コラム

 公開日: 2012-05-21  最終更新日: 2014-06-04

三十七の菩薩(ボサツ)の実践(第二十回) ─怒りを調伏する─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。




 菩薩(ボサツ)になるための実践道、第十九回目です。
 これは、「法話と対話の会『生活と仏法』」(http://www.hourakuji.net/manabi/houwa.html)において議論するテキストの一つとなってもいます。

「自身の中にある怒りという敵を調伏(チョウブク…抑えること)しないなら
 外の敵を倒しても憎しみはますます増大するばかり
 それゆえ、慈悲という軍隊で自身の心を征服する
 それが菩薩(ボサツ)の実践である」

 怒りは自分の〈思い通りにならない〉ところに発します。
 しかし、お釈迦様が「この身は苦の世界にある」と説かれたように、そもそも、この世は思い通りにならない世界です。
 考えてみれば、それぞれ異なった生まれ、異なった育ち、異なった生き方をしている同士がひしめき合っているこの世で、自分の意志を通すことが困難なのは、端(ハナ)からわかっているはずです。
 当然のできごとに心を乱されるのはなぜか?

 まず、「この自分」という抜き難い我執(ガシュウ…自分の存在を絶対化する心理)の存在です。
 たとえば運転中に割り込まれてつまらぬ諍いが起こるなどはその典型的な例です。
 尊大な気持がなければムカッとするはずがありません。
 次に、空(クウ)の真実が腑に落ちていないからであり、お釈迦様はこれを「無明(ムミョウ…智慧の明かりが無い状態)」と説かれました。
 自分をバカにする相手は、たった今、心臓麻痺や落下物などでこの世から去るかも知れない脆(モロ)く儚(ハカナ)い存在であり、自分もまったく同じです。
 互いにままならぬ世を生きているかりそめの存在なのに、いがみ合うなど、それこそ哀れさを増すばかりです。
 次に、慈悲心の少なさです。
 ケンカをしかけてくるのは、我執という魔ものに取り憑かれ、空を知らず、自分で自分の苦を増大させている憐れな人だからです。
 そうした人こそ、楽を与え、苦を抜く慈悲心をかけねばなりません。

 しかし、気に入らないことには腹が立ちます。
 そんな時は、自分自身をふり返ってみましょう。
 自分は果たして、他人の気に入らないことはせず、他人を不愉快な思いにさせず、他人の人生の妨害になるようなことはせず、忠告や指導へはすなおに耳を貸しつつ生きてきたか……。
 気に入らない状況が現出した因縁に自分は一切、関わりがないか……。
 こうして謙虚に生きていれば、我執は小さくなり、諍いで人生の大事な時間を潰さずに済みます。
 自分がそうなれば他人から怒りを呼び込む因縁も小さくなり、不快・不安・不平・不満の少ない人生を歩めます。

 法句経は説きます。

「忿怒(フンヌ)あるは法を見ず、忿怒あるは道を知らず。
 よく忿怒を除く者は、福と喜、常に身に従う」

(怒りの中にあっては真理が見えず、人の道もわからない。
 怒りを発しない者は、福徳と喜びが常に身に従う)

「瞋(イカ)りを断ずれば臥すこと安く、恚(イカ)りを滅すれば憂いなし」

(カッとならなくなれば穏やかな心で就寝を迎えられ、ウヌッと怒りを抱かなければ心は憂いに覆われない)

「怒りは毒の本たり」

(怒りは心身に毒を発生させる)

 こうして怒りは煩悩(ボンノウ)のしわざであることがわかります。
 我が身可愛さに走る我執と空(クウ)を観られない愚かさです。
 だから、自分につまらぬ怒りが起こったなら、自分の煩悩を見つめ、真言を唱えるなどしてそれに負けぬようにしましよう。
 ただし、人の道に悖(モト)る悪へは断固たる姿勢が必要です。
 それが不動明王の怒りです。
 経典は説きます。

「外面(オモテ)には忿怒の相を示(アラワ)し、内心には深く憐れみを垂(タ)れ給う」

(相手を震え上がらせずにはおかない忿怒の形相をしていても、お心は深い憐れみに満ち、凡夫へお慈悲をかけてくださる)
 私たちは、相手そのものへ感情的な怒りをぶつけず、相手に悪を行わせている煩悩を強く断とうとするべきです。
 悪を怒る怒りの中身は感情的にカッカするものではなく、慈悲心によって相手の煩悩を取り除かずにはいられないという不動明王的決意であるべきです。
 孔子や聖書は「罪を憎んで人を憎まず」と説きました。
 仏法はさらに、人間へ罪を犯させる正体そのものへ言及しています。

 法称(ホッショウ)は説きます。

「自己と他を別のものとしてとらえるはたらきにより、自己の側には執着が、他者に対しては怒りが生じる」

 ダライ・ラマ法王は、この教えに関して、怒りへの対処法を説かれました。

「この二つの対象(自己と他者)をより明確に分化させたなら、それに比例するように『怒り』は明確になってしまいますし、この『怒り』を表出することによって、『怒り』はより鮮明になっていきますね。
 これは自分にとっても他者にとっても、あまり役立つことではありません。
 それよりも、この『怒り』が落ち着くまで、放っておいた方がいいでしょう。
 そして、冷静になったときを見計らって、『怒り』の原因や、なぜそのような感情に支配されたのかを論理的に調べるべきです。
 その考えを相手に伝えることが、お互いにとって有益と思われたなら、説明する必要がありますし、また説明しても相手が納得できないようであれば、いつまでもそのことにこだわらずに、忘れてしまった方がいいでしょう。
『怒り』というのは唐突にやって来る性質のものですから、忘れようとしえていれば、ある時期がきたら忘れられるのです」

 濁った水は、かき混ぜないで放置すれば、やがては澄みます。
 幾度もかき混ぜるのはいかがなものでしょうか。



 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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