コラム

 公開日: 2012-09-18  最終更新日: 2014-06-04

親の思いを知る手がかり ─有島武郎作『小さき者へ』を読む(その8)去る者と送る者─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。






 有島武郎は、片方で妻を失うという淋しさに遭っても、片方では妻をも子供たちをも思いきり、愛した。
 自分はお前たちを愛せたことに感謝しているだけだから、成長した暁には後を見ないで羽ばたけという。

「十分人世は淋しい。
 私たちは唯そういって澄ましている事が出来るだろうか。
 お前達と私とは、血を味った獣のように、愛を味った。
 行こう、そして出来るだけ私たちの周囲を淋しさから救うために働こう。
 私はお前たちを愛した。
 そして永遠に愛する。
 それはお前たちから親としての報酬を受けるためにいうのではない。
 お前たちを愛する事を教えてくれたお前たちに私の要求するものは、ただ私の感謝を受取って貰(モラ)いたいという事だけだ。
 お前たちが一人前に育ち上った時、私は死んでいるかも知れない。
 一生懸命に働いているかも知れない。
 老衰して物の役に立たないようになっているかも知れない。
 然(シカ)し何(イズ)れの場合にしろ、お前たちの助けなければならないものは私ではない。
 お前たちの若々しい力は既に下り坂に向おうとする私などに煩(ワズラ)わされていてはならない。
 斃(タオ)れた親を喰い尽して力を貯える獅子ししの子のように、力強く勇ましく私を振り捨てて人生に乗り出して行くがいい。」

 今の年配者は「子供に迷惑をかけたくない」と考え、早々に死後の準備をする。
 迷惑には大まかに二つあり、一つは不自由になった自分の身の回りの世話、もう一つは死後の処置である。
 私は迷惑という言葉には少なからぬ抵抗を感じているが、何よりも気になるのは、〈手間をかけず安く済ませる〉という功利的発想だけで老いや病気や死を扱って良いものかという点である。
 有島武郎も、「私を振り捨てて人生に乗り出して行くがいい」と言っているが、前段が大事である。

「苦難に遭いながらも、お前たちを私なりには愛し尽くし、お前たちのおかげで、愛する対象があり愛する時間を過ごせたことをただただ感謝している。
 お前たちが一人前になれば、感謝も最大になる。
 感謝している相手に求めるものなどさらさらない。
 老いて死ぬのは宿命だから、私は粛々と死を迎えよう」

 だから、若い者は、役割を終えて死に行く者へかかわるよりも、未来へ向かって、不幸な人々のためにはたらけと言う。
 人生は何かを教え、愛と感謝を教え、他者への愛を強く奨励している。
 これだけの信念を披瀝した上で、老いた自分にかかわらなくてもよいと言っているのである。
 こう諭され、魂が震えた時、若い人は「ああ、そうですか」と〈手間をかけず安く済ませる〉頭になるだろうか?
 こうした遺言のような文章で真情に触れてなお、もしも魂が震えないなら、あるいは、功利的にしか考えられないなら、その人の人生は薄っぺらなものとなるだろう。
 なぜなら、それでは「人生に深入り」できないからであり、有島武郎は「人生を生きる以上人生に深入りしないものは災(ワザワイ)である」と断じている。

 軍歌『戦友』を思い出す。

「ああ戦いの最中に 隣に居ったこの友の
 にわかにはたと倒れしを 我は思わず駆け寄りて

 軍律厳しい中なれど これが見捨てておかりょうか
 しっかりせよと抱き起こし 仮包帯(カリホウタイ)も弾の中

 おりから起こる吶喊(トッカン…突撃の叫び声)に 友はようよう顔上げて
 御国のためだかまわずに 遅れてくれなと目に涙

 あとに心は残れども 残しちゃならぬこの体
 それじゃ行くよと別れたが 永(トワ)の別れとなったのか」

 戦いの最中に被弾した戦友が倒れる。
 しっかりしろと抱き起こし、かりそめの血止めなどをするが、軍隊は突撃せねばならない。
 戦友は、自分になど構わず前進し、国のために戦えと言う。
 武人は情に負けいのちを惜しみ後れをとってはならない。
 じゃあ、行くぞと心を鬼にして友を置き去りにする。

「筆の運びは拙(ツタナ)いが 行燈の陰で親たちの
 読まるる心思いやり 思わず落とすひとしずく」

 なぜか生き残った自分は、戦友の郷里にいる親御さんへ最期の様子をこまごまと書き送りつつ、涙をひとしずく落とす。

 親と子が「人生に深入り」した者同士であるならば、倒れる者と先へ向かう者との関係は、こうなりはしないだろうか。
 もちろん、『戦友』のような事態が二度と起こってはならない。
 しかし、人生が自他との戦いであるのは真実であり、さまざまな出会いと別れが避けられないのは宿命である。
 現代に生きる私たちにも当然訪れている別れの光景はどうなっているだろう。
 よく省みる必要がありはしないだろうか。
 ──災いがもたらされないように。




 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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