コラム

 公開日: 2012-07-23  最終更新日: 2014-06-04

【現代の偉人伝】第151話 ─自分の〈いじめ〉体験『村に来た人たち』を書き残した藤沢周平─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。



〈小雨の中、20人ほどの方々が草刈りに参加されました〉


〈刈られる直前の……〉

 昭和52年、50才になった作家藤沢周平は、幼少時にいじめた体験『村に来た人たち』を書き置いた。
 直木賞を受賞した4年後である。
 その書き置きはこう始まる。
「こういうことは、私でも書いておかなければ誰も書かず、やがて誰も思い出さずに消えてしまうだろうと思うようなことがある。
 そういうことを少し書いてみたい。」
 たとえ中年であろうと、いかに小説家であろうと、作家として華々しい脚光を浴びて間もなく自分の恥をあからさまにする姿勢に氏の生きざまを感じる。
 
 皆からハヤナイのじいさんと呼ばれる朝鮮人のアイスクリーム売りが村にやってくる。
 じいさんのアイスクリームはあまり売れないから、はやらない売り手として「ハヤナイ」の蔑称を受けていた。
 それにはもう一つの意味がある。
「じいさんを、私たちより年かさの連中は朝鮮人と呼び、その言葉にはっきりと軽蔑の意味をこめていた。
 私たちも、その軽蔑の身ぶりを見習い、真似た。」
 その頃の子供たちは「ふだんは金を持つ習慣がなかった」ので、アイスクリームを手に入れようとすれば、大人に買ってもらうしかない。
 だから、アイスクリームはめったに売れず、子供たちは指をくわえるだけである。
 やがて「村で有名だったガキ大将とその取りまきが」じいさんを襲う。
 氏は「私たち下っぱが聞きつけ、ついていった」というスタンスである。
「じいさんは甲高い怒りの声をあげて、彼らを追い払おうとしたが突きとばされた。
 そして彼らは新山の方に逃げて行った。」
 襲われたじいさんが悪童どもを追いかけた隙に、氏たちは「残り餌をあさるハイエナのように、屋台の上のガラスの箱から、アイスクリームを盛るモナカの皮を盗みとった」のである。

 お玉と呼ばれる「背が低く、丸っこい体つきで、黒く汚れた顔と丸い眼を持っていた」女乞食(コジキ)が、物もらいに村へ来る。
 氏の母は「その物もらいがくると、米をやったあと、入り口にかけさせてお茶を出し、世間話をした」。
 今度は、例のガキ大将が「道の真ん中でお玉を裸にしようとした」。
「汚れ、傷んで近づくと異臭がするお玉のボロ着物は、不良の手でわけもなく裂け、お玉の胸がむき出しになった。
 私はみんなと一緒にその現場をみていた。
 そしてお玉が泣きわめいて逃げるのを、後からみんなと一緒に喚声をあげておいかけた。
 お玉は、袋にいれたもらい物も、道端に投げ捨てて走り、やがて道を曲がって泣き声と一緒に、姿は見えなくなった。」

「深夜、原稿を書いているとき、突然になんの脈絡もなくハヤナイじいさんや、お玉のことを思い出すことがある。
 私たちはなぜ、ハヤナイのじいさんを襲ったり、お玉を泣かせたりしたのだろう。
 なぜあんな残酷な仕打ちをしたのだろう。
 そう思いながら私は、泣くような甲高い声をあげて怒ったハヤナイのじいさんや、子供のように泣き叫んで走ったお玉を思い出し、思わず涙ぐみそうになる。
 私は年をとって涙もろくなったのだろうか。
 そうではあるまい。
 多分お玉の人生、ハヤナイのじいさんの人生が、いまになって私にもうっすらと見えてきたのである。
 そして彼らの人生に、あのようなかかわり方をした自分も見えてきたのである。」

 周囲から軽蔑されていたじいさんにとって、材料を仕入れ、真夏のかんかん照りの下をトボトボと刻む一歩一歩は、生きることそのものだったのだろう。
 それを無体にも破壊されそうになった時、じいさんの気持はいかばかりであったか。
 きっと、「泣くような」には、いのちを奪われんばかりの悲しみがあったのだろう。
 きっと、「怒った」には、非情な敵への全身全霊を挙げた反撃があったのだろう。
 そして、それに似たできごとは、じいさんの生活につきまとっていたのではなかろうか。

 お玉は「私たちがはやし立てたりすると、早口で元気よく罵(ノノシ)りかえし」人気もあったという。
 ボロをまとった乞食でも、罵られたら罵り返すところにささやかな〈自分の確保〉があったのだろう。
 私が子供の頃、両親がやっていた店に来ると、上がりがまちにじっと座って、何かもらうまで動かない男がいた。
 それを見た学のある貴人が「端座(タンザ)の姿、いとも尊し」と言ったので、皆、「タンザが来た」と言うようになった。
 もう、顔も姿も思い出せないが、じっと待つ時の不動の姿勢に何か譲れないもの、あるいは守りたいものを込めていたのだろう。
 だから、「尊し」と感じられたにちがいない。
 タンザは、少なくとも私の知っている限りでは、譲れず守りたいものを壊されることはなかったが、お玉は、裸にされるという屈辱により、〈自分を確保〉できなくなった。
 もしかすると、「袋にいれたもらい物」はお玉の全財産だったのかも知れない。
 それを投げ捨てるとは、〈もう、生きなくても良い〉という状況ではないか。
 お玉の泣き声には、恥ずかしさを超えた生きられなくなった哀しみがあったのではないか。

 氏はこう結ぶ。
「人はなぜ、人をいじめたりするのだろう。
 そもそも人間とは何者なのだろう。
 ペンを休め、私は凝然(ギョウゼン)とそういうことを考え続けるのである。」
 藤沢周平に学び、大人も、子供も、まず自分をふり返り、自分の頭で考えようではありませんか。



 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

この記事を書いたプロ

大師山 法楽寺 [ホームページ]

遠藤龍地

宮城県黒川郡大和町宮床字兎野1-11-1 [地図]
TEL:022-346-2106

  • 問い合わせ
  • 資料請求

このコラムを読んでよかったと思ったら、クリックしてください。

「よかった」ボタンをクリックして、あなたがいいと思ったコラムを評価しましょう。

0
<< 前のコラム 次のコラム >>
最近投稿されたコラムを読む
Q&A
セミナー・イベント
お客様の声

○Aさん(中年女性)の場合 心身の不調を縁としてご加持を受け、自分の願いが通じると実感されました。 そして祈り方を覚え、商売や家庭にさまざまな問題を抱えなが...

 
このプロの紹介記事
遠藤龍地 えんどうりゅうち

人々が集い、拠り所となる本来の“寺”をめざして(1/3)

 七つ森を望む大和町の静かな山里に「大師山 法楽寺」はあります。2009年8月に建立されたばかりという真新しい本堂には、線香と新しい畳のいい香りが漂います。穏やかな笑顔で出迎えてくれた住職の遠藤龍地さんにはある願いがありました。それは「今の...

遠藤龍地プロに相談してみよう!

河北新報社 マイベストプロ

宗教宗派を問わず人生相談、ご祈祷、ご葬儀、ご供養、埋骨が可能

所属 : 大師山 法楽寺
住所 : 宮城県黒川郡大和町宮床字兎野1-11-1 [地図]
TEL : 022-346-2106

プロへのお問い合わせ

マイベストプロを見たと言うとスムーズです

022-346-2106

勧誘を目的とした営業行為の上記電話番号によるお問合せはお断りしております。

遠藤龍地(えんどうりゅうち)

大師山 法楽寺

アクセスマップ

このプロにメールで問い合わせる このプロに資料を請求する
プロのおすすめコラム
村上春樹氏の「影と生きる」に想う ─影が反逆し始めた世界─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 世間は万華鏡 ]

自衛隊員の本音 ─出征する覚悟、辞める無念─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 不戦堂建立への道 ]

12月の守本尊様は千手観音菩薩です ─救われる時─
イメージ

 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故...

[ 今月の守本尊様・真言・聖語 ]

Q&A(その32)自業自得なら廻向で救われない? ─因果応報と空の話─
イメージ

 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故...

[ 仏教・密教 ]

一年と一周忌供養 ─あの世でもこの世でも救われる話─
イメージ

 おはようございます。 皆さん、今日もお会いできましたね。 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被...

[ 葬儀・供養の安心 ]

コラム一覧を見る

スマホで見る

モバイルQRコード このプロの紹介ページはスマートフォンでもご覧いただけます。 バーコード読み取り機能で、左の二次元バーコードを読み取ってください。

ページの先頭へ