実践方法の探求に費やされました。
 縁起を観るとはどういうことか?

2 縁起とは依存関係である

 縁起とは「縁によって起こる」という真理です。
 たとえば花は、種という〈原因〉があり、そこへ水や肥料や日光などが〈縁〉としてはたらきかけてこそ咲く日を迎えられます。
 しかし、よく考えてみると、種があること自体もまた因と縁によっており、水や肥料や日光が与えられたこともまた、因と縁によっていることがわかります。
 つまり、ありとあらゆるものが縁としてはたらきかけ合いことによって成り立っており、そうした〈関係性〉がこの世を顕しています。
 私たちもまた、固い骨格、流れる血液、適度な体温、くり返される呼吸、それらのバランスが縁としてうまくつながっていればこそ、生きていられます。
 もしも事故で骨が折れたり、不摂生で血液がドロドロになったり、雪に閉じ込められて体温が下がったり、公害で呼吸が困難になったりすれば、個々のはたらきが壊れ、たちまち全体のバランスも崩れて危機に瀕します。
 また、感受作用、表象作用、意志作用、認識作用が順調にはたらいてこそ、私たちは、〈自分〉としてしっかり生き抜くことができます。
 たとえば認知症が進んでこうした作用が崩れればもはや、自立した生活は成り立ちません。
 たった今、自力で社会内にいられるのは、そうした要因が種々の〈関係性〉で保たれ、〈関係性〉全体が〈自立した生活が可能な方向〉で保たれているからです。
 こうして、ありとあらゆるものは、縁起という依存関係によって成り立っていることがわかります。
 では、これを観るとはどういうことか?

3 この世は見聞きできる現象の世界であると同時に、空(クウ)の世界でもある

 すべてが縁という依存関係で成り立っている以上、何ものも〈それそのもの〉として単独に存在してはいません。
 最も固い宝石とされるダイヤモンドは、炭素が長い年月をかけて凝縮された結果として地中に生まれ、掘り出され、加工され、流通に乗って自分の手にあるだけの〈かりそめの存在〉であり、火事などで一定の温度を超える高熱に当たれば、あっという間に燃え尽きてしまいます。
 ダイヤモンドも炭も、炭素でできている同類のものなので、同様によく燃えるのです。
 いかなる美人も、生まれの因縁と育ちの因縁と生き方の因縁によってそう見えているだけであり、一旦、事故などがあればそれまでであり、同時に、過ぎゆく時間は確実に見えている美を破壊し続けています。
 しかし、私たちは、ダイヤモンドも美人も「うわあ、きれい!」と、見えているようにしか見ません。
 単独で自立したそのもの自体として過ぎゆく時間の中で屹立しているわけではない儚さ、すなわち空(クウ)の面はなかなか観ることができません。
 つまり、〈見えよう〉と〈在りよう〉の違いには気づきにくいのです。
 お釈迦様は、「見えようにとらわれず、在りようを観よ」と説かれました。
 見える世界を見ているだけでなく、空(クウ)の世界を観ることが悟りへの道なのです。
 そうなれば、ダイヤモンドの輝きと同じく、野に咲く露草の健気さにも目を奪われるはずです。
 若い美人の美しさと同じく、老いた農婦の年輪にも目を奪われるはずです。
 では、なぜ、現象にとらわれず、在りようをつかまねばならないのか?



 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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