コラム

 公開日: 2012-05-30  最終更新日: 2014-06-04

傷ついた日本人へ(その11) ─空の意味(その1)─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。





 被災地を訪れたダライ・ラマ法王が高野山で行った講演の概要が『傷ついた日本人へ』という本になりました。
 それを読み解く稿の第11回目です。

 法王は、ここまで本当の幸せについて考察し、「人生をより良くするために仏教の考え方が役立つ」ことに気づかれた人々へ、仏教の教えや概念として空(クウ)について述べられました。
 私たちは、仏教と言えば空と考えるほど空という言葉に慣れ親しんではいるものの、では、空とはどういう概念かとあらためて考えてみれば、はなはだ怪しくなります。

 法王は説かれました。

「当たり前だと思っていることに疑問を持ち、物事の本質を探り出す。
 これが仏教の思考方法です」

 お釈迦様が恵まれた立場を捨て、お大師様が出世街道に訣別し、行者になられたのもここに理由があります。
 目に見え耳に聞こえるものに何の疑問も持たず、それらの情報をうまく処理して身を養いつつ毎日が流れて行けばそれで良いと考える人にとって、仏教はあまり意味を持ちません。
 人生の何ごとかにぶつかり、立ち止まらせられた時、同じくそこで苦吟した過去の先達方が残した教えとして、仏教が姿を見せます。
 もしや、ここに救いがあるのでは、と扉を開け、誠心の目でじっと観ていると、さまざまなみ仏方の世界が朧気ながら形を示し始めます。
 その先は、聞・思・修が待っています。
「聞」は、聞くことであり、学ぶことです。
 魂が震えた時、仰ぎ見るように信じる心「仰信(ギョウシン)」が生じます。
「思」は学んだことをよく思考し、理解することです。
 そこに、ああそうだったのかという深い「解信(ゲシン)」が生じます。
「修」は正しく習い修めることです。
 そうすると、真理・真実が心身に証明された確信である「證信(ショウシン)」が生じます。

 こうして「物事の本質」へ迫りますが、この過程で大切なのは、理性と感性は常にクリアでなければならないということです。
 オウム真理教は、矛盾と不条理に満ちた現実を突破したいと悩み願っていた若者たちへ「修行しよう!」と巧みに呼びかけました。
 しかし、そこで待っていた修行は理性と感性を麻痺させる方向へと導くものでした。
 ここにカルトのカルトたる由縁があります。
 カルトの蜘蛛の巣にからめとられない方法の一つは、〈狭い方向へ導こうとするかどうか〉を冷静に見極めることです。
「~だけで良い」「~以外は邪宗である」「~以外は唱えてはならない」といった姿勢が見えたならば、疑ってみる必要があります。
 多様な世界で考え、多様な現象に惹かれるオープンな精神を失えば、心の方向性は怪しくなります。

 さて、法王は、「当たり前だと思っていることに疑問を持」つ体験として、「ダライ・ラマはどこにいるのか?」と聴衆へ問いかけます。
 そこにいますと見えている姿を指さすでしょうが、どうしてそう言い切れるのか、何をもってそれを証明するのかと問います。

「もし私の姿や声だけで私の存在が規定されるのであれば、『ダライ・ラマの姿や声』ということになるでしょう。
 でもそれならば、私の声が失われれば、私はいないということになるのでしょうか?
 姿が見えなければ、この世に存在しないことになるのでしょうか?」

 この問いは「人間の存在とは何なのか」にぶつかります。

「ダライ・ラマという人間は、ダライ・ラマの肉体のことである。
 この考え方はどうでしょうか。
 しかし、私の顔、私の心臓、私の手足、どこをとってもダライ・ラマそのものだとは言えません。
 肉体のどの部分を切り取っても、私が隠れているわけではないのです」

「ダライ・ラマは、ダライ・ラマの『精神』にある。
 みなさんの中にもこう考える方は多いでしょう。
『心や意識』こそその人げんっであるという概念は、広く一般的な考え方で共感されやすいものです。
 しかし、『精神』や『心や意識』とはどのようなものなのでしょう。
 よく考えてみると、一言では説明できないほど色々な現象が見えてきます」

 体の感覚も、夢見るのも、高度な思考を行うのも精神の作用だが、それらは一体どこにあるのか、実体は確認できるのかというと、はなはだ曖昧模糊(アイマイモコ…あやふやでつかみ所がない)となってしまいます。

「人間の存在を突き詰めて考えていくと、はっきりこれだと示せるものが何一つないことにきづきます」
「今までダライ・ラマだと思っていたものは、実体のともなわない単なるイメージだったのです。
 そして『ダライ・ラマ』という言葉は、そんなイメージにつけられた『記号』に過ぎなかったのです」

 お釈迦様は、弟子たちへ「こらっ!起きよ!」と叱咤しました。
 目覚めよとは、理性も感性も総動員して真理・真実をつかみなさいということです。
 その先には心の解放が待っています。
 



 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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