コラム

 公開日: 2012-05-25  最終更新日: 2014-06-04

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(第103回)─何かを失い、自殺したくなったなら(その3)

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。




 家族がいなくなり、生きて行く術も失い〈手足ちぎられ〉た状態は、ある程度まで〈我がこと〉として想像できます。
 そこで前回は、喪失をどうとらえるかという視点から考えてみました。
 でも、大きな問題はもう一つあります。
 それは搾った牛乳をそのまま川へ捨てる作業をたった一人で行わねばならないという状況です。
 亡くなられた男性は「泣きながら捨てていた」という証言もあります。

 私たちは、いかなる作業も無目的に行うことはありません。
 そもそも作業とは、目的を持ち計画に従い精神や身体を道具として使いながら行う仕事です。
 もちろん、男性の行為は、乳牛を救い、かつ、放射能で汚染されていると思われる牛乳を流通させないという目的を持っています。
 しかし、原発事故が起こる前までは、牛を育て乳を搾る行為が一家を食べさせ、未来を描く牽引車でした。
 同じ行為が今は何の実りももたらさない。
 しかも、可愛い牛たちを生かすためにはあてもなく餌代を注ぎ込まねばならない。
 苦しくとも嬉しさを伴っていた労働は、いまや重い辛さしか伴わず、こうした状態へ追いやった原発への憎しみや怒りにも苛まれる。
 ここにおいて、一連の作業は、男性にしてみれば完全に目的を失っています。
 それどころか耐え難い刑罰にも等しかったのではないでしょうか。
 残った財産を食いつぶしながらあてもなく続く刑罰に耐えられるか……。

 ここにおいても、なかなか、男性の身になってみることはできません。
 アルベール・カミュの『シジフォスの神話』を思い出します。

「神々はシジフォスに、休みなく岩を山の頂上まで転がして運び上げる刑罰を課した。
 山の頂上に達すると石はそれ自身の重さで再び落ちて来るのであった。」
「無益で希望のない労働以上に恐ろしい刑罰はない。」

 神から石を山の頂上まで押し上げるように命ぜられて押し上げると、次の瞬間に石は転がり落ち、また同じように黙々と何度も何度も押し上げる行為をくり返さねばなりません。
 カミュは、私たちの人生はこうした「無益で希望のない労働」という「刑罰」を与えられているように不条理なものであると書きました。

「ひとは非合理的なものに直面する。
 幸福と理性への欲望が自分のなかでうずくのを感じる。
 このようにして、人間的な呼びかけと世界の不当な沈黙とが対置される。
 そこから不条理が生れるのだ。このことを忘れてはならぬ。
 これに必死になってしがみつかねばならぬ」

 自殺した男性にとって、搾った牛乳を捨てねばならない状況は「非合理的なもの」でしかありません。
 そして、もちろん、男性は妻子と一緒の希望に満ちた生活を望んでおり「幸福と理性への欲望」を持っています。
 ここに「不条理が生れ」ています。
 カミュは「人間的な呼びかけ」を捨てず「世界の不当な沈黙」という壁へあくなき挑戦を続ける実存的な生き方を選びました。
 しかし、男性は「人間的な呼びかけ」を捨て、「世界の不当な沈黙」に押しつぶされました。
 私たちは希望を失った時、非合理的な世界の沈黙を前にして「無益で希望のない労働」を続け得るものでしょうか?

 自分が耐えられるかどうかはわかりません。
 ただ、ナチスの強制収容所から帰還したフランクルの言葉は信じられそうな気がしています。
「人間は、いかに過酷な状況に置かれても、醜い本能をまるだしにしたり、劣悪な行動に走るような存在とは限らない。
 逆に、困難や苦しみを通して聖者のようになる人もいる。
 人間の本当の姿(実存)は、限りなく高貴で偉大な存在、高い次元に属する「精神」なのだ……。」
 そもそも私たちの人生は、途方もなく長いプロセスのごく一部でしかありません。
 過去の因縁を背負ってこそ特定の何者かとしてこの世に生まれ、善悪こもごもの業を積み、そのすべてを背負ってあの世へ行き、いつかまた、特定の何ものかとしてこの世へ修行の旅にやってきます。
 この世での生は一瞬の光芒であり、膨大な時間として待っているあの世こそが故郷です。
 お大師様は説かれました。
「生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥(クラ)し」
 何度生まれ変わろうと、本来持っているみ仏の智慧が光明となって輝かないうちはなかなか真実世界が見えず、本質的な苦から脱することはできません。
 きっかけさえあれば必ず光明を見いだせるのに。
 人生に起こるすべてのことごとは、そのきっかけたり得るのに。

 男性は絶望的状況でなお、家族を想い、牛たちを想って行動し、「醜い本能をまるだしにしたり、劣悪な行動に走る」ことをしませんでした。
 それどころか、自分の生命保険による後の処置を願い、原発への告発を一句にしたためました。
 見事と言うべきではないでしょうか。
 光明を見いだす努力を一緒にできなかったことは残念でなりませんが、最後まで刑罰的作業をこなし、決然と逝った男性のご冥福を祈ってやみません。



 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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