コラム

 公開日: 2012-06-08  最終更新日: 2014-06-04

宗教は「困った時の神頼み」としてたち顕れる

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。



〈彼はどうやって玄関へたどりついたのか?〉

 6月6日、仙台稲門会で「今、宗教の役割は?」と題して少々、お話をさせていただきました。
 そこで第一番目にとりあげたのは「困った時の神頼み」です。
 そもそも、宗教が自分の生死と真にかかわってくるのは、窮地に陥った時です。
 関心が命綱に変わるのです。

 私は、学生時代のふとした挫折をきっかけに、鎌倉の寺院で座禅を組んだり、宗教や哲学をかじったり、いろいろな宗教を訪ね歩いたりしました。
 そしていくら調べても、良い教えに感心したり、善行へ誘われる機会があったり、あるいは反対にがっかりさせられたり、といったことばかりで、ずっと〈関心〉のままでした。
 関心が命綱に変わったのは、事業の失敗による生活の前面崩壊に直面した時でした。
 
 親身になって指導してくださる警察関係者から、ある寺院の住職を紹介された時、長年の関心が次元を変えました。
 お訪ねするたびに疑問が解消し、復習すればするほど教えは道理であると確信されました。
 今、思えば、仏法の説くとおり、まず、運命とおぼしき「聞(モン)」という教えを聞く機会があり、それを復習する「思(シ)」がくり返されていました。
 あとは、修行である修(シュウ)が待っていたのは当然です。

 こうして宗教が私にとっての命綱となりましたが、その原因は二つの面から考えられます。
 一つは、生きるか死ぬか(本人がそう思っていただけなのですが)という局面になって初めて、感性が質を変えたこと。
 これはいわゆる「末期の目」に類すると考えられます。
 死を覚悟した者には周囲のあらゆるものが愛おしく、哀しく、美しく見えるように、「もう、お終いかも知れない」という絶望が心の何かを動かしたのです。
 もう一つは、み仏のお慈悲によるおはからいです。
 さんざん彷徨いながらも求め続けた20年があったればこそ、み仏が、ご褒美として住職とのめぐり会いをセットしてくださったとしか思えません。

 たとえば、師が、凄まじい法力を見せる行者でありながら「仏教は仮説です」と口にされた時の驚愕です。
 ワラにもすがる思いの人間へ「すがりなさい。すがれば救われます」ではなく、自分自身が心身をかけ、信じられるとおぼしき仮説を検証して行く先にこそ確かな救いがあると説く誠実さ。
 この誠実さは、道理という尺度を脇へ置く者や、行に打ち込まない者や、すがらせて教団を大きくしたいとかお布施をたくさん集めたいとかの思惑を持った者には、決してありません。
 あの時、あの言葉を聞き、瞬時に理解できたことは、奇跡のような〈おはからい〉と思われてならないのです。

 さて、神頼みになった時、どのような形で命綱が顕れるか。
 3つのケースが考えられます。

1 得も言われぬ何ものかに導かれる(仏宝による)
2 新たな視点や思考回路に気づかされる(法宝による)
3 聖職者から異次元を感得する(僧宝による)

 それぞれを考えてみましょう。

1 得も言われぬ何ものかに導かれるケース

 18才で栄達の道を捨てたお大師様は、いくら経典を読んでも、修行をしても、根本のところから疑問を解消する教えにめぐり会えず、22才のおりに東大寺の大仏宝前へ額づき、「我に不二(フニ…最高の教え)を示したまえ」と祈りました。
 儒教・道教・仏教を学び尽くした天才は超えられない壁にぶつかり、ただただ祈ったのです。
 ある夜ついに「大日経が久米寺にある」という夢告を得ました。
 そして、さしものお大師様も大日経を完全には読み解けず、疑問を解消するために渡った唐で密教を伝授され、アジアの東端で花開くことになったのです。

2 新たな視点や思考回路に気づかされるケース

 お釈迦様は世俗的価値では満たされない思いになり、行者の群に加わりました。
 しかし、周囲から死んだのではないかと疑われるほどの難行苦行によっても真理は見えず、修行法を転換しました。
 やがて、魔ものを降す降魔印(ゴウマイン)を結ばれたお釈迦様に智慧の目が開きました。
 私たちの根本的ありようとしての「苦」、それをもたらしている原因としての「集(ジュウ)」、原因を滅すれば苦は克服できるという「滅」、克服法法としての「道(ドウ)」がはっきりと観えたのです。
 後にお釈迦様は、「この教えは自分が作ったものではなく、過去の聖者たちが悟られた真理を私も悟っただけである」と明言されました。
 文字どおり、気づかされたのです。

3 聖職者から異次元を感得するケース

 前掲の私の場合はドンピシャリと当てはまりますが、ちょっと違う角度から一例をとりあげてみましょう。

 ある日、トンチで有名な一休禅師が高野山に詣でた時のことです。
 あろうことか、彼は経典に腰を下ろしました。
 真言宗は、経典を奉じる者は経典と一体であると説くのだから、経典の上に経典が乗っただけである、何か文句があるかというわけです。
 その時、聖僧忠義が彼の膝の上に腰を下ろしました。
 痛いという彼へ、忠義は「経典の上に経典が乗っただけです」と言いました。
 彼は高野山を去る時、真言や印をバカにしました。
 その時、忠義は手を打ち、振り返った彼へ手招きしました。
 何か用かと戻ってきた彼へ「拍手と手招きであなたは動かされたではありませんか」と諭しました。
 トンチが通用しない次元を知った彼は己の不明を恥じて教えを請い、すなおに忠義と法談を交わしたとされています。
 彼は別に追いつめられていたわけではありませんが、どこでも自己流で通せるという巨大な慢心が生じていたからこそ、こうした目の覚めるような体験ができたのでしょう。


 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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