コラム

 公開日: 2012-06-18  最終更新日: 2014-06-04

宗教は政治へ口出しすべきか(その1)

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。




〈西空の光景にすぐさま大雨になるかと思いきや、降りませんでした〉

 宗教者が軽々に政治へ口出ししてはならないと考える理由は、宗教と政治は原理が違うからです。
 宗教は一心上の諸問題を一人の人間として解決してゆくための分野であり、政治は社会的諸問題を共同で解決してゆくための分野です。
 だから宗教的解決へ至るには本人が孤独に決する他なく、政治的解決へ至るには当事者同士が妥協する他はありません。
 もちろん、宗教的信念は共有されれば社会的な側面を持ち、政治的信念としての志は宗教に支えられている場合もありましょう。
 だから両者は個人と社会にかかわり、オーバーラップしています。

 ここで考えねばならないのは、宗教者の政治へのかかわり方です。
 自分自身をふり返ってみます。
 私はこれまで、選挙において特定の個人を応援したことがあります。
 もちろん、組織内ではたらくなどはできませんが、応援弁士や、知人への紹介などを行いました。
 それは友人や知人として候補者の優れた人柄を広く知っていただきたいという一心からであり、特定の政党やイデオロギーについての発言は行いませんでした。
 一個人として政治のありようや政治思想への関心も判断もありますが、軽々に口にはしません。
 なぜなら、当山を代表する人間として私が政治的方向を打ち出したために、当山を信じておられる方々も反発する方々も、当山とのかかわりを重大視して政治的判断をされるとしたら、それは政治的観点からすれば決して好ましいものではないからです。

 そもそも、国政における最大の責務は治安と国防と外交です。
 経済活動は個人でも法人でも地域でもなし得ますが、国民の安全を確保し、外国とのつき合いや外敵から国土や国民を守るといった仕事は、国家レベルのものです。
 この面における最大の問題は、外交交渉の果てに行き着く戦争です。
 想像してみましょう。
 もしも国難に見舞われ、戦争へ踏み出すかどうかというギリギリの場面になった時、特定の宗教団体がキーポイントを握り宗教的観点からゴーサインを出すのも、その反対のケースも、国土を安穏に保つためにはあまりに危険な状態であると思われます。
 もしも戦闘の現場が生じた時、特定の宗教団体が宗教的観点からゴーサインを出せば全員が銃を取って生死を分ける闘いに突入し、その反対のケースでは国防が崩壊しかねません。
 信徒さんたちが銃を揃えて敵へ突入するのも、皆が敵前逃亡して敵の蹂躙にまかせてしまうのも、いずれも異様な光景ではないでしょうか。

 もちろん、健全な宗教は平和をめざします。
 しかし、国際社会の現実は紛争や戦争の連続であり、平和はしかるべき手段をもってしか保ち得ません。
 手段として主役を務めるのは政治であり、代議制民主主義の国にあっては、賢い選挙民に選ばれた優れた政治家が現実に即した政治的判断によって国を安全な方向へ導いて行くこと以上の平和を保つ方法はありません。
 そこにおいて宗教の果たす役割は、個々人が政治的判断をする上でベースの一つとなることであり、教祖やリーダーのご託宣が最優先されるなど、あってはならないことです。
 あってはならないことが起こった事例、それがオウム真理教事件ではなかったでしょうか。

 最後にもっと具体的な想像をしてみます。
 たとえば私が、大日如来やお大師様の教えを基にし、国民が選択を迫られている数々の政治的判断に方向性を打ち出し、当山を信じている信徒さん方が全員、同じ方向で行動されるなど、身震いするほどおぞましく、恐ろしいことです。
 自分がいかに愚かであるか、政治経済についていかに無知であるか、少しは気づいているからです。
 精神の健全な活動とは〈納得をめざす〉ものであると少しは気づいており、個々人がさまざまな方面で納得しつつ生きられる社会が理想社会の一面ではないかと考えているからです。
 だから、私の宗教的発言が、ご縁の方の宗教的納得に結びつけばとてもありがたいことです。
 政治的納得を求められる場合に役立てばそれもありがたいことです。
 しかし、宗教的納得を得られたからといって政治的問題へ判断停止をされるなら、内容は別として、その姿勢は私が求めるところではありません。

 お大師様を信じているからといって、教祖と信徒が一致団結して尖閣諸島を国有化せよと主張するのも、国有化反対と主張するのも、ものの道理からすれば〈変〉ではないでしょうか。



 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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