コラム

 公開日: 2012-09-12  最終更新日: 2014-06-04

親の思いを知る手がかり ─有島武郎作『小さき者へ』を読む(その2)─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。






 有島武郎による子供が生まれる場面の描写は、迫真としか言いようがない。
 それは、将来起こるかも知れない親子の葛藤を解くカギともなる重要な文章である。

「昼過ぎになると戸外の吹雪は段々鎮まっていって、濃い雪雲から漏れる薄日の光が、窓にたまった雪に来てそっと戯(タワム)れるまでになった。
 然(シカ)し産室の中の人々にはますます重い不安の雲が蔽(オオ)い被(カブ)さった。
 医師は医師で、産婆は産婆で、私は私で、銘々の不安に捕われてしまった。
 その中で何等の危害をも感ぜぬらしく見えるのは、一番恐ろしい運命の淵に臨んでいる産婦と胎児だけだった。
 二つの生命は昏々(コンコン)として死の方へ眠って行った。

 丁度(チョウド)三時と思わしい時に――産気がついてから十二時間目に――夕を催す光の中で、最後と思わしい激しい陣痛が起った。
 肉の眼で恐ろしい夢でも見るように、産婦はかっと瞼を開いて、あてどもなく一所(ヒトトコロ)を睨(ニラ)みながら、苦しげというより、恐ろしげに顔をゆがめた。
 そして私の上体を自分の胸の上にたくし込んで、背中を羽がいに抱きすくめた。
 若(モ)し私が産婦と同じ程度にいきんでいなかったら、産婦の腕は私の胸を押しつぶすだろうと思う程だった。
 そこにいる人々の心は思わず総立ちになった。
 医師と産婆は場所を忘れたように大きな声で産婦を励ました。

 ふと産婦の握力がゆるんだのを感じて私は顔を挙げて見た。
 産婆の膝許(ヒザモト)には血の気のない嬰児が仰向けに横たえられていた。
 産婆は毬(マリ)でもつくようにその胸をはげしく敲(タタ)きながら、葡萄酒(ブドウシュ)葡萄酒(ブドウシュ)といっていた。
 看護婦がそれを持って来た。
 産婆は顔と言葉とでその酒を盥(タライ)の中にあけろと命じた。
 激しい芳芬(ホウフン)と同時に盥(タライ)の湯は血のような色に変った。
 嬰児はその中に浸された。
 暫(シバラ)くしてかすかな産声(ウブゴエ)が息気(イキ)もつけない緊張の沈黙を破って細く響いた。

 大きな天と地との間に一人の母と一人の子とがその刹那に忽如(コツジョ)として現われ出たのだ。

 その時新たな母は私を見て弱々しくほほえんだ。
 私はそれを見ると何という事なしに涙が眼がしらに滲(ニジ)み出て来た。
 それを私はお前たちに何といっていい現わすべきかを知らない。
 私の生命全体が涙を私の眼から搾り出したとでもいえばいいのか知らん。
 その時から生活の諸相が総て眼の前で変ってしまった。

 お前たちの中(ウチ)最初にこの世の光を見たものは、このようにして世の光を見た。
 二番目も三番目も、生れように難易の差こそあれ、父と母とに与えた不思議な印象に変りはない。

 こうして若い夫婦はつぎつぎにお前たち三人の親となった。」

 生む、生まれるという真実はこのようなものである。
 途中で母子が「死の方へ眠って行」く場合もある。
 生まれた者とは「この世の光を見た」者である。
 大役を果たした妻は「弱々しくほほえ」み、妻と共に「いきんでい」た夫は「涙が眼がしらに滲(ニジ)み出て」、人間としての母親となり、父親となる。

 育てた親と大きくなった子との間で何かが起こり、行き詰まりそうになった時は、この時点へ帰るべきではなかろうか。
 親なくして、子は世の光を見られなかった。
 子なくして、女と男は自分の人生を他の存在へ捧げつつ生きる尊い親の道を歩めなかった。
 親あっての子、子あっての親であり、人の子として今を生きている者のいのちも人生も〈親あったればこそ〉であり、人の親として今を生きている者のいのちと人生も〈子あったればこそ〉である。
 相手を愛するのは、自分のいのちと人生を愛することであり、相手を憎むのは、自分のいのちと人生を憎むことである。
 自分のいのちと人生を真に愛する者は、相手をも愛するはずであり、自分のいのちと人生を憎む者は、相手を真には愛せないはずである。

 真の愛は慈しみとして顕れ、優しさとなって相手を包む。
 優しさとは、〈信じる〉〈認める〉〈教える〉〈与える〉〈守る〉という五つの行為が円満にはたらいてもたらされる〈人間がみ仏の子である証明〉である。
 育てた親と大きくなった子との間で何かが起こり、行き詰まりそうになった時は、誕生の時点へ帰り、「自分はみ仏の子として生きているだろうか」と自らへ問いたい。
 そうすれば壁を突破できるのではないだろうか。




 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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