コラム

 公開日: 2012-09-16  最終更新日: 2014-06-04

親の思いを知る手がかり ─有島武郎作『小さき者へ』を読む(その6)─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。






 有島武郎の妻は、一家を挙げての壮絶な戦いの末に亡くなった。

「お前たちが六つと五つと四つになった年の八月の二日に死が殺到した。
 死が総てを圧倒した。
 そして死が総てを救った。」

 死によってあらゆる抵抗は砕け散った。
 それが「死が総てを圧倒した。」である。
 死はまた、あくなき戦いを続けようとする者たちへの救済でもあった。
 それが「死が総てを救った。」である。
 人間の宿命である病気と死とを相手にする私たちの真実は、前章の「血まぶれになって闘った」及びこの二行に尽くされている。

 眼前の小さな砦を奪われるかどうかの攻防だけならいざ知らず、病気という敵は、老いという敵と並んで、私たちが生きものとしては決して最終的な勝利を得られない相手である。
 本丸は、いつか必ず落とされる。
 それを知っていながら、最善の戦いを戦おうとする。
 血まぶれとなり、感謝も無残も、希望も絶望も、ありとあらゆる一喜一憂を味わう。
 自ら本丸へ火を放とうと思い、自ら打って出て散ろうと思い、あるいは無血開城を夢見ることもあろうが、死に神の軍は容赦なく抵抗力を奪う。

 自分や家族の当病平癒を願う方がおられる。
 奇跡の回復もあり、やがてご葬儀の申し込みとなる場合もある。
 逝った方と共に戦い尽くした方の表情に落胆が深い翳(カゲ)をもたらしているのは当然だが、言いようのない崇高さが観て取れる場合がある。
 逝った方はあの世でみ仏に救われてみ仏の世界へ溶けこみ、送った方はこの世でみ仏に救われてみ仏になるのではないかと度々、思わされ、合掌してきた。
 有島武郎はそれを端的に「死が総てを救った」と書いた。

 どう救われたのか?

「お前たちの母上の遺言書の中で一番崇高な部分はお前たちに与えられた一節だった。
 若(モ)しこの書き物を読む時があったら、同時に母上の遺書も読んでみるがいい。
 母上は血の涙を泣きながら、死んでもお前たちに会わない決心を飜(ヒルガエ)さなかった。
 それは病菌をお前たちに伝えるのを恐れたばかりではない。
 又お前たちを見る事によって自分の心の破れるのを恐れたばかりではない。
 お前たちの清い心に残酷な死の姿を見せて、お前たちの一生をいやが上に暗くする事を恐れ、お前たちの伸び伸びて行かなければならぬ霊魂に少しでも大きな傷を残す事を恐れたのだ。
 幼児に死を知らせる事は無益であるばかりでなく有害だ。
 葬式の時は女中をお前たちにつけて楽しく一日を過ごさして貰いたい。
 そうお前たちの母上は書いている。
『子を思う親の心は日の光世より世を照る大きさに似て』
とも詠じている。

 母上が亡くなった時、お前たちは丁度信州の山の上にいた。
 若(モ)しお前たちの母上の臨終にあわせなかったら一生恨みに思うだろうとさえ書いてよこしてくれたお前たちの叔父上に強(シ)いて頼んで、お前たちを山から帰らせなかった私をお前たちが残酷だと思う時があるかも知れない。
 今十一時半だ。この書き物を草(ソウ)している部屋の隣りにお前たちは枕を列ならべて寝ているのだ。
 お前たちはまだ小さい。
 お前たちが私の齢(トシ)になったら私のした事を、即ち母上のさせようとした事を価(アタイ)高く見る時が来るだろう。」

 ご葬儀へ小さなお子さんを参列させようかさせまいかというご相談は幾度かあった。
 当山では、死を〈無いこと〉にしてしまわず、避けられない真実が体験できる機会を奪わない方が良いという判断で、参列をお勧めしてきた。
 もちろん、肉親との別れの場にいることそのもののかけがえのなさもある。
 幼子はダメという単なるタブーとして思考停止してしまうことへ警告する意味もある。
 しかし、最終的にはケースバイケースであり、大人が熟考し、責任ある決断をせねばならない。
 有島武郎夫婦は、「幼児に死を知らせる事は無益であるばかりでなく有害だ」と判断した。
 それはそれで一つの見識とするしかない。
 結核という病名を患者本人へ告げるかどうかが大問題だった時代背景も考慮する必要がありそうだ。

「私はこの間にどんな道を通って来たろう。
 お前たちの母上の死によって、私は自分の生きて行くべき大道にさまよい出た。
 私は自分を愛護してその道を踏み迷わずに通って行けばいいのを知るようになった。
 私は嘗(カツ)て一つの創作の中に妻を犠牲にする決心をした一人の男の事を書いた。
 事実に於てお前たちの母上は私の為めに犠牲になってくれた。
 私のように持ち合わした力の使いようを知らなかった人間はない。
 私の周囲のものは私を一個の小心な、魯鈍(ロドン)な、仕事の出来ない、憐れむべき男と見る外を知らなかった。
 私の小心と魯鈍(ロドン)と無能力とを徹底さして見ようとしてくれるものはなかった。
 それをお前たちの母上は成就してくれた。
 私は自分の弱さに力を感じ始めた。
 私は仕事の出来ない所に仕事を見出いだした。
 大胆になれない所に大胆を見出した。
 鋭敏でない所に鋭敏を見出した。
 言葉を換えていえば、私は鋭敏に自分の魯鈍(ロドン)を見貫ぬき、大胆に自分の小心を認め、労役して自分の無能力を体験した。
 私はこの力を以(モッ)て己れを鞭(ムチウ)ち他を生きる事が出来るように思う。
 お前たちが私の過去を眺めてみるような事があったら、私も無駄には生きなかったのを知って喜んでくれるだろう。」

 親であり、夫であり、作家だった有島武郎にとっての〈救い〉はここに凝縮されている。
 それにしても、あまりの正直さに、ただただ圧倒される。



 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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