コラム

 公開日: 2012-07-02  最終更新日: 2014-06-04

私たちが心から求めるものとは? (その3)

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。






 私たちは、「困った時の神頼み」をします。
 困った時とは、何かが無くなったり、無くなりそうになったりして追いつめられた時です。
 お金がなかったり、恋人を失ったり、いのちがなくなりそうになったり……。
 では、困っていない時とはどういう時でしょうか?

 お大師様の徳を讃える『弘法大師和讃』は、常々の祈りがもたらすご利益、つまり、私たちが困らない人生の姿を説いています。
 常々、信じて祈るのは「転ばぬ先の杖を持つ」こと、とも言えそうです。

 では、お大師様への祈りがもたらす「8つの救済」とは?

6 愛敬(アイギョウ)

 仏教では、愛され、尊敬されることを愛敬と言います。
 現代人はこうありたいと望みながら、どうすれば叶えられるのかがわからなくて悩んでいるのではないでしょうか?
 人生相談で最も多いテーマの一つが、いわゆる人間関係の悩みです。

 叶えられるための方法は、わりあい、単純なものです。
 人を愛する人になれば愛され、人を尊敬する人になれば尊敬されるだけのことです。

(1) まず「愛する人」を考えてみましょう。
 仏教で問題とする「愛」には二種類あります。

 一つは、特定の相手に執着し地獄行きになりかねない愛欲であり、最も典型的な煩悩(ボンノウ)です。
 なぜ煩悩かと言えば、我(ガ)が燃え立ち、我が自他を縛り、我が相手を食い尽くそうとしているからです。
 生き甲斐と感じるのは一時的な錯覚で、その証拠に、燃え立つ気ままが許されない状態になれば、たちまち憎悪や崩壊や破壊の相を呈します。
 古人は、「可愛さ余って憎さ百倍」と言ったものです。

 もう一つは、思いやりです。
 愛敬における「愛」はこちらの意味で用いられます。
 心から誰かを思いやる時、我(ガ)は姿を消しています。
 相手を自分のものにするのではなく、相手のために自分を投げ出します。
 それができるのは、相手の立場に立てるからです。

 愛する人とは、相手の立場に立って相手のためになることを考え、言い、行う人です。
 こういう人になれば、自然に誰かが自分の立場になり、いざという場合は寄り添ってくれるものです。
 人を愛する人になれば愛されるとは、こういう意味です。

(2) 次に「尊敬する人」を考えてみましょう。
 それは、人を認め、尊び、敬う人です。
 こうした心になっている時、やはり、我(ガ)は姿を消しています。
 相手とひき比べる対象としての自分は意識しますが、それは客観的視点から評価される自分であり、執着心の塊となった我ではありません。

 仏教で言う「認める」とは、仏性(ブッショウ…み仏そのものである本性)を見出すことです。
 だから、「お前もやっと一人前になったか。よし、認めてやる」といったイメージではありません。
 もちろん、偉い人だから、お金持ちだから、権力者だから、有名人だから、認めるわけではありません。
 たとえ小さな子供でも、そこにみ仏のおいのちとお心が輝いている真実を観るならば、心から認められるはずです。

 故河合隼雄は、「生徒の『生きる力』が悪の形であらわれてくるとき、教師の『生きる力』がそれを正面から受けとめねばならない」と言いました。
 多感な生徒が暴力や反抗などの態度で突っかかってくる場合、教師自身が自分はどう生きるかというしっかりした姿勢を持ち、生きている者同士のぶつかり合いといった真剣勝負をせねば生徒は指導できないと指摘しました。
 それは、たとえ相手の態度が悪いものであっても、そこに〈生きている人間〉を認め、こちらも自分の存在をかけ、〈生きている人間〉として誠実に対応することです。
 こうした、相手に対する誠実さ、真剣さがあれば、いつの間にか相手を認めているものです。
 大げんかをした後で生涯を通じての親友になったなどというのもこうしたパターンの典型です。

 こうして、他人を蔑ろにせず誠実な人は、誰にでもかけがえのなさや長所などを感じ、見つけ、尊びます。
 すなわち、「尊敬する人」です。
 そうした人は必ず、自分も誰かから認められ、尊敬ばれ、敬われます。
 たとえ世間一般から広く認めれなくても、自分の小さな長所に気づいてくれる人がいるものです。
 そうした人に心から感謝できるならば、どんな荒波も乗り切って行こうとする力が湧いてくるのではないでしょうか。

(3) 真言宗では「相互礼拝・相互供養」を掲げています。
 互いに尊び合い、互いに相手のためになろうということです。
 これはまさに今回のテーマ「愛敬」の実践です。
 人間関係が円滑であるよう、愛敬を求めるならば、愛敬の人になりましょう。
 そのために、学び、祈り、実践しましょう。



 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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