コラム

 公開日: 2012-05-31  最終更新日: 2014-06-04

傷ついた日本人へ(その12) ─空(クウ)の意味(その2)─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。





 被災地を訪れたダライ・ラマ法王が高野山で行った講演の概要が『傷ついた日本人へ』という本になりました。
 それを読み解く稿の第12回目です。

 物事の本質を探ろうとする仏教の思考方法は、「人間の存在を突き詰めて考えていくと、はっきりこれだと示せるものが何一つない」ことに気づきました。
 法王は思考をさらに進めます。

「みなさんは『私』は確かにここにいると思っているでしょうが、『私』とは何を指しているのでしょうか?
 どこに存在しているのでしょうか?」
「自分の体、手足、頭の中……、一つ一つ確かめてください。
 身体のどこを探してみても、『私』というものを見つけることはできないでしょう。
 心や意識の中にあるのかと考えてみても同じことです。
『ここに私がいた』と指し示すことはできません。
 結局、私たちがこれまで考えてきた『自分』『私』というものもまた、単なる感覚や観念で考えていたものに過ぎなかったのです。
 そこに何の実体もありません」

 普段、私たちは、思うがままに手足が動き言いたいことを言っているので、手も足も口も自分のものであり、司令官である自分の意識が指示するとおり動く身体全体を自分であると考えています。
 しかし、もしも事故や病気で手足を失ったり口がきけなくなったりしても、自分は変わらずにいるのであり、そうすると手にも足にも口にも自分はいないことになってしまいます。
 では、脳に自分がいるのかと思って探してみても、脳もまた手足と同じく、それぞれの部分がそれぞれの活動を行っており、どこをとっても、自分のありかは見つかりません。
 自分の肉体と言い、自分の精神と言っても、肉体にも精神にも自分の実体は見つかりません。
 すべては自分が考えた観念でしかないのです。

「そもそも『自我』に確固たる実体はない。
 仏教ではこれを『無我』といいます。
『我(ガ)はない』ということです。
 実体がないのは人間の存在だけではありません。
 同じように様々な事象を追究しても、結局全てに確かな実体などないことがわかります。
 つまり、『無我』はあらゆる現象に当てはまる原則なのです。
 そのため、人間だけでなく、どんな事象についても『無我』と言い表します。
 ただし、人については『人(ニン)無我』、人以外の事象については『法(ホウ)無我』と区別して言うこともあります」

 すべては因と縁によってかりそめに存在しているだけであり、ありとあらゆるものがそれぞれ因となり縁となって関わり合っているので、変化しないものはありません。
 私と言い、貴方と言っても、一瞬たりとも変化を止められないので実体として見つけられず、つかまえられないのは当然です。
 我(ガ)と表現される〈不変のもの〉はどこにも無いのです。

「あらゆるものごとに『実体はない』というこの本質を、仏教では『空』と表現します」

 ついに空へたどりつきました。
 自分の根本的なありようも、見聞きする現象世界を構成するすべての事象の根本的なありようも空だったのです。
 それは、この人も、このネコも、あの人も、あの山も同じです。
 私、妻、クロ、笹倉山、全てはイメージにつけられた記号であり、私たちはそれを用いた観念の世界の住人です。

 ここで確認しておくべきは、〈実体がないから、存在していない〉のではないということです。

「『存在していない』と『実体がない』は全く別物なのです。
 簡単に言えば、『そのものの有無』が存在であり、『確かな姿』というのが実体です」

 私も、妻も、クロも笹倉山も、有るか無いかと言えば有るので存在してはいますが、そのどこをとっても私や妻やクロや笹倉山の実体は見つけられないので確かな姿はありません。
 だから空です。
 法王はたとえ話をされました。

「簡単な例で説明しましょう。
 たとえば先ほど私たちは昼ご飯を食べましたね。
 食事を食べたからこそ美味しいと感じたし、空腹も満たされました。
 もしごはんそのものが存在していなかったら、そのような感覚や作用はなかったはずです。
 私たちは全くの空想の中で夢幻を食べたわけではありません。
 つまり、ごはんは確かに存在したのです。
 ただし、それぞれ自分の味覚で味わい、自分の知覚で認識したに過ぎません。
 昼ごはんのいわゆる実体、確固たるありようというものは誰も捉えることができないのです」

 どうでしょう。
 このあたりまで来ると、『般若心経』で説く「色即是空(シキソクゼクウ)」がイメージされるのではないでしょうか。
 そうです。
 私たちは、そのあたりに近づいています。



 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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