コラム

 公開日: 2012-06-27  最終更新日: 2014-06-04

大師信仰と大志信仰 ─毛利元就と大願成就─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。




〈隠形流(オンギョウリュウ)不壊(フエ)の構え〉

 日本には古来、根強い大師(ダイシ)信仰があります。
 善男善女が「南無大師遍照金剛」と唱えつつ歩く四国八十八霊場巡りはこの信仰心によります。
 ところで、日本人にはもう一つの信仰めいたものがあります。
 それが大志(タイシ)信仰です。
 今の教育ではどうなっているかわかりませんが、かつては、中学校あたりで、クラーク博士の「少年よ、大志を抱け」について教えられました。

 明治時代、博士は北海道大学の前身である札幌農学校の初代教頭を務め、自然科学一般と共にキリスト教的信念による人格の教育も推進されました。
 博士が日本を去る時に残したとされるこの名言を聞いた私たちは、皆それぞれに上昇志向を持って若い日々を過ごしたものです。
 青雲の志と言われるように、「大志」には心を膨らませる力があります。
 さて、故城山三郎は、この言葉について興味深い一篇を遺しました。
 それが表題の『大師信仰と大志信仰』です。

 誕生から逝去まで昭和の時代を生きた氏は、少年時代、陸軍大将や海軍大将になることを大志とする仲間と違い、先生に「何になりたいか」と訊かれて「日本一の金持になる」と答えたそうです。
 当時、「金持とは、当時一番軽蔑された言葉」です。
 自分の利益しか考えない我利我利亡者(ガリガリモウジャ)の典型が守銭奴(シュセンド…まるでお金を主人とする奴隷のようにお金にしがみつく人)です。
 自称「へそまがり」で、「『大志』とは本来、その程度のものではないだろうか」と訝(イブカ)っていた氏は、やがて、「大志」への違和感を史実によって解明することになります。

 氏は、毛利元就(モウリモトナリ)が子供の頃、厳島神社に天下統一を祈ったという代表的な「大志」の故事に疑問を投げかけました。
 理由は、「元就が子孫や家臣にくり返し強調したのは、そうした『大志』ではなく、『天下を望むな』『高望みするな』ということであった」からです。
 元就が行った二百二十六回の戦は「大志のために起こしたのではなく、足もとを固め、ひろげて行く過程の中で仕掛けたり仕掛けられたりした戦い」でした。
 その戦いは「終生、ひとつひとつていねいに」行われました。

「ていねいに戦うとは、事前に周到な準備をするだけでなく、勢いに任せて戦わないことである。
 勝って追撃に移るときも、元就は必ずそれ以上進んではいけない地点を定めておき、部下に厳守させた」

 これには唸らされ、『孫子の兵法』の『虚実篇』を思い出しました。

「攻めて必らず取る者は、其の守らざる所を攻むればなり。
 守りて必らず固き者は、其(ソ)の攻めざる所を守ればなり。
 故(ユエ)に善(ヨ)く攻むる者には、敵、其(ソ)の守る所を知らず。
 善(ヨ)く守る者には、敵、其(ソ)の攻むる所を知らず」
 
 敵の守りの盲点や弱点を衝いて攻めれば敵の防御を突破でき、敵が攻めて来られない所で守れば攻撃に負けないのです
 この稿はとてつもない締めくくりになっています。

「微なるかな微なるかな、無形に至る。
 神(シン)なるかな神(シン)なるかな、無声に至る。
 故(ユエ)に能(ヨ)く敵の司命(シミョウ)を為す」

 こうした微妙の極地に至れば、もう、軍隊と言っても形を超えていて、動きは神業で音も発しないほどになるとされています。
 要は、阿鼻叫喚(アビキョウカン…むごたらしい様子)のぶつかり合いがなくなるのでしょう。
 だから、敵を生かすも殺すも自由自在、意のままに死命を制することができる永遠の勝者になれるのです。
 こんなことは現実にあり得ないと思われますが、元就の戦いはかなり神業に近いところまで行っていたようです。
 城山三郎氏は詳細に分析しています。

「元就にも敗戦があり、自分の鎧兜を部下に着せ身代わりにして、ようやく命びろいするようなこともあったが、それは大内方に属し、自分の作戦が受け入れられないままに巻き込まれた戦いのときであった」

「ていねいに」の根本には不敗を求めて知略・軍略の限りを尽くす信念があるのではないでしょうか。
 同書はこう締めくくられています。

「大望があれば、勢いにのって破竹の進撃と行きたいところだが、それよりも、目前のひとつひとつの戦いをていねいに戦い終える。
 そこに元就の大成の秘密があった」

 歴史のひだまで見透した氏は、大志や大望の危うさと、大成をもたらす道筋を観ておられました。

 自他を悩ます煩悩(ボンノウ)を、自他のためにならないではいられない大欲(タイヨク)へ転化する道筋も地道なものです。
 仏道へ踏み込む生き直しには相当の覚悟が必要であっても、それは大志とはかなりイメージが異なります。
 さあ、やるぞと拳を突きあげるのではありません。
 やっと見つけた唯一の道、決して後戻りのできない道へ粛々と歩み入るのが発心(ホッシン…仏道を歩む決心を行うこと)です。
 ていねいに自らを省み、縁となった教えをよく考え、唱えたり、書いたり、瞑想したり、手を抜かずにやってみるしかありません。
 煩悩に克ち、煩悩に負けないために、元就の教える「ていねいに」のイメージはとても役立ちそうです。
 城山三郎は、元就に「大成」を観ました。
 仏道を歩む人はていねいに修行し、仏神へ願いをかける人もしっかり精進し、〈大〉願〈成〉就をめざしたいものです。



 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

この記事を書いたプロ

大師山 法楽寺 [ホームページ]

遠藤龍地

宮城県黒川郡大和町宮床字兎野1-11-1 [地図]
TEL:022-346-2106

  • 問い合わせ
  • 資料請求

このコラムを読んでよかったと思ったら、クリックしてください。

「よかった」ボタンをクリックして、あなたがいいと思ったコラムを評価しましょう。

0
<< 前のコラム 次のコラム >>
最近投稿されたコラムを読む
お客様の声

○Aさん(中年女性)の場合 心身の不調を縁としてご加持を受け、自分の願いが通じると実感されました。 そして祈り方を覚え、商売や家庭にさまざまな問題を抱えなが...

 
このプロの紹介記事
遠藤龍地 えんどうりゅうち

人々が集い、拠り所となる本来の“寺”をめざして(1/3)

 七つ森を望む大和町の静かな山里に「大師山 法楽寺」はあります。2009年8月に建立されたばかりという真新しい本堂には、線香と新しい畳のいい香りが漂います。穏やかな笑顔で出迎えてくれた住職の遠藤龍地さんにはある願いがありました。それは「今の...

遠藤龍地プロに相談してみよう!

河北新報社 マイベストプロ

宗教宗派を問わず人生相談、ご祈祷、ご葬儀、ご供養、埋骨が可能

所属 : 大師山 法楽寺
住所 : 宮城県黒川郡大和町宮床字兎野1-11-1 [地図]
TEL : 022-346-2106

プロへのお問い合わせ

マイベストプロを見たと言うとスムーズです

022-346-2106

勧誘を目的とした営業行為の上記電話番号によるお問合せはお断りしております。

遠藤龍地(えんどうりゅうち)

大師山 法楽寺

アクセスマップ

このプロにメールで問い合わせる このプロに資料を請求する
プロのおすすめコラム
Q&A(その32)自業自得なら廻向で救われない? ─因果応報と空の話─
イメージ

 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故...

[ 仏教・密教 ]

一年と一周忌供養 ─あの世でもこの世でも救われる話─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 葬儀・供養の安心 ]

消えた因縁 ─心の檻(オリ)から脱した話─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 世間は万華鏡 ]

「みやぎシルバーネット」20周年おめでとうございます ─無私の編集長につながる方々─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 世間は万華鏡 ]

平成28年12月の行事予定 ─護摩・書道・寺子屋・お焚きあげ─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 行事・お知らせ ]

コラム一覧を見る

スマホで見る

モバイルQRコード このプロの紹介ページはスマートフォンでもご覧いただけます。 バーコード読み取り機能で、左の二次元バーコードを読み取ってください。

ページの先頭へ