コラム

 公開日: 2012-06-17  最終更新日: 2014-06-04

僧侶の派遣とリベートの問題(その2)

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。




 前稿に続き、「現在行われている様態の僧侶派遣は仏法を破壊する慣習である」と書いた理由を述べなければなりません。

 前回書いた体験談のとおり、僧侶が自分の口を満足させるために誰かの死の報を待つとしたら、もはや菩薩(ボサツ)道を歩む行者ではありません。
 なぜ、そう言えるか?
 それは、行者にとって逝く人も送る人も自分と一如であるからです。
 死に行く人々の寂念、送る人々の悲嘆、お柩が火葬炉へ入る時の哀切、それらは誰一人として自分の身に起こることを望まないからです。
 ご縁に応じて苦を抜き楽をもたらすことを使命とする僧侶が、誰も望まぬ苦の極みとなるできごとを〈待つ〉などあり得ないからです。
 
 食うや食わずのところを通ってきた体験者として、〈待つ〉気持は痛いほどわかります。
 しかし、決して待ってはならないのです。
 待つ心との闘いは、行者として本ものであり続けられるかどうかの重要な試金石です。
 こうした真実は、真に仏道をめざして菩薩行へ入った行者なら、必ずわかっているはずです。
 問題は、わかってどうするかです。
 私が最も懸念するのは、わかっていながら待つ心を脇へ置けば偽行者となり、脇へ置かず、かつ、待つ心を克服できぬままに待つ環境を変えもしないで苦悶の日々を送れば肝腎の菩薩行は確実に滞ります。
 苦悶は心に深刻なダメージを与えかねません。

 だから僧侶は、待たねば自分が生きられないスタイルで法務を行うべきではありません。
 それは、アパートの一室で派遣業者からの電話を待つ身であろうが、由緒来歴を誇る大寺の奥にいる身であろうが、同じです。

 では僧侶にとって葬儀とは何か?
 私は、自分の因縁の結果としてみ仏からお与えいただく試練の一つであると考えています。
 人生で一度の死はもちろん、人生に何度も何度も起こるわけではない家族や恩人や友人の死を、自分に起こるできごととして日常的に受けとめねばならない因縁を深く省みながら生きています。

「我れ昔より造りし所の諸(モロモロ)の悪業(アクゴウ)は
 皆な無始(ムシ)の貪、瞋、癡、(トン・ジン・チ)に由(ヨ)る。
 身語意(シンゴイ)より生ずる所なり。
 一切我れ今、皆な懺悔(サンゲ)したてまつる」

 白衣をまとい、一度死んだ身としてなお生きながらえる以上、誰も引き受けない最大の心痛を引き受けるのは当然であるとも思えます。

 私は、二人きりになった時、師の口からポツリと滴り落ちた一言が忘れられません。
「葬式はやりたくない」
 しかし、こうした師へたくさんの方々がすがられました。
 私も今、心で歯を食いしばりながら師の遙か後を追っています。
 誰かが引き受けねばならない苦役ならば堂々と引き受けたいと思っています。

 そもそも、人生相談であれ、ご祈祷であれ、ご加持であれ、足を運ばれる方々は苦の意識を持っておられます。
 仏前結婚も、地鎮祭も、災厄を除けた先にこそ招福があります。
 仏像やお位牌の魂入れもまた、モノに仏神のお力が宿り、この世とあの世の苦を祓い楽をもたらしていただくために行います。
 年忌供養は逝った方が苦を祓い去り、より深い安心を得られると共に、送った方の記憶から辛いものを消し去る法要でもあります。
 釈尊が「私たちの根本的なありようは苦である」と見透されたとおり〈苦の身〉という真姿になった皆さんが、み仏の御宝前へぬかづかれます。
 僧侶は、こうした方々と共に苦を実感して生きつつ、ときおり発生する桁違いの苦をもたらす死とのかかわりからも逃げずに求められる法務を行い続けるのみです。

 僧侶はみ仏へいのちをお預けした身であり、み仏へ捧げられる善男善女のお布施以外によって身を養うことは許されません。
 消費社会である娑婆の原理とは異なった世界に生きるからこそ出家者です。
 異なった世界に身を置きつつ、娑婆の人々の〈親友…経典の言葉です〉として苦楽を共にし、苦を抜き楽をもたらすのがお地蔵様や観音様などの菩薩です。
 その菩薩をめざす出家行者である僧侶はいかにあるべきか。
 あらゆる機会に考え、省み、菩薩行を踏み外さずに進みたいものです。

 こうしたことごとに思いをいたす時、現在行われている様態の僧侶派遣には憂慮せざるを得ません。
 6月6日に報道された、僧侶派遣会社と葬儀社がお布施をめぐり5億円もの所得隠しを行っていた脱税事件の陰にいかなる重大な問題が潜んでいるか、娑婆の方々にもよくお考えいただきたいと切に願っています。
 祈りという宗教も、唄や踊りに始まる芸術も、死者を送る時のやるせない思いから生まれたとされています。
 私たちは今、人類の歴史が始まって以来、最もそこを軽んじていはしないでしょうか。
 便利に安く〈済ませたい〉という心には、僧侶が一報を〈待つ〉心と同じく、深い問題があるのではないでしょうか。



 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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