コラム

 公開日: 2012-06-28  最終更新日: 2014-06-04

戒老記(老いの身を戒めるの記) ─その1・懺悔を第一とする─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。





 だんだんと老いてきた。
 以前、のんびりと独り暮らしをしているはずの老婦人が「忙しくて……」と言っておられるのを聞いて訝(イブカ)しがったものだが、意味のわかる年代になった。
 これまで1分あればできていたことが、1分半かかるようになったのである。
 そのくせ、これまでどおりにやりたいだけでなく、やるべきこと、やっておきたいことが次々と脳裏に現れる。
 こうして、時間がなくなる。

 時間がなくなるとは、自分に与えられたこの世での時間がなくなることであり、居場所の次元を変える死が近づいている事実を確認することでもある。
 そろそろ、自分を戒めつつ、人生の最終コーナーを回りたい。
 私を誰よりも知っている私は、とても、自分を褒める気になどなれないからである。

 さて、戒めねばならないと思う時点で懺悔は始まっている。
 だから、まず、懺悔を第一として日々を送りたい。

 中年なって出家した私は、当然、その瞬間から懺悔の道へ入った。

「無始(ムシ)よりこの方、貪瞋痴(トンジンチ)の煩悩(ボンノウ)にまつわれて、身と口と意(ココロ)とに造るところの、もろもろのつみとがを、みなことごとく懺悔(サンゲ)したてまつる」

 勤行はここから始まるが、最初はどうしても〈一般論〉としてしまう心があり、懺悔そのものになり切れない。
 自分の愚かさにはとくと気づいているはずなのに、どこかで自己防衛がはたらいているのだろう。
 しかし、死が見えてくると、自己防衛の無意味さがひしひしと感じられる。
 そして、かりそめのカサブタが剥がれるように、すりむいたままで実は治っていなかった傷の数々が顕わになり、ヒリヒリする。
 自分の傷は、自分によって傷つけられた人の傷のありさまを教える。
 私はかなりアバウトな人間だが、この痛みに頬(ホ)っ被(カム)りをし、知らん顔でみ仏のおそばへ旅立つほどの勇気はとても、ない。
 もはや、その人の傷を直接癒す方法はない。
 しかし、魂と魂の間には、音叉が共鳴するような時空を超えた感応がある。
 感応を信じ、傷ついた人のために、自分の痛みを確認しつつ、癒す努力をしたい。
 それにはまず、カサブタを剥がす懺悔が必要である。

 ところで、「戒老記」を調べたら、故浜田晋医師の言葉があった。

「老いているうちには、思ってもいないことがおこる。
 老いの設計をたてたり、戒老記などをものにする作家がいるが、おろかである。
 そんなに思うようにはいかない。」
「呆けることは、その人のもっているものをすべて失い無価値に至るとは考えない。
 むしろその人の根っこにある本質が顕になるのではないかというものである。
 たしかに美しく着かざられた衣ははぎとられる。
 完璧に構成された論理思考や高逼な見識もくずれ去る。
 高貴な人格も崩壊する。
 そしてなお生きつづけるのである。
 痴呆老人の世界は、精神病理学で一般的に論じられているような空虚な世界ではないのではなかろうか。
 なにかその人の、もっとも本質的なものだけがのこるような気がしてならない。」

 そして医師は、ある呆けたお婆さんが拒食症で食べものを受けつけなくなったが、特定の人が食事を与えると「大口をあけてたべる」例を挙げている。

「ただ一人の呆け老人は、ものの見事に、看護の心をもって生きている人と、単なる仕事でやっている人とを見分けたのである。
 呆けつつ生きる人間のおそろしさである。
 常識の衣をはいだところに彼らの『生』がある。」

 私はかつて、故扇畑利枝氏との一期一会で〈根っこにある本質〉を認め、ブログ「小さな滝 ─扇畑利枝氏のこと─」を書いた。
 見知らぬ呆けたお婆さんとして眼前にたち現れた氏の目光に宿る強さを忘れられなかった体験談である。
 呆けても、心の中で結晶した何かは破壊されずに残り続けて尊厳の証(アカシ)となり、その存在が気づく人には気づかれる。

 懺悔こそは、医師の言う「その人の根っこにある本質」をしっかりさせるために誰でもできる普遍的方法ではなかろうか。
 だから、本当は、出家者と同じくいつでも誰でも行えばよいのだが、自信と希望に満ちた若い頃は、なかなかそうは行かない。
 世間で戦うために自己防衛の心も強くはたらく。
 しかし、老いれば解放される。
 かりそめのカサブタで応急処置をしつつ戦う必要もない。
 いかなる者として自分の始末を他者へ委ねるか、その責任は自分にしかない。
 懺悔を第一として過ごしたい。



 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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