コラム

 公開日: 2012-09-19  最終更新日: 2014-06-04

親の思いを知る手がかり ─有島武郎作『小さき者へ』を読む(その9)生死をかけた出産そして子供へ贈る言葉─

 おはようございます。
 皆さん、今日もお会いできましたね。
 今般の大災害に際し、亡くなられた方々と、被災された方々と、原発事故の現場をはじめ、復興に尽力しておられる方々に、み仏のご加護がありますよう心よりお祈り申し上げます。





 有島武郎は、最初のお産を迎えるる亡き妻の姿を思い出す。

「今時計は夜中を過ぎて一時十五分を指している。
 しんと静まった夜の沈黙の中にお前たちの平和な寝息だけが幽(カス)かにこの部屋に聞こえて来る。
 私の眼の前にはお前たちの叔母が母上にとて贈られた薔薇(バラ)の花が写真の前に置かれている。
 それにつけて思い出すのは私があの写真を撮(ト)ってやった時だ。
 その時お前たちの中に一番年たけたものが母上の胎(ハラ)に宿っていた。
 母上は自分でも分らない不思議な望みと恐れとで始終(シジュウ)心をなやましていた。
 その頃の母上は殊(コト)に美しかった。
 希臘(ギリシャ)の母の真似(マネ)だといって、部屋の中にいい肖像を飾っていた。
 その中にはミネルバの像や、ゲーテや、クロムウェルや、ナイティンゲール女史やの肖像があった。
 その少女じみた野心をその時の私は軽い皮肉の心で観ていたが、今から思うとただ笑い捨ててしまうことはどうしても出来ない。
 私がお前たちの母上の写真を撮(ト)ってやろうといったら、思う存分化粧をして一番の晴着を着て、私の二階の書斎に這入(ハイ)って来た。
 私は寧(ムシ)ろ驚いてその姿を眺めた。
 母上は淋しく笑って私にいった。
 産(サン)は女の出陣だ。
 いい子を生むか死ぬか、そのどっちかだ。
 だから死際(シニギワ)の装(ヨソオ)いをしたのだ。
 ――その時も私は心なく笑ってしまった。
 然し、今はそれも笑ってはいられない。」

 初めて子供を孕む頃は、「不思議な望みと恐れ」が心に住み着き、女性としてとても美しくなる。
 ミネルバは智恵・詩・医術・技術・工芸・・戦争・魔術などを司るギリシャ神話の女神、ゲーテ、クロムウェル、ナイティンゲールは、超人的なはたらきをした英雄たちである。
 出産という戦は美しい者に似つかわしいのか、それとも似つかわしくないのか。
 いずれにしても、母となる者は決意を持つ。
「産(サン)は女の出陣」。
 生死をかけて出産に臨む。
 今、撮ろうとしている写真は遺影になるかも知れない。
 男はそんな女を愛しくは思うが、一緒に同じ鉢巻を締められないのが正直なところだ。
 だから、女は「淋しく笑って」写真に撮られようとし、男は「心なく笑って」撮し手となる。

「深夜の沈黙は私を厳粛にする。
 私の前には机を隔ててお前たちの母上が坐っているようにさえ思う。
 その母上の愛は遺書にあるようにお前たちを護らずにはいないだろう。
 よく眠れ。
 不可思議な時というものの作用にお前たちを打任(ウチマカ)してよく眠れ。
 そうして明日は昨日よりも大きく賢くなって、寝床の中から跳(オド)り出して来い。
 私は私の役目をなし遂げる事に全力を尽すだろう。
 私の一生が如何(イカ)に失敗であろうとも、又私が如何(イカ)なる誘惑に打負(ウチマ)けようとも、お前たちは私の足跡(ソクセキ)に不純な何物をも見出し得ないだけの事はする。
 きっとする。
 お前たちは私の斃(タオ)れた所から新しく歩み出さねばならないのだ。
 然(シカ)しどちらの方向にどう歩まねばならぬかは、かすかながらにもお前達は私の足跡から探し出す事が出来るだろう。

 小さき者よ。
 不幸なそして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ。
 前途は遠い。
 そして暗い。
 然(シカ)し恐れてはならぬ。
 恐れない者の前に道は開ける。

 行け。
 勇んで。
 小さき者よ。」

 亡き妻が母親として子供たちへかけた愛は不滅であり、子供たちを「護らずにはいない」。
 そして、父親たる自分は、たとえこれからの人生がいかなるものになろうとも、人間として誠実に生き、子供たちがまっとうに生きるための方向性だけは遺すと誓う。
 母親の愛も、父親の生きざまも、子供たちの人生へ祝福として捧げようと言う。

 有島武郎は、子供たちへ不用意に「若い君たちの未来は明るいから頑張れ」などとは言わない。
 まぎれもない不幸を負った者にとって人生の旅はたやすいものではなかろうが、不幸によって「人生の淋しさに深くぶつか」ることのできたお前たちは「人生に深入り」したのだ。
 そして「人生に深入り」した者は同時に、土性骨(ドショウボネ…くじけない根性)という「根はいくらかでも大地に延びた」者でもある。
 だから、恐れずに進めという。
 両親は愛と誠を尽くし、祝福を与え、土性骨を認めてやって背中を押す。

 親は、子供が巣立つまでの間にいかなる事態が起ころうとも、多かれ少なかれ、こうした思いをかけつつ育てている。
 有島武郎の『小さき者へ』は、ずっと読み続けられて欲しいと願う。




 こうした内容に関心のある方はブログ(http://hourakuji.blog115.fc2.com/)の拙稿をご笑覧ください。
 山里の寺から、有縁無縁の方々の、あの世の安心とこの世の幸せを祈っています。

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