コラム

 公開日: 2012-06-05  最終更新日: 2014-06-04

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(第105回)─落とし文(その1)

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。




「おとしふみ」という東日本大震災に関する聞き取り記録があります。
 東日本大震災から1年が経過した平成24年3月、「岩沼民話の会・語りっこ岩沼」の地道な努力により、被害者が後世へ残したい思いの集積がはかられました。
 岩沼民話の会を構成するメンバーは高齢者が多いにもかかわらず、わずか1カ月で第二集・第三集の完成をみました。
 第一集は「被災者の証言」、第二集は「被災者のつぶやき」、第三集は「被災者 新生の足音」です。
 いずれもA5版で袋とじ、ところどころに写真やイラストも散りばめた文字どおりの手作り文集であり、当山の機関誌『法楽』と同じくホッチキスで留め製本テープを貼ってあります。

 第一集の前書きです。

「新緑の時期に、広葉樹の野山などを散策していると、『落とし文』の様な筒状に巻かれた葉が落ちていることがある。
 この『落とし文』をせっせと作って路面に落とすのがオトシブミ科の昆虫である。
 江戸時代に他人に知られないように、そっと手紙を道端に落とし、他人に渡したという。
 私たちは、たくさんの人々の震災の体験を、後世の人々に伝えたいと思い、そっと『落とし文』をいたします。」

 制作者の了承を受け、この宝ものからそれぞれ1篇づつを紹介しておきます。

○第一集の証言者A氏(岩沼市在住・73才)

「3月11日(金)午後2時46分、大地震発生。
 私は、直ちに防災本部(相野釜公会堂)へ向かうべく準備をしていたら、『相野釜消防団と消防協力隊』が消防ポンプ車で私の所へ駆けつけ、
『ラジオで大津波が来ると放送があった。
 すぐに、会長は仙台空港へ行って皆を誘導してください』
との指示を受けた。

 私は、急いで仙台空港へ向かい何人か先に避難していた人たちを一箇所に集め、後から避難して来る人を誘導していた。
 仙台空港内は、空港利用客と避難してきた人達ですごく混雑していた。
 1500人位いたと思う。
 又、マリーンホームに入居している人達(50人)も、職員の方々に運ばれて無事全員避難してきた。
 この人達は全員車椅子に乗っている人達で、空港までの搬送は大変だったろう。
 全員無事に避難できた事は、今振り返って見ても奇跡のような気がする。
 
 最後の入居者を空港の二階に搬送し終えると同時に、津波が来た。
 間一髪、私達が避難して間も無く、午後4時頃、空港の東方向からゴーと言う音と共に水柱を立てながら津波が押し寄せてきた。
 バリバリと言う音とともに海岸林や家屋など、あらゆる物を巻き込みながら空港前を流れて行く。
 空港に避難していた、全ての人は悲鳴を上げながらその情景を眺めていた。
 なかには泣き崩れている人もいた。

 私たち、町内会員も空港に避難した。
 総勢100人位。
 突然の出来事だったので、多くの人は着の身着のままの状態で、赤ちゃんのミルクもない。
 常備薬を持たない病人、体調を崩した人も多く、何人かは救急車で搬送された。
 3月11日の夜はとても寒い夜だった。
 1人か2人で1枚の毛布にくるまった。
 仙台空谷には5泊した。

 一夜明けた3月12日(土)相野釜の集落は大津波により目にも無残に全てが破壊され地域全体が瓦れきの荒野にかわっていた。
 震災数日後にわかったのだが。地域全体で43名の犠牲者が出たことがとても悲しく残念だった。
 ここ空港避難所は一時的な避難所だった。

 3月16日(水)岩沼市内の『ふたき旅館』へ移動した。
 支給された毛布などを持ってバス何台かに分乗し、岩沼市内に向かった。
 途中車窓から眺めた街は全く嘘のように、ところどころ屋根瓦が落ちた所があるくらいでみんな家があるではないか!
 沿岸部と内陸部はこんなに被害状況が違うのだと改めて感じた。
 ここ『ふたき旅館』は電気が通電して暖房もあり、畳の部屋50帖と八十帖の2部屋を貸してくれた。
『ふたき旅館』に来た時は83人になっていた。
 何日ぶりかで畳の部屋でしかも暖房つきの部屋でねることが出来た。
 うれしかった。

 次の日、地区内の勤務している会社よりトラック1台に満載した食料と調理道具が送られてきた。
 これまでと違って、自分たちで作った食事が出来た。
 これまでになかった味噌汁も食べられた。
 とてもおいしかった。
 三月半ばなのに寒い日が続いたこともあってか、避難者に高熱を出す人が出た。
 巡回の医師と看護師が来て、避難者全員診察して頂いた。
 なんと15人ものインフルエンザ患者が出た。
 早速『ふたき旅館』にお願いして隔離室をつくって頂きそこへ移動してもらう。

 3月24日(木)に三度目の避難所に移る。
 少しばっかりの荷物をまとめ、次の避難所(農業環境改善センター)へ移動することになった。
 改善センター(体育館)へは相野釜以外に蒲崎地区・長谷釜・石巻・南相馬の避難者が加わり、総勢85名ほどになった。
 
 3月11日から数えて合計53日間の避難所生活をした。
 この間、全国各地から、又、多くの会社や近くの住民の方々からたくさんの支援物資を頂いた。
 とても有りがたかった。
 現在は、仮設住宅に43世帯入居しその他はみなし仮設(市内・名取市・仙台市)で暮らし現在に至っている。」

 こうした活動の中心におられるのは80才を超えたBさんです。
 地域の人々が生きる現場深く、常に〈当事者〉としてかかわり、思いの共有と発信を続けておられます。
 人々と共にまっとうに生きようと願い、考え、努力し、志が北極星のように不動の光を放っています。
 周囲の人々へ、志は抱き続け得るという希望を失わせません。
 Bさんのように何か小さな「落とし文」ができればと願っています。



 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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