コラム

 公開日: 2012-06-02  最終更新日: 2014-06-04

傷ついた日本人へ(その13) ─空(クウ)の意味(その3)─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。





 被災地を訪れたダライ・ラマ法王が高野山で行った講演の概要が『傷ついた日本人へ』という本になりました。
 それを読み解く稿の第13回目です。

 前回までに、『般若心経』で説く「色即是空(シキソクゼクウ)」へ到達しました。

「あらゆるものごとに『実体はない』というこの本質を、仏教では『空(クウ)』と表現します」

 自分の根本的なありようも、見聞きする現象世界を構成するすべての事象の根本的なありようも、空です。
 ただし、ここで確認しておくべきは、〈実体がないから、存在していない〉のではないということです。

「『存在していない』と『実体がない』は全く別物なのです。
 簡単に言えば、『そのものの有無』が存在であり、『確かな姿』というのが実体です」

 今回は、ここから、さらに考えます。

「究極的なレベルまで追究すると、あらゆるものは単なる個人の概念や世俗的な通念に過ぎないことがわかります。
 だからといって、存在や現象そのものが否定されることにはならない。
 むしろ概念が生じるのは、その存在があるからなのです。
 存在すらなければ、それを表す概念も生まれません」
「『空』は存在があって初めて成り立つ概念です。
 物事は存在があって初めて認識されるけれども、どんな認識も単なる概念に過ぎないので、だからあらゆる実体は『空』である。
 こういうわけです」

 このことを「色(現象)は即ち是れ空」と言い、現象はそのまま空(不変の実体はない)なのです。

 さて、私たちは、この「色」という現象と、「空」というありようをどうとらえれば良いのでしょうか?
 ここがはっきりと説かれていないために、真理にもとづく教えがうまく活用されていないように見受けられます。

 ここまで、「空」について考えましたが、では「色」を仏教はどう考察するか?
 空だからどうでも良いということにはなりません。

「私たちは常に色々な物事を認識し、その概念でもって物事を考えたり生活したりしています。
 姿も聞こえるし、言葉も聞こえる。
 もちろんそこから生まれた概念に実体はないのですが、ある程度それは共有され、共通の認識としてはたらいているのも事実です」

 私がいるし、貴方もいます。
 私と貴方は言葉と心で通じ合い、私の前には現象世界が広がっています。
 空であっても、確かに存在しています。
 そもそも、人間はいかなる存在なのか?

「人間を認識するための構成要素とは何でしょうか。
 仏教ではこれを『五蘊(ゴウン)』という五つの構成要素に分けています。
 一つは、姿、形、声や匂いなどの要素、すなわち『肉体(色蘊…シキウン)』です。
 これに対して精神的な要素については、一くくりではなく四つの要素に分けて整理しています。
 それが知覚(受蘊…ジュウン)・感情(想蘊…ソウウン)・意志(行蘊…ギョウウン)・思考(識蘊…シキウン)の四つで、それぞれが精神を構成している要素なのです。
 仏教は、この五つの要素でもって人間が構成されていると考えています。
 そして、人が人を認識する時は、この五蘊を組み合わせたり、一部を取り出したりしながら、その人の概念を勝手に作り出しているのです。
 つまり自分や他人の『自我』は、五蘊によって生み出された仮の姿なのです」

 私にも貴方にも不変の実体はないけれども、肉体を持ち、互いを知覚し合い、思考による言葉で通じ合っています。
 共通認識があり通じ合うという真実が確かにあります。

「たとえ究極的に実体がないとしても、普通の世界では『真実』である。
 これは認めざるを得ません」
「つまり重要なのは、世俗的なレベルと究極的なレベルを分けて物事を整理することだったのです」
「世俗のレベルと究極のレベルを分けて考え、それぞれ別の真理があるという考え方を『二つの真理』という意味で『二諦(ニタイ)』と呼びます。
「世俗的なレベルの真理を『俗諦(世俗諦…セゾクタイ)』、究極のレベルの真理を『真諦(勝義諦…ショウギタイ)』とし、それぞれ別の真理を認めているのです」

 私、貴方、ネコ、山といった存在や現象すなわち『色(シキ)』へそのまま対処するには『俗諦』によれば良い。
 それらを貫く根源的なありようを探求すれば『空』に行き着き、そこには『真諦』が待っています。

 では、なぜ、『俗諦』だけではダメなのか?
 私たちはなぜ、空を観る『真諦』が必要なのか?
 ここにこそ、仏教の存在理由があります。
 ──私たちは、現象を見る『俗諦』によるだけでは苦を離れられず、空を観る『真諦』によれば苦を離れられる。
 これが理由です。




 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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